
この世界に生命が誕生する確率、
よくできた「偶然性」の例を、
プールの中に落ちたバラバラの腕時計の部品が、
「ちちんぷいぷい♪」したら、
「わあビックリ!完成した状態で出てきた!」
・・・そんな感じで例えることがある。
実際は、これよりも凄い事が起きている。
だから、私は何かしら「イデア的な」知の原形
のようなものはあるんじゃないかと思っている。
それと、バラバラの「多」という小粒を、
一として統一する高次の場の想定。
そう、西田哲学で言えば絶対無という場所(一者)のことだ。
そうじゃないとその「多」は、
独立した「一」の乱立でしかないだろう。
仏教的には、この世界は三界唯心、
すべて「幻想」であるという。
ホログラフィー理論で言えば、
渾沌とした全体の情報だけがあり、
それが投影された世界が現実である、と。
純粋な自然世界から鑑みて
もし、その「情報が写像された世界の具体性」が
「豊かさ」であるならば、その「豊かさそのもの」が、
その写像する大本の「本質」なのだろうか。

この動的な世界を実現するために、
コスモスがカオスをつくり出して、
またカオスからコスモスへと向かういう、
永遠性の運動をつくり出しているというかね。
それまさに、銀河の渦巻きのような運動で、
円環ではなく、変化を有する螺旋状の運動であり、
そもそも、存在物は自己相似形に、
すべてそのような形状であり、
互いにその回転エネルギーをぶつけることで、
動き、動かしめて合っているのかもしれない。
いわゆるトーラスの流れや、∞の動きには、
無限性の運動を見て取れるわけだけど、具体的には
多(他)を巻き込んで、渦状の運動をなして
いるのかもしれない。
