9年目のキャリアに向き合って。 | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

お久しぶりです。

 

あえ?年度末・・・・・・絶望

 

お正月以降、何にも記事を上げていなかったことに驚きさんです。

本当は温めていた記事があったのだが・・・赤ちゃんぴえん

 

宮城は、3月の最終週まで雪の襲来に予断を許さない状況でしたが、週末に入ってようやく春が来たと感じられる気温になりました桜 とはいえ、4月に入ってからも最低気温は2℃とかの日がありますが・・・雪の結晶

 

まぁでも、今年は気温変化の激しい冬だったそうなので、季節感を勘違いした花の上に牡丹雪が積もるのは綺麗でしたけどね。

 

とまれ、令和5年度とも今日でおさらばです。

 

宮城に移住してもう1年が経つなんて、信じられないびっくり

 

あっという間の1年でした。

 

全く知らない土地の全く知らない県民性の人たちと初日から体当たりでぶつかり、日々難しい難しいと呟きながらなんとか向き合ってこられたかなという感じです。

ここ数年はわがしゃも人手不足が続き(だからこそ「窓際社員も働かせよ」と改革どころかやらせる順番が違うんだよ!と思わせるほどの社内ニートの脱し方ができたわけですが)、とにもかくにも巻き込まれる、目の前にはピンチしかない、そして膨大な後処理が待っているという感じなのですが、まぁまぁ、新たな難題は年度明けに迫りつつも年度内のものは持ち越さずに済んだかなと思います。

 

令和6年度は私が今の立場になって初めてフルメンバーになると同時に、久々に『先輩』ができるキョロキョロ

更には、施設のトップが女性に当たるということで、はてさて、どうなるかというところです大あくび

 

きちんと仕事をするようになってからは(苦笑)別に先輩もおらず、ある意味一人でうんうん言いながらやってきたので、

先輩と足並み揃えながらやっていけるかしらとか

 

女性のトップはヒステリックで融通が利かず、部下を育てる器量のない印象が強いので(ヒドイ)、

上司を見下した態度が出てしまわないかが少し心配です(爆)

 

(ココだけに秘めておきたい自身の感情ですが、女性の管理職って誰が幸せになるんだろうと内心思っています。管理職を推していくなら、『女性ならではの視点』というのを組織運営などと切り分けて考えられるようにしないと難しいと思う。いっときの感情や非言語コミュニケーションで組織が振り回されるのは困りもので、もちろんそれは自身へのブーメランでもありますゲラゲラ)

 

逆に考えると、自分が職場に適応できなかった頃の環境に戻るわけですが

あの頃の自分と違うのは

 

・前回の職場で、上司の在り方というのを見ることができた


・同時に、自身の在り方を見つめることができた


・併せて、自分の心の課題や引っかかりがわかった
 

・癒されたし、癒され方やセルフケアの方法が見えてきた
 

・業務そのものについては、無茶振りやピンチヒッターはとりあえず「やった」という実績ができた

 

・とりあえず「やりはして」、少なくとも2年間は以前のような病み方はしなかった

 

・そのため、なんや文句を言われても蚊に刺された程度にしか感じなくなった (文句を言う人も殆どいませんでしたが。たぶん、背に腹は代えられなかったのでしょう)
 

・頑張りどきや頑張りどころというのが見えてきた

 

・一方、他人への頼りどきや頼り方が少しずつわかってきた (依存でなくてね)

 

・自分が抱かれている印象や、自分に求められているもの、自身の役回りというのが見えてきた

 

・自身の役回りや一応の実績から、多少なりとも自信はつき、自分の気持ちに素直になれるようになってきた

(これまで実は自分の気持ちに素直でなかったことにようやく気づいた)

 

・自分の気持ちに素直な行動を取れるようになってきた

 

・素直な自分と求められる自分を保つために、刹那的な生き方を自然としなくなった

(え、思ったよりいっぱいあった!)

