難病患者の声残す…事前に録音、PC利用

難病で声を失うおそれがある患者のため、声を録音して残す取り組みが東京都立神経病院(府中市武蔵台)で行われている。作業療法士・本間武蔵さん(50)が導入した。

 病状が進行した後も、患者たちはパソコンを操作し、自らの声でコミュニケーションすることができる。「マイボイス」と名付けられた取り組みは患者に生きる希望を与え、闘病を支える家族の心も支えている。

 「人類の歴史は時間を造ること」「道具を使うと早く仕事ができた。学校で勉強した産業革命も、時間の創造の結果なんだよ」

 1月下旬、同病院の防音室。廣江資司
もとじ
さん(70)(調布市)がマイクの前で、やや不明瞭ながらも自作の原稿を読み上げた。隣には本間さんが座り、付き添いの家族に時折、「どうでしょうか」と声の出方を確認しながら、録音作業を進めた。

 廣江さんは、全身の筋肉が動かなくなる難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者。昨年7月頃から、言葉をはっきり発せられず、飲食時も「のみ込みにくさ」を感じるようになった。

 大学病院で診療を受けたが、原因ははっきりしなかった。11月に都立神経病院で、3週間の検査入院を経てALSと診断された。ショックはあったが、次第に「日々の変化をあるがままに受け止め、自然に過ごしていこう」と思ったという。そして、退院前に主治医から「マイボイス」のことを知らされ、声を残すことを決めた。

 通常は、50音や濁音など基本となる125の音素を録音。次に「こんにちは」「おはよう」などの言葉もとりためていく。

 廣江さんは、孫2人に宛てたメッセージも録音している。千葉市に住む長女、堤和美さん(42)の娘で、小学5年生と中学2年生。非鉄金属大手の会社役員も務めた廣江さんは、「職業人生や生活で得た知恵を伝えたかった」という。「『うまくしゃべれない中でも、おじいちゃんが残してくれた』と、素直に受け入れてくれるのでは」

 廣江さんはいま、手足にはほとんど問題がなく、車の運転もできる。しかし、ALSは進行性の病気で、声の録音も「時間との闘い」だ。録音に必ず立ち会う妻の朝子(ともこ)さん(68)も当初は、「現実を間近で見ることがつらかった」という。

 孫へのメッセージをいつ、どのように渡すかは、廣江さんはまだ決めていない。「気負わず、深刻にも悲観的にもならずに。目の前に引かれた道を一歩ずつ歩いて行きたい」

都立神経病院 患者・家族の支えに

 本間さんが、「マイボイス」の取り組みを始めたのは2004年。気管切開で完全に声を失った患者には、パソコンに文字を入力すると音で再生する福祉機器を給付する制度があるが、進行性のALS患者の場合、7~8割は給付に該当しないままで亡くなっていく。「メッセージを残したい気持ちは同じなのに」と疑問を感じた。だが、ソフト探しなどに苦慮し、長く手探りの状態が続いた。

 実現に向けて大きく動き出したのは、長崎県佐世保市のプログラマー吉村隆樹さん(47)の協力だった。脳性小児まひで自らも言語障害がある吉村さんは、障害者向けのパソコン操作支援ソフト「ハーティーラダー」を無料公開している。わずかに動く指先や、センサーを付けるとまばたきでも文章が打ち込める。

 「このソフトに音をのせられないか」。本間さんの依頼を受けた吉村さんは、約5年がかりで「マイボイス」を完成。11年夏に「ハーティーラダー」の新機能として追加した。これまでに、本間さんが声の登録を手伝ったのは90人で、昨年は49人に上った。ALS患者が大半で、クイズ番組で人気を集めた篠沢秀夫・学習院大名誉教授もその一人。このほか、筋ジストロフィーやパーキンソン病の患者もいる。

 「単音素の連続再生」という仕組みのため、完璧に声を再現できるわけではないが、患者からは、「生きる喜びになる」「自分の声でしゃべることは、自分を表現すること」などの感謝が寄せられている。

 また、難病患者の家族は、無力感にさいなまれがちだが、録音の現場に一緒に立ち会うことが心の支えになっている面もあるという。本間さんは「全国の作業療法士や言語聴覚士に『マイボイス』を知ってもらい、患者たちの可能性を広げてほしい」と訴える。(長内克彦)

以上、読売の記事から引用しました。
早めに声を残して頂くため、受け入れが難しい症例もいるかもしれませんが、「マイボイス」はすごく素敵な事だと思います。

(2013年2月26日 読売新聞)