ある日、仙台駅をなんとなく歩いていたら、ふと、こんな展示物を見つける。
奥にあるこの鷹のような置き物・・・の遠い目がツボる
どこかで見たことがある気がするな・・・・・・
あ、そういえば祖父母の家にあったんだったと過去を振り返らない(振り返れない)主義の私が珍しくはっきりと思い出したとき、解説書も発見。
この鷹の置き物、「お鷹ぽっぽ」というらしい。厳めしい見た目に反して、可愛い名前をしてるのね。
そして祖父母の家にあったこのぽっぽさん、山形県米沢市の名物だったのね。
そういえば・・・と思い、でうく母にLINE。
わたくしは人生の大半を梅雨時期はいつも人が死ぬ九州で過ごしていましたが、厳密にはそれだけではない。
実は生まれてすぐに四国へ引越し、その後は山形に1年だけ住んでいたという三つ子の魂百までの時代は転勤族でもあったのだ。
祖父母宅にあったこの鷹ってまさか・・・と母に訊いてみたところ、山形みやげとして祖父母に贈ったものらしい。まさかここ仙台で再会することになるとは。さすがは東北すべてのものが手に入るという東北の雄。
母とのやり取りの中でぼろぼろ出てくる、山形のかつての住まいのこと。
その話を聞いていくうちに「あれ?そこって仙台駅からであれば普通に行って帰って来られる距離くない??」という感想を抱くようになり「思い立ったが吉日だよね」精神でちょちょいと行ってきました。まぁ、たぶん、宮城の次の赴任先って恐らく東北ではないだろうから、行ける距離に住んでいるうちに行っておくのが正解だよね。
自分自身が転勤族としての人生を選んでいる今、この偶然は何とも言い難い奇跡を感じるなぁ。
我が西郷家は親父の自由奔放さとその奔放さを受け継いだわたくし、でうくの影響から家族関係の殆どにおいて常に誰かが欠けている状態なんですけど、この山形時代だけは、きょうだいも含めて全員が揃っていた時代。
母はこの山形時代の想い入れが最も強いようで、30年以上が経った現在も近所で遊んだ公園のことなどもはっきり覚えておりました。
ええ、「じゃあ行ってみっか!」の思いつきで辿り着けてしまうくらいには。
何せ、最寄りのバス停もほぼほぼ覚えているくらいなので。
しかし、母がしきりと言っていたのは「近所の公園から新幹線つばさが通るのをとても間近で見ることができる」でした。
これもGoogle mapで一発で特定することができるのに若干引く。
住宅地になるので公園は数あれど、新幹線を間近で見ることができるのはほぼこの公園で決まり。
この地図の下の部分に私が当時住んでいた家がある。しかも健在らしい
週末びっくり市は素通りしたので写真は撮っていませんが、健在なことを知って母は興奮しておりました
地図が小さくてわかりづらいですけども 左側の緑の線とそれに沿う灰色の線のように、山形新幹線“つばさ”と在来線奥羽本線は同じ線路を使っていて、時間帯によって新幹線が走ったり在来線が走ったりする。
公園の真ん前を走る“つばさ”(と、可能であれば同じ線路を走る在来線も)の写真を納めるべく、公園の柵前で張り込みを行なう。
静岡&仙台生活ですっかり感覚が狂ってしまっていたけれど、そういえば大都市でない限り在来線にしろ新幹線にしろそれほど頻回に通るわけではないことにようやく気づく。いっ、いちじかんに2本走ればいい方
新幹線よりとんぼが撮れる枚数の方が多い。
こんなに至近距離でも全然逃げない。何かポップコーンみたいなの持ってる。
坂巻公園はなかなか広めの公園で、遊具のあるエリアと小高い丘、グラウンドとなっているエリアの3種類がある。
この日この時間の山形の気温は30℃、子どもを遊ばせるには要注意の気温かな。
人っ子一人、撮り鉄一人もおらず、在来線の線路を新幹線が走るってそんな物珍しいもんではないのかなぁ~、って思っていました。
30年前は現実に遊んでいたらしいけど、まったく思い出すことなく懐かしさも感じず。母に写真を送るも、30年も経てば当然、遊具も取り換えられており当時の面影は感じないのだとか。
しかし最近の遊具は面白いな~、オシャレだし、ボルダリングもできて。
と、童心に返って遊んでいたときにしれっと目の前を通り過ぎる新幹線・・・・・・
はいぃ???
