能登半島地震で被災された方々が
一刻も早く穏やかな日常を
取り戻されることを
心からお祈りしています。
ご訪問ありがとうございます。
発達障害を専門に
メンタルヘルスの講演・研修をする
心理カウンセラー
新年のご挨拶
このブログは
スーパーカウンセラー歴
35年の私が
”ちょっと変わった”家族と
ごきげんに過ごす
毎日を綴った
日常ブログです。
アメトピ掲載50本達成!
。・:。・:。・:
【お知らせ】
①6冊目の本が三笠書房より
今年春に出ます!
②初エッセイ集が
電子出版されます
昨年4月の最新刊
2019年に出版しました
恋愛映画を観てきました。
恋愛ジャンルに入れるには
ちょっと重いテーマでした。
映画館はシアターキノ
「市子」という映画です
さて、「市子」の映画は
横に置いておいて‥
「恋愛」は
結婚とは違うところが
ポイントですよね。
結婚は
病める時も
健やかなる時も‥で
お互いさまだし
生活や育児のためには
諦めや我慢が必要です。
でも‥恋愛の場合は
(私の場合に限って言うと)
迷惑を
かけたくない
(嫌われたくない)
という思いが
強いように思います。
何年も恋愛が続く
ということは
大好きだということ
そのうえで
「諦める」時って?
それは
相手の幸せを
願う時でしょう。
相手が自分を
重いと感じたり‥
相手の気持ちが冷めて
自分をぞんざいに
扱うようになったり‥
相手に他に
好きな人ができたり‥
相手が自由に
生きることを望んだり‥
いろんなケースが
あると思います。
すべての
人間関係において
言えることですが
諦める時には
相手を恕(ゆる)す
(相手の幸せを願う)
ことが大切だと思います。
(あ、恕すが私の今年のテーマです)
そうすることで
自分の魂も救われるのです。
相手がもしくは自分は
そうとしかできなかったのだから
とか
幸せな時もあったのだから
(人は変わって当たり前)
とか
出会っていた時間に
これだけ多くの思い出を
作ってくれたし
などと整理がつけば
相手に幸せに
なってもらいたいと
感謝の気持ちが
起こるはずです。
そうした気持ちに
なれないとすると
愛してもらいたい
「自分」に
執着している
ひとりになりたくない
「自分」に
こだわっている
のかもしれなくて
これは愛ではありません。
妄執です。
妄執とは仏教用語で
心の迷いによって
ある特定の考えに
執着すること
です。
もちろん
話し合ってお互いを
理解することができれば
この妄執を早く手放せますが
そううまくいかないのも
恋愛ゆえかもしれません。
我が身の恋を
振り返りながら
今年も
恋愛や結婚の相談を
受けて参ります。
ごきげんな人生にする相談は
こちらからどうぞ