私は知ってしまった・・・・・・「蔵王」に隠された真実に。
伊達と雅な日帰り旅②、開幕です(大げさな)。
参考までに、コチラの記事のつづき
実は30年以上前に山形県民であり、蔵王駅を最寄りの駅としていたことが明るみとなったDEUKU。何が驚きかって、30年以上前に既に生を受けていたことですよ。私の心は二十代で止まったままというのに・・・
新幹線“つばさ”の見える坂巻公園がある桜田地区は、山形市の中ではわりかし都会の方。「蔵王」といえば蔵王温泉が真っ先に思い浮かぶと思いますが、まさかそんなに市街地寄りにある温泉なのか・・・?物心つく前に1年いただけではさすがに土地勘が働かず、期待値が爆上がりする。
道路標識にも、「蔵王温泉」の名前が出てきて更に期待は高まるも・・・?
なんだか限りなく違う気がするんだよなぁ。古戦場跡・・・・・・?
温泉の最寄駅なら、全国的にも有名な温泉だから駅舎そのものがもっとプッシュするよね。
もしや・・・と思い、列車に揺られながら調べたところ・・・
関係ないんかーい。
紛らわしいわ。しかも蔵王温泉へのアクセス皆無!?
ちょっと何言ってるかわからないですね・・・
今回の旅ではもともと行く気はなかったですけど、一方的に傷つきセンチメンタルジャーニーに突入。そう、私の人生の旅路はまだまだ続くのよ(急に壮大に)。
山形県で行きたいところ、縁のある地域がもう1ヶ所ある。
そこは、山形県米沢市。
こちらも、個人的にかなり印象に残っている地でして、でうく、実は15年くらい前のやんちゃ盛りに一度、文字通りの本当にやんちゃな旅をしています。
それは、川崎駅を起点として北上できるところまで北上して、その後地元である熊本へ帰る完全鈍行一人旅。
あるのはリュック一つ(しかも受験帰りの旅だったのでリュックの中には参考書数冊)。当時はスマホはなくガラケーの時代。
どのようなルートを辿ったのかは今でも憶えている。川崎から宇都宮→黒磯→新白河→郡山→福島→仙台のルートだった。この時もやはり「昔住んでいた」と聞いていた関係で山形には行きたくなり、山形・米沢・新庄には寄ったのだった。そして、岩手の一ノ関→平泉まで行ったところで、これ以上の北上は命の危険を伴うと判断し(旅の時期は2月末・・・!)、東京へ戻り、東京に住む友達の家にお世話になってから帰路へ。帰路の途中でもなんだかんだで寄り道し(宮島とか)、10日あまりをかけて帰宅。いやぁ~今やれって言われたらできないっすね
当時は金がなくて時間はあった時代。行き当たりばったりの旅でもあったので、宿はなし。野宿、朝まで営業しているお店で一晩をしのぐ、そしてリアル田舎に泊まろう的展開を経験するなど、今考えるとメチャクチャな旅でした。
ガラケーの充電も当然底を尽きるので、旅の半分くらいは音信不通状態。
帰宅した時、家族はいつもと同じように出迎えてくれましたが、数年後にその話題がたまたま出たとき、母からは「無事に帰ってきたとき実はかなりホッとした」、父からは「死んだらその程度の人間だと思っていたさ。ただ“旅行楽しかった~”じゃ物足りないだろ?生きる実感を得られてたくましくなれたんじゃないか?」と言われました。母には素直に「お、親不孝者ですまん・・・」と反省しましたが、親父よ・・・なんかサイヤ人的思考なんだよな・・・・・・
何を隠そう、この旅でリアル田舎に泊まろう的展開になった舞台が米沢市だったのだ。
米沢駅で在来線を降りるとなんと新幹線つばさが
ものすごく早い再会
つばさが米沢駅まで延伸したのは最近のことだったのね
米沢でのお目当ては、上杉神社。
実は、15年前も同じように米沢駅に着いた後は上杉神社を目指していた。
日いずる刻が東日本より1時間ほど遅い西南の国九州出身の私。
日が沈むのがこんなに早いとは思わず、速歩(はやあし)で上杉神社に向かっていた矢先。
なんと、ほんまもんの事件に遭遇してしまったのだ。
ええ、ちょっとガチめなやつで、たまたま近くを歩いていたことが理由で上杉神社を目前にして警察の聴取を受けることに。。。
私(うわぁ・・・本当に足跡浮かび上がらせてる・・・・・・鑑識の技術すげぇ・・・)
山形県警「こんな時間(16時過ぎ)に歩き回っているのは何故?しかもなんだ?その大荷物は」
私(16時ってこっちの人は出歩かない時間帯なの・・・?)(え、リュック一つって大荷物なの?)(えっ、もしかして、私って疑われてる?)