いやいやいや???わたくしちゃんと時刻表を確認の上遊んでましたけど???(爆)
しかしその直後に気づいた、この公園は駅と駅の間にあるんだから、のぼりの場合は時刻表より遅く、くだりの場合は時刻表より早く列車は通り過ぎることに・・・・・・!!
世の撮り鉄はこういった時差も計算に入れてスタンバっているのか・・・・・・!!!
遊んでいる途中で新幹線がすぐ傍を走り去ってゆく姿を見て「かっけぇー」と感じる子ども心と、スナイパーの如く時間を見定めてシャッターチャンスを狙う鉄オタの両方の心を一度に理解した気がしました。
その後も何度もシャッターチャンスを狙うも、気を抜いたときに限って新幹線も在来線も通り過ぎる謎展開に見舞われる。
そして、ようやく撮ることができたただ一枚がコチラ・・・
新幹線つばさと公園の滑り台の共演・・・なんだか、滑り台にも疾走感がある気がしませんか?気のせいか。
母いわく、新幹線“つばさ”の開業は、我が西郷家が山形へ来た年と同じ年だそうで、そのためか我が家では「新幹線」といえば“つばさ”でした(当時は九州も四国も新幹線がなかったからね)。
当時の“つばさ”のフォルムといえば、コレ
(Wikipedia先生より拝借)
初代ウルトラマンみたいなギンギラギンのシャープなフォルムから記憶が更新されていなかったため、同窓会で再会したクラスメイトばりに「誰?」感がありましたが、30年も経てばそんなもんよね。つばさの方だって私のことを「あのときの子どもか。それは気づかなかったな」と思うはず(誰?)
つばさは在来線の線路を走るので、のぞみなど他の新幹線と比べると車体が小柄らしい。シャープな見た目に小さい体って昔は威勢のいいお子しゃまだったのね(これは妄想が過ぎる)
現在のフォルムもカッコイイけど、やっぱり初代ウルトラマンみたいな攻めた感じが私は好きだなぁ。
元自宅の最寄駅は「蔵王駅」だったそうで、蔵王駅まで足を延ばしてみる。
最寄といっても歩くとなかなか遠く、東北といえどフェーン現象の影響でありえない気温を叩き出す常連の山形、一日の旅程を詰め込み過ぎた自分を少し呪う。
そう、せっかく山形に来たのだから、もう1ヶ所くらいは行きたいところがある。
坂巻公園の目の前にある線路と交差する道路のトンネル。上を在来線・新幹線が走る。それにしてもかなり小さいトンネルで大型車が通るのは難しそう。
とあるアパートの注意書き。この辺りはやっぱり雪がよく積もる地域なのね。そういえば、住んでいたとき、雪だるまを作って遊んでいたと聞いたことがある。
道の途中で見つけた案内板。ほへぇ~旧跡なんてあるんやねぇ~。
案内板にあった常磐橋と須川。反対側である下流が澄んだ水が映えてキレイだったんだけど、常磐橋の歩道は人一人がようやく通れる幅しかなく、後ろから歩行者が来たため立ち止まることができず撮影は断念。
どうやら私が通った道は大通りではなく生活道路みたいなところだったようで、見慣れたチェーン店などはなく、個人商店や旧家と思われる由緒ありそうな建物、お寺などが多かった。中には、こんな立派なお寺も。
時間(注: 本数少ない電車の)に追われる社会人ゆえお参りはできず・・・
蔵王駅に着きましたこれからもう1ヶ所の縁のある地へ行くわよ
次回予告
し、新幹線つばさとの邂逅、再び
そして私は知ってしまう・・・・・・「蔵王」に隠された真実に。
気力あれば書く