諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
仏教の三法印である。
意味だけなら、誰でも何とか分かる。
分かるわけだが…、腑に落ちて体感するには、
その理解に大きな隔たりがある。
例えば諸法無我。
この世界にそれ単独で存在しているものなど何もない。
すべてはお互いに拠っている。おかげ様。
<我々は育まれている存在である。>
瞬間、自我を消して、そう思えるだろうか。
大いなる自然世界からの視点で、
自分の在り様を見つめることができるだろうか。
まずもっては地球に根ざした存在であると、
気づけるだろうか。
難しい。
私もたまに調子がいいとき気づくだけである。
むしろ子どものほうが素直にピンと来るのかもしれない。
例えば自然世界にはお金なんかなくて、
すべて物々交換で回っている。
何でか上手くいっている!
そう、野の花や鳥たちは、紡ぎもしないし、
納屋に蓄えたりもしない。
それでも天の父はみなを養ってくださっているではないか。
(明日のことは明日自らが思い悩む 聖書)
それが人間世界にも成り立っているとしたら?
自然世界にはお金は存在しない。
貯金なんて概念もない。
お金がなくても物々交換で回る世界。
ありえるだろうか。人間世界で。
それぞれの人が自分の得意なことをやって、
それで回る世界。
夢物語・・・そう思えるわけであるが、
自分らしくエネルギーをアウトプットした分だけ、
またそれが自然に流れてくるような、そんな世界は、
自然世界では成立しているのである。何でか。
それが人間世界にも成り立っているとしたら?
我々も草花と同じく、この自然世界の存在物である。