■ 善悪二元論からの脱却
「「愛」の対義語として「憎しみ」があるじゃないですか。」
「ないです。」(きっぱり)
「いやいや、、言葉としてはあるじゃないですか。」
「ないです。」(キッパリ)
__
…そう動画内でおっしゃる吉野さん。
そのあとも非常に共感できることを
おっしゃっていたので、ここにまたメモ。(70分頃から)
__
「それは「自分が憎しみと捉える時」にあるんです。
カタカムナで読み解くと、善と悪がなくなるんですよね。
よいとかわるいって、それって誰にとっての
「よいわるい」かというと、
それは自分の都合にとっての「よいわるい」なんです。
自分にとって都合のいいことは
相手にとって悪いこともあるし、
善悪って全部違うんです。(相対的)」
「それで普遍的な善悪があるかというと、
ないですよ。
「命というものが生きる」、ということしか
善というのはなくて、
それなのに、「これが善くて、これが悪い」
というような、二元論があると思わされている、
世の中が、戦争をつくっているんです。」
__
つづいて、
「宇宙の方向性は、快感なんじゃないか?」
という質問を受けて、吉野さんが答える。
カタカムナにおける神の解釈について。
カタカムナで神とは、
「遮り、差」という意味になるそう。
なぜ神の意味が「遮り、差」という意味になるのか。
それは、何にも違いの無い一元の世界では、
何の変化も起きないから、そこに
遮る場や、差異をつくり、循環を起こしている
のが神なのだ、と説明された。
(神は可能性の海、創造が可能な世界をつくった)
そしてここからもいいとこなので、
そのまま引用。
______
「もし神が創造主だとするなら、
その神がやったこと、それは
「違いをつくり、遮った」人なんです。
この世の中って不快なこと(自然現象も含め)
ばかりですよね?
だけど、そこに渦が生まれて、
エネルギーのたまり場と、空疎な場が生まれて、
命が生まれるわけです。
私たちも一緒なんですよ。(人間の形成において)
例えば、快感ばっかり追い求めて、
(そればっかり甘受していたら)、
どんな人間になるかというと、
傲慢な人間になりますよね。
もし病気を知らない人がいたら、
それは苦しみとか、悩みとか、
人の気持ちのまったく分からない
傲慢な人になります。鼻持ちならない。
人に愛を与えることができる人というのは、
同じ苦しみが分かる人、経験したことがある人で、
想像できたり、痛みを感じたりして
思いを分かち合えるからです。
それができるようになるために、
遮られるときの命の状態を、いっぱい経験した人。
そういう人が、神に近づくんです。
__
すばらしいスピーチでした。
「カタカムナ」、、私はその存在を知って
まだ三日くらいですが、
興味を持ったのは吉野さんの人格込みでです。
たとえ何か啓示が来たとしても、
媒体が純粋じゃなければ歪んで伝わるものです。
ここからは私的感想です。
吉野さんのカタカムナの宇宙モデルでは、
諸物も、宇宙も何もかも、一つの陰陽の
ダイナミックな循環の原理の中で生成され、
それを繰り返している。
「宇宙は相似でできている」、それが
カタカムナの思想の大きな柱だ。
「はじめにロゴスあり」もその思想の中心概念で、
宇宙創造には万物の想い、集合意識も
無関係ではなく、すべての要素が関係して、
宇宙形成に関わっている。
宇宙の循環の一要素として、すべての存在物は、ある。
「世界は存在し、循環している。」
宇宙を俯瞰で見れば、その事実があるだけ。
人工的な意味づけは意味を成さない。
しかしその中で諸物はお互いに
無関係(無意味)ではない。
この宇宙のダイナミックな調和の世界に参加している、
個々の存在物を、それぞれ尊重できないだろうか、と。
カタカムナの宇宙モデルは、
我々がみな同じ宇宙原理で存在し、
宇宙形成の中でみなが関わり、
「多様性」を繁栄や喜びの基盤として
諸物が皆宇宙の拡大に一役買っている、、
というイメージが掴めれば、善悪二元論から
抜け出せるのかもしれない。
__
プラトンの哲学の中で、
「善のイデア」というものがある。
それは諸イデア(原型)のボスで、
それは何者にも寄りかかることなく、
存在しえる、言うなれば
「存在のイデア」である。
(宇宙の存在原理ともいえる)
では「悪のイデア」(普遍的な悪)は存在するのか
というと、それは存在しない。
存在している、という時点ですでに絶対的な
出来事であって、何にしてもそれを打ち消すほどの
理由を貼り付けることはできないからだ。
強引に考えればそれは「無存在」のことだが、
そもそも我々は存在しないものについて
考えることなどできない。
もしくは言えるとしても、それは何らかの理由で、
本来の存在性が発揮できてない、
「善の欠如状態」といえる程度だろう。
プラトンは、世界にはただ存在の驚きがある。
と言っている。
そう、世界には存在している、という事態だけがあって、
そこに我々が便宜上勝手にラベルをつけて、
意味をくっつけているだけなのだ。
我々は宇宙と関係して存在している。
基本的に存在するということは、善なのだ。