「い、いやぁ、あっしゃしがない旅人でしてねぇ。そこの、上杉神社をお詣りしようとしておったところなんですわ」
県警「?こんな時間に?それで、宿は?」
私「い、いやぁ、ははは・・・」(宿なしなんて言ったらますます不審がられる気しかしない・・・!)
県警「・・・ご自宅はどこにあるか教えてもらえるかな」
私「・・・?」(方言が強くて聴き取れなかった)
県警「・・・」
私「・・・ぱ、ぱーどぅん?」
(もう一人の警官が喋る)
私「オ、オゥ・・・・・・く、Kumamoto・・・・・・」
県警「・・・はにゃ?」
私「Kumamoto・・・」
県警「・・・・・・どこ?」
私「九州だよ!!」
ものすごくツッコんでしまったことを憶えている。
結局、目撃者がいたことで私自身が怪しい人間であることは変わらずとも容疑者からは外れることになる。しかし、その後も捜査協力という滾る展開で上杉神社を目前に留まることになり・・・
終電を逃す結果に。
県警「や、宿は・・・・・・?」
私「宿はまだない」
県警「そんな夏目漱石の小説みたいな言い方・・・」
私「あー困ったなーどうしよっかなー」
宿がないのは己のせいでは?と誰もが思ったに違いないが、
県警「ん~なら・・・警察署(うち)来る?保護室に泊まることになるんだけど・・・」
私「ん~~~」(え、めっさ興味あるんだけど。犯人のうめき声とか怒声とか聞こえたりすんのかな)←留置場や拘置所との違いが解っていない
と、ふてぶてしい旅行者に親身に接してくださり、最終的には近所に住む方が泊めてくださったのでした。
そして、携帯電話も3日ぶりに復活する・・・・・・(2日後にはまた音信不通のターンに入る)
翌日は旅路を急いだため、上杉神社は鳥居だけ見てさよならというお預け状態だったのでした。
そんな濃い思い出の地・米沢。せっかく山形県まで来たのならば、やはり米沢は外せないと思い、旅程に組み込んだのでした。
とはいえど、今回もそんなに時間があるわけではない。いかんせん、公共交通機関の時間帯が限られているのだ
今回はさすがに野宿をするわけにはいかない(別に、泊まればいいじゃん)
米沢に着いてから知ったが、上杉神社からなんと仙台駅直通の高速バスが出ている運は私に味方している(調べよう、事前に)
15年前といえば、歴史に殆ど興味がなかった時代。そんな中で上杉神社に行きたかったのは、神社は昔から好きなスポットだったから
ようやく来られたー上杉神社上杉神社が上杉謙信を祀っていて、
摂社にあたる松岬(まつがさき)神社に、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続らが祀られているのね。
個人的に好きな方は松岬神社の方で、日本庭園のような風情ある景色に見とれて、バシャバシャ写真を撮ってしまいました。
こちらは季節外れともいえそうな紅葉と鳥居。この紅葉はショウジョウカエデ(猩々楓)といい、春は紅色、夏に向けて葉が少しずつ緑に染まり、秋には橙色になるという季節の移ろいを楽しめる。
これらは米沢城公園の敷地内にあり、米沢城の敷地内には他に、
上杉謙信の遺骸を安置した御堂跡に
戊辰戦争や西南戦争で戦死した米沢藩士らを祀る招魂碑、
そして我らが伊達政宗公生誕の碑があります。ゆかりがあるとは聞いていたけど、まさかここで逢うとは思っていなかったわ・・・
博物館の存在は知らなかったで、でかい・・・
か、KAGAYAさんの企画展があるんそれは行かないと・・・
また近く米沢へ足を運ぶ動機ができました
最後は、本ブログ恒例の銅像で締めたいと思います
上杉謙信像。
上杉鷹山像。
鷹山はもういっちょ。なんだか穏やかそうな表情ですね。
上杉景勝と直江兼続像。右側が直江兼続での兜を持っている。
為せば成る
為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
なせばなる守を手に入れることができるのは、松岬神社だけ