 

これだけの武器を身につけることができたので、うまく立ち回れるかは別として、たくましく生き残ることはできそうです。

つくづく感じるのは、自分の生き方がそのまま仕事の仕方にも影響してくるという点です。そのことを知れたことが、この数年の最大の収穫です。

私にとっては、人手不足の時代様様ですお願い というか、こういうピンチをチャンスに変える発想を持たないときっと一生ダメなままでした。

 

つらい時期を一緒に過ごした後輩はリセット症候群を再発し、いつの間にか辞めてしまっていました・・・・・・ドクロ 辞めるのは別に私がさみしいだけであってそれそのものはいいんですが、健全な辞め方とは思えない要素満載なので心配です。ま、リセットされているのでコンタクトを取ることもできませんし気にしても仕方ありませんけどね。

 

自分が指導係になったときの若手が元気に働いているのが救いではあります。その人自身の心の強さだとは思いますが、特に新卒だと、頼りになる環境がどれだけあるかにも左右される気がします。
 

令和6年度からは、ピンチヒッターではなく一つの事業を任される本来のキャリアルートにようやく乗っかります。遠回りというか順番が逆なのですが炎まぁ、ゴールが間に合えば良しとしましょう(何様)

 

悲しすぎて5年目以降の自分のキャリアプランは考えないようにしていましたが、いつの間にか9年目に突入しようとしています。

 

今でも社内のキャリアプランは敢えて立てないようにしています。

ただ、本来のキャリアルートに乗ったことで、基本ひとりで目の前に迫り来ることに対応するのが主だったこれまでのやり方と勝手が違うので、そこは気をつけないとと思う。これからはチームプレイが特に重要な部署。

 

まだまだ足りないところ。これから身につけるところ。それは、

 

    

他人に過保護になるのではなく、

敢えて手を出さなかったり、遠くにいたり、

任せたり、頼ること。

 

いつの間にか、かつての病んだときの上司と同じことをしているんだよなあ。

先述の「先輩と足並みを揃える」も、先輩のことぜんぜんあてにしとらんだろって感じだし。

でも、ほっといてもやっていける人はやっていけるというのを、指導した後輩二人が教えてくれたような気がします。

 

心理的安全性さえ保っておけば。

 

求められる役割や巡ってくる役回りは、安全基地としてどでーんと構えていて、ある意味余裕をぶっこいていて、物事を大局的に見て、本質を掴むことができ、要所で的確な指針を示す人。

 

だから、余力を残しておかないといけないし、死ぬこと以外は掠り傷の精神でいかないと身がもたないし、死ぬこと以外は掠り傷の精神で相手にゆだねないと求められる役割は果たせない。それに、自分の役割を信頼して任せてもらえないって何のために自分はここにいるんだろ?ってやっぱりなるよな。

 

令和5年度は、ていねいな暮らしとまではいかなかったけど、洗濯物を溜めない、湯船に極力浸かる、床に物を置きっぱなしにしないという最低限の暮らしはできたので、令和6年度はプライベートな時間の過ごし方に困らないような余裕を持った仕事の仕方をしたいと思います。

でうく・・・おまえはもう若くはない・・・・・・昇天とは思わないようにしていますが(笑)、自分がかねてから望んでいた選択権のある働き方は、意外と他人は望んでいないし、いないと結構死活問題だけど今やそれを重視している人は少なくなっているのでまあ伸ばせばウリになるか的な。

 

宮城に移住してから完全にテレビ離れし、YouTubeやInstagramに移行した民ですが、インフルエンサーたちの独立心やセルフプロデュース力はつくづくすごいと思い、目を瞠って見ておる。

彼らは日本がどうなっても生き残れる民だろうなと思って見ていますが、そうではない民たちもこの世の中にはおるしな・・・とも思ったり。

 

私もまだまだ油断はしていないので、ほへぇ学ぶことはまだまだいっぱいあるなぁと思って見ています。

 

とりあえずびっくりマークまぁ人生の目標である「楽に生きる」に一歩、人生は近づいたと信じてびっくりマークびっくりマーク

 

長くなりましたが、令和5年度所感と令和6年度に向けての抱負でした。

 

 

 

ん~んやっぱりあの頃とは違うんだな~