“朝鮮出兵において、殊更に清正が取り沙汰されるのは何故だろうと長年不思議に思っていた。
でも、敢えて触れずにいた。触れると何かと言いたくなるだろうし、言ってしまうと火種になってしまうとなんとなくわかっていたから―――”
と、まぁ、ハイ。なんとなくセンチメンタルな導入にしてみました。
ええ、調べていくうちにね、なんとなくその理由もわかってきましたよ
実はわれらが熊本南の大将・小西行長も同じような役割の重さで朝鮮を攻めていたりもするのですが、どちらも秀吉のお気に、秀吉は二人に対してそれぞれ、相反する指令を出していたそうです。
「武断派」の清正には、あくまで武力による征伐を。
「文治派」の小西には、交渉による平和的な解決を。
これは、秀吉が清正と小西のそれぞれの性格を考慮してのものだと考えられていますが、朝鮮出兵の魁を担う二人、そして肥後の南北を統治する者同士、競わせて勢力を大きくしようとしていたともいわれています。
しかしながら、そもそも秀吉の朝鮮平定の野望が無謀だったので、どちらもうまくいかず。おまけに、清正と小西の不仲は決定的なものになってしまったのでした。
小西は秀吉の方針に逆らおうとしましたが、清正はあくまで秀吉の方針に従おうとした。清正のこの忠誠心が、朝鮮での虎退治の伝説も生み出したようです。
日本人としては、むしろ小西よりも清正の方が武士の鑑のようだ・・・と好印象ですが、一方から見た英雄はもう一方にとっては敵以外のなんでもない、の典型的な例でしょう。そのため、清正は殊更に嫌われるんでしょうな。
そして、ただいたずらに人の命と平和な暮らし、貴重な文化を失わせただけと日朝韓三国とも否定的にみるこの朝鮮出兵、無論、清正と小西双方にも暗い影を落としましたが―――
①二人の王子とその家臣
清正の武士道精神溢れるエピソードはいくつか伝わっていて、それは朝鮮出兵時の朝鮮人とのやり取りでも表されています。
秀吉は、明(ミン。現在の中国で、秀吉の目的は明の征服であり朝鮮出兵はその過程に過ぎなかった)との交渉材料のために、明の従属国である朝鮮の王子を拉致するよう命令しました。それを実行したのが清正です。だからことさら朝鮮に嫌われるのかもね。
こうして、文禄の役の際に臨海君、順和君という二人の朝鮮の王子を捕らえます。少し蛇足を加えますと、この二人、朝鮮王室も頭を抱えるほどの問題児だったらしく、こと臨海君に至っては、王位継承権としては第一位であるにもかかわらず
朝鮮王「こやつを王にすると国がめちゃくちゃになってしまう・・・」
と、王位を与えなかったそうです。
はてさて、そんな横暴の限りを尽くしていた二人の王子、はるばる日本から来た歴戦の武人を前にして、さすがに縮みあがります。
そんななか・・・
清正「そう震えるでない。日本は仁義の国であるので、降伏した者には決して危害を加えない」
そう言って、丁重にもてなしたという記録があるそうです。
清正のこの行動の根幹には、彼が深く信仰していた日蓮宗の存在があったようで、朝鮮出兵の前にあった九州平定では、同じように当時の豪族・阿蘇氏(阿蘇神社の歴代宮司家系)の子どもを人質にした際も、丁重に扱い、必要な教育も施したとのことです。そしてこの子どもは将来立派な大宮司となったのだからスゴイ。
手厚くもてなされた二人の不良王子も、真の武人の顕現に
二王子「あ、アニキィ~~~!!!」
と、尊敬し、感謝状までしたためたのだという改心っぷり。
このエピソードで面白いのは、ここまではあくまで(私にとっては)前段に過ぎず、清正のこの日蓮の心は全く関係のない第三者の心まで動かしました。
良甫鑑「 尊 い ・・・・・・ ! ! ! 」
彼の名は良甫鑑(リャンポカム)。人質となった二王子に仕える近侍で、彼らとともに清正軍に捕らえられたのでした。
良甫鑑「清正様!!このわたくしめを日本に連れ帰り、是非!!!
あなたの下で働かせてください!!!」
そう、彼はすっかり清正推しとなってしまったのです。
清正(・・・えっ、誰・・・?)
結果、清正は二人の王子は早々に解放しますが、日本についていくと言ったこの良甫鑑については、彼の希望どおり日本に連れ帰ります。そして、金宦(=金官、会計係)に任じ、側近として手元に置きました。
二人の王子どうするん。
それから良甫鑑は清正より200石を賜り、推しを眺めながら幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
ねぇ、二人の王子は??
ちなみに、彼は清正が亡くなった後に清正を追って殉死しており、清正への心酔は本物であったことがわかります。
この良甫鑑の墓は加藤清正を祀る本妙寺の、清正の本体があるとされる浄池廟の隣に建てられています。
本妙寺内にある良甫鑑の墓(『朝鮮人金宦墓』)。
本妙寺全体の写真は、また別の機会にアップしたいと思います。
すんごく猫に懐かれたお墓でした。良甫鑑の人柄を表しているのかもしれませんね。
今回はここまで!次回も清正ときどき行長と、朝鮮人の関わりについて触れていきたいと思います~。