常識は変わる、というのが常識 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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常識とは何か。

 

ある時代のある文化圏において、大多数の人間が真であると
共通に認識している事柄のこと、といった感じでしょうか。

 

 

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである。」

 

 

とか何とかアインシュタインが言ったそうな。
何で18歳なのかは分からないけど、
いわゆる常識というものが真の客観理解ではなく、
その時代のパラダイムにおいて限定される、
世界認識の一つのモノサシでしかない
ということを言いたいのでしょう。
それを当然のように真理だと思い込んでいる人に向かっての
皮肉なのかもしれない。

 

 

常識は変わる、というのが常識だと考えてみる。
しかし真理は変わってもらっては困る。
それが真理と呼ばれるからには。

 

 

ところで、原理原則といった根本的な問題は
いつの時代も形を変えて
問題とされる、古くていつも新しい問題だと私は思う。
いつの時代でもまともなことや鋭いことを言っている人はいて、
真理はその時代の、その文化に合った切り口でもって、
語られているのだろうと。
(言語は主観を客観化する一つのツールでしかないから、
いつもとどかない。
論理規則に真理が従わなければならない理由もないのだけれど。)

 

 

我々がしなければならないのは、
先哲が残してくれた真理の欠片を
自力で拾い集めて自分の哲学を構築していくことだろうと思う。

 

 

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学問の世界にはパラダイムと言うものがある。
それは時代の制約といっていいと思う。
しかし、直観をも言語化する哲学の、特に古典的な哲学の世界は、
直観が元である分、時代の制約を受けにくいと思うのだ。
いつでもホットだと思うのだ。

 

 

そもそも、
実際の世界感覚を言語による理論
(それはいつも矮小化されたものである)
により証明するのではなく、
誰かが創造した理論(別に言語でなくてもいいか)を
ヒントに実感を確かめるということが筋だと思うのだが。

 

 

そのへんが逆転しているように思うんだけどどうだろう。
実体験を、ありありとした感覚を、
言語化するとき何か狭苦しい感じはしないだろうか。
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・・・昔あれこれと書いた文をつなぎ合わせて強引に一つの文に。