◇ 恩寵義認
マルティン・ルターは、
厳格な神の姿に萎縮していた。
彼にとって神とは、不完全な人間を罰する、
厳しい存在であり、彼はいつも
責められているような気さえしていた。
しかしある時、彼の神への認識が変わる。
「神の義は福音の中に啓示される。」
このヨハネの句に出会い、震撼し、回心する。
「厳格な神の姿は、恵み(福音)の神へ」
と姿を変えた。
「ああ、既に救われている」という感覚を得る。(恩寵義認)
数多の恵みにより、我々は既に救われている。
その恵みがあるからこそ、我々は自由なのだ、と。

このルターの体験は、自分に厳しく、
自分という人間存在を小さめに見積もっている人には
とても参考になると思う。
そう、我々は恵みの世界にあるのだ。
謙虚に自然世界を見渡してみよう。
気づいたら既に多くが与えられていた。
地球の恵みの中で育まれている自分を知れば、
その優しさに温かみを感じないだろうか。
数多の恵みにより、我々は既に救われている。
遠慮なくその恵みの中で、自由の翼を羽ばたかせよう。
↓参考拙記事
○ 世界との信頼関係を取り戻す
https://blogs.yahoo.co.jp/erospteron/37750149.html
◇ 地球に助けてもらおう
何かを悟ったような気になっても、
日常に帰れば「いつもの狂気の世界」が待っている。
その日常の中に溶け込んで暮らしていると、
せっかく得た彼岸的視点も、
維持するのは困難である。
彼岸的視点の維持。
そのためには定期的に一人の時間を取って、
瞑想したり、神社に行ったりで、
「心をクリーンアップする時間」が
必要になるわけだが、
私はここで「アーシング」をお勧めしたい。
「アーシング?何それ美味しいの?」
って話になるかもしれない。(美味しいよ!)
アーシング。簡単に言うと、
ニャンコが地べたにゴロゴロするあれである。
地球と仲良くするやつ?
そう、我々もニャンコのように、
定期的に裸足になって地べたに座り、両手もついて、
「地球とつながるようなイメージを持つ」
習慣をつけてみよう。
数多の恵みでいつも我々を育んでくれている地球に
親しみをもって接してみよう。
そうすると、自我から手が離れるような
経験ができるかもしれない。
毎日やっていると、自我から離れて、
地球の意識に溶け込むような、
爽やかさが得られるかもしれない。
私はこのアーシングは、
自我から離れる(自我を相対化する)練習としては、
最適だと思う。余計な理屈もいらない。
地球にすべてを委ねてみよう。
「私でもいいのかな。できるかな。」
大丈夫。
地球はそんな心の狭い存在じゃないから。
貴方が身を預ければ、そっと寄り添ってくれるから。
◇ 等身大の自分で
我々はこの
「完璧に運行する宇宙を足場にして」存在している。
この宇宙の一部分として存在している、
我々は、この「遍く対立的調和結合の一項」として
存在している。
遍く対立的調和結合。
すべての存在物は、
この宇宙のエネルギーの通り道である。
各々の存在性は、宇宙の運行に一役買って、
今日も宇宙を回している。
対立的調和結合。
存在物に大小、機能に違いはあれど、
その多様性が、宇宙の躍動と繁栄の土壌なのだから、
存在性に優劣など無い。
っていうか、存在物は問答無用に
宇宙の部分としてあるだけだ。
だから、各々の存在物は、変に
背伸びする必要もないし、縮こまる必要も無い。
等身大の個物でOKなのだ。
だから、貴方が縮こまって、
貴方自身でいないことは困った事。
貴方がハッピーでいることが、自ずと
宇宙の繁栄に一役買うことになるのだから。
貴方は胸を張って、貴方自身であって欲しい。
これは宇宙の願いでもあるのだ。



