質問箱から
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ゲームのキャラクターでも仲良くしてくれるキャラが傷ついたりしていると苦しくなってしまいます。ゲームをすすめるためには避けられないし、そのキャラクターが最初に追いかけていた夢を奪う形であきらめ、別の道を進むことを決めます。
プレイヤーはそのキャラクターと一緒に夢を追うのが楽しかっただけなのに、夢を諦めさせてしまいつらいです。キャラクター自身も悩んで別の道を進む決心をしたことを話してくれますが、急にそのキャラクターが遠くなってしまって悲しいです。ゲームの進行度でたくさんお喋りしていたのに夢を諦めたら同じことしか言わなくなってしまいました。
ゲームだからと言ってしまえばそれまでなのですが、すごく好きになった人が変わってしまって、原因が自分の軽率な行動だと思うと苦しいです。ひとつしかない椅子だったなら譲りたかった。好きな人の夢を叶えさせたかった。
ゲームなんかしなきゃよかった。
まずカウンセラー感覚でお答えします。あとで一オタクとして感想を書いてみます(笑)
人は生まれつきに共感性の高い「体」を持つ人と、そうでない人がいます。そうではない人達は、実際見たり触ったりなど現実的な刺激がないと、感情的な部分は働いたりしません。こういう人達はスポーツや工学などの専門に入ることが多いかもしれません。
一方、共感性の高い人は創作的なことや、対人の専門に入ることが多いかもしれません。
共感性が高いから、落ちる夕日を見たり、草原の端っこに伸び出る花の芽を見ても、自分の感情や思念が自然と動員されて、いろんな感情体験や想像が活発になりやすいです。そして、それらの体験は決してその対象(夕日、花、キャラ)に限ったものではなく、必ず心の深いところで自分の幼少期の体験や自分が今抱えている抑えられている激しい感情と何らかの繋がりがあります。
ゲームをやって、その中の出来事で苦しんでると、一見空想設定の中の展開に一喜一憂してるように見えるかもしれませんが、その実はあなたの深い所に抱えている心の傷が刺激されている、との説がありますね。
つまり、ゲームの中のことにいろんな複雑な感情や体験を持つことは別におかしなことでも、くだらないことでもなく、大切な体験であり、大切な感情でもあるとは思います。
次にオタク的な観点から述べます。
ここでは「喪失体験」と「自己中心性・自己愛」について話してみたいと思います。
「喪失体験」は精神障害を引き起こすかなり中核的なものと見なされています。障害ではないそこそこ健康な人でも、喪失体験によって一時的にうつ状態、さらにはうつ病になったり、一時的な不安障害になったり。とてつもない巨大な苦痛が与えられて、人が成長したり。
双極気質の成因の一つの説には、子供が両親の離婚による巨大な喪失体験から、「自分はいい子ではないから、こうなった」「自分はいい子だったら、両親は離婚せずに住んだはずだ」と自責的になりやすいと言われています。
ここには子供の自己中心性が表現されます。人々は、物事の進行は自分の手によらず、自分は無力的であり、あくまで外部に影響されて、振り回される小さな存在、と考えたら、これはとんでもない不安を感じることになります。
だって、「自分には何もできないんだから!」「明日の我が身に何が起こるか、全く予測不可能、しかも何が起きても自分には無力で何も出来ない!」こんな巨大な不安を抱えてしまうと、人々はうまく行動できず、普通に生活できなくなります。
ここで、解決法として「悲劇が起きたのは、外部のコントロール出来ないものによるわけではない!悲劇が起きたのは、私自身のせいだ!私自身さえ何とか変われば、悲劇は避けられる!」と自己中心的になることです。
ただ、これには悪い面もあります。自分のせいにすると、今度は自責的になりやすいです。躁的状態の時は「あれもやる!これもやる!絶対状況を変えてみせる!」うつに落ちた時は「結局自分はダメなやつだ」と。
このように、喪失体験は人の心の防衛機能を刺激しますね。
喪失体験は別に別れや、死別、関係の終結に限った話ではありません。以前も今も親子でも、以前も今も恋人でも、人は喪失体験を体験することがありえます。
恋人が自分と違う大学に入って、徐々に言動や価値観が変わった。「自分の知ってた彼/彼女ではなくなった」もちゃんとした喪失体験なんです。
だからあなたの質問を読んだ時に、確かにキャラが夢を諦めたことでこれも一つの喪失体験なんでしょう。それに加えて、前まではあんなに夢に情熱を燃やしていたのに、いとも簡単にケロッと諦めたり、もう「もう私の知ってるキャラではない」「こんな人ではなかった」などあなた自身の喪失体験もあるんじゃないかと。
また、ゲームと言うのは自己中心性を思う存分楽しめるものだとは思います。別にあなたは自己中心とか自己愛とか言ってるわけではありません。何が言いたいかというと、ゲームってそもそも自己中心性を発揮して楽しむもので、その楽しみ方は正しいと言いたかったです。
つまり、ゲームの中のすべての出来事やすべての登場キャラは私と何らかの関係を持つし、私と何らかの因果関係を持つという感覚です。
そのゲームのことを詳しく知らないが、もし見当違った想像してしまったら申し訳ないですが。
つまり、こういう考え方見ると、「私のせいでキャラは夢を諦めた」と言うのはあなたの勝手の思い込みの可能性はないでしょうか?(本当はシナリオライターこそが彼の運命を掌握しているのに)
そして「絶対前の夢のほうがいい」というのも、あなたがキャラに押し付けた気持ちなのではないでしょうか?
そうすると、このキャラの運命は私によって振り回される。喪失体験の悲しみを体験するのと同時に、自己愛が満たされている部分もあるんじゃないかと思いました。
そもそもゲームに裏切られて、物凄い嫌な気持ちになったのなら、ゲームをやめればいいな話で、こんなに丁寧に自分の気持ちを書いてくれたら、それだけゲームを簡単に手放せない気持ちもあるのではないでしょうか?
こう考えてしまうと、このゲームの体験はそこまで悪いものではなく、むしろあなたの内面のいろいろな複雑な感情を引き起こせたかもしれません。
このゲームのストーリーやキャラの描写が丁寧なものなら、すごくいい体験なのでしょう。
もしこのゲームはストーリーもキャラも雑で、単に鬱展開させることでプライヤーに嫌な気持ちにさせたのなら、まさしくクソゲーなのでしょう。
どっちにしろ、このような体験はゲーマー仲間や親友といっぱい話すのにもってこいと思いました(笑)
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