刺青|賽のじ雑記 -589ページ目

文楽 - その壱

日本には古くから語り物の芸能がありました
琵琶法師による平家物語なんかを
イメージしてもらえばよいと思います

楽器の演奏や効果音などをバックに
語り手が演技をつけた調子で
臨場感を演出したエンターテイメントです

15世紀ころに「浄瑠璃姫物語」という作品がうまれ
この作品がたいへんに流行し
このような語り物全般が「浄瑠璃」と
呼ばれるようになりました

またこれとは別に人形を遣った芸能も古くからありました
傀儡師と呼ばれた人たちが人形を操る人形劇です
14世紀頃になると彼らは一座を組んで
諸国を廻るようになったそうです

17世紀ころにこの2つの芸能が結びついて
人形浄瑠璃と呼ばれる新たな芸能がうまれました

そしてこの人形浄瑠璃を大きく発展させたのが
太夫(語り手)の竹本義太夫と
脚本家の近松門左衛門です
彼らの浄瑠璃は「義太夫節」と呼ばれ
熱狂的な支持を受けることになります

人形浄瑠璃は
18世紀に更なる発展を遂げ
様々な名作が上演されました

しかし18世紀後半になると
ほかの芸能の人気に押され
人形浄瑠璃は下火になり
これらを上演していた劇場も
しだいに没落してゆきました

そんな中19世紀に入り植村文楽軒が
大阪高津橋に新しい劇場をつくり
人形浄瑠璃を再興させます

この劇場は明治42年まで続きました
(その後松竹が経営)
当時この「文楽座」が
唯一の人形浄瑠璃劇場であったため
人形浄瑠璃のことを
「文楽」と呼ぶようになりました

今日のタイトルが
「文楽 - その壱」となっているのは
「その弐」を考えているからです

なぜかっていうと
この「文楽」の演目を題材にした刺青がたくさんあり
本題はそっちなんですな

というわけで
次回をお楽しみに!(してる人がいたらいいなぁ)


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