カオスとコスモスの共演 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 
満足とは生命の促進の感情であり、
苦痛とはその阻止の感情である。
ところで生命とはこの満足と苦痛の両者が抗争を演じ、
それを継続していくことである。
いかなる満足も直接に他の満足に続くことはあり得ず、
一つの満足と今一つの満足との間には
必ず苦痛が介在しなくてはならない。 

 

とか何とか、カントが「人間学」で言っていたようです。

 

 

生とは何だろうか。動的状態とは。変化とは。
生とは、基本的に苦の状態を嫌い、
快の状態を目指す運動の繰り返しだろうか。
動的な状態とは異質なもの同士が
互いに刺激しあうことにより起こるだろう。
シンプルに考えれば、プラスとマイナスの、
陰と陽の相互作用。またその弁証法的な反応。
(しかしその内実は無常で、実在はしないのだろう。)

 

 

生の中にすでにカオスは内包されている?
いや、我々がカオスと呼んでいるだけ?

 

 

と考えると。苦というものも、
私を動かす一つのぜんまいと言えるかもしれない。
それも私を動かす一要因。
(・・・しかしいらぬ苦労はしないに越したことはない。
それが私を動かすすべてだとは思わない。)

 

 

人生は、世界はカオスからコスモスへと向かう
運動の繰り返しなのかもしれない。

 

 

・・・しかし、そこに秩序(コスモス)が
保障されているわけではないだろう?
予定調和は保障されないだろう?

 

 

ならば世界は無意味に永劫回帰するだけなのだろうか。
そんな世界観をリアルに持ってしまっては
希望が見出せず絶望してしまいそうだ。
私とは何とも無力で、偶然的で、自立的でなく、
依存的で、ままならないものだろうか。

 

 

しかし、意味とは明確な関係の中で生まれるのである。
私という存在もまた。
私は世界と決して無関係ではないと考えれば。
孤独感は癒されるのかもしれない。

 

 

ところで、愛という相互作用にはおそらく苦痛は
介在しないように思うのだがどうだろう。

 

 

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書いているうちに何を書きたいのか分からなくなってきました。
はじめは「苦悩を肯定する」というタイトルで書き出しました。