は せ べ ・・・ (追記あり) | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

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全国の集まりの土産に買った、岐阜の地酒。酒一つ取っても織田 信長そして濃姫(むしろ信長以外のパッケージの酒を見つける方が難しい!)。普通に織田家の家紋や信長の像を見るのが日常になっていて何の疑問も抱かなくなってきていましたが、岐阜市の信長愛、洗脳の域か!

天下布武、尾張から京への通り道に使われたに過ぎぬのに、どうしてこんなに市民が信長を慕うのか不思議です。しかし、信長さまがいつも傍にいるという感覚は、(こうも主張されていたら)わかるぞ・・・・・・

 

 

「兼定とゆかりがある刀剣のまち関美濃地方に住んでおきながら、刀剣乱舞を知らないのは人生かなり損しているぞ!」と言われ
 
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こんな感じでひたすらとうらぶのスタンプをLINEで送られてくる日々が続き、知らず知らずのうちに刷り込み作業が行われていたところで続花丸のアニメが始まり、遂に沼に突き落とされました。おかしい・・・こんなはずでは・・・・・・

 

そんなことを私と同時期に関東から東海へ引っ越した友人にぼやいていたら、「そうか・・・それで、君はどの刀にはまってしまったの?」とそれとなく聞かれ、聞かれるがまま「うーん・・・肥後細川(歌仙兼定・小夜左文字・同田貫正国+蛍丸)もいいけれど、今は岐阜にいるし、織田組(へし切長谷部・宗三左文字・薬研藤四郎)に目がいってしまうかなぁ・・・特に長谷部、あれはいいねと答えたところ、何故か「オーケー」という言葉が返ってきて

 

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こんな感じで、翌日にはいくつものへし切長谷部グッズが友人から贈られてきました。洗脳か。

「さすがに悪いよ!これらいくらしたの!てか日常でつけていても違和感ないおしゃれなグッズ多いな!」と言って突き返そうとしたのですが

「大丈夫!私は(燭台切)光忠をいっぱい持ってるから!君が長谷部をいつでも近くで感じられるようグッズは選定したよ!同志だからね、色々と力になりたいよね!」と言われ

あ、スタンプ送ってくるやつより重度の人間だった・・・とどめをさす側の人間だったわ・・・と腹を括りました。

ねぇ、知ってる?人間、相手が自分の色に染まっていくと快感を抱くんだって!3人から証言取れたからもうこれは嘘じゃないと思うわ。

 

 

お礼に、というかもともと約束をしていて、その友人に岐阜城を案内しました。

ここまで人気が出ていながら岐阜市は何にも言わないため、本当かどうかはわかりませんが、長谷部がゲーム内で言及するという「信長が黒田にへし切長谷部を下げ渡した」場所は史実では岐阜城ということになるらしい。・・・正直、ゲームの長谷部が何故いろいろと信長に執着していたのか、岐阜市民が信長を慕う理由ばりに不思議ですが、いずれにしろ、信長さまは罪つくりなお人ということですね。

 

この日の天気が晴れであることを確認して岐阜城を提案したハズなのですが、いざ岐阜城に近づくと第六天魔王の天候を操る能力か、天候が急変し雨を通り越して雪が降り始め、私たちが天守に辿り着く頃には軽く吹雪いておりました。

 

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その上その友人が高所恐怖症であることが判明し、しかも天守までの道はそもそもの足場が悪いこともあり

 

友人P「ひいい!狂ってる!こんなところに天守なんて造る信長は狂ってるよおぉ!!」

 

と、叫んでおりました。

 

私「あはは!私も初めて、しかも初夏に上った時点でこいつぁ頭おかしいと思ったさ!でも信長だよ?あの信長だよ?信長がまともなの造る方が頭おかしいと思わないかい?」(←まず謝れ)

 

 

「信長だから」は魔法の言葉だと思います。

 

 

しかし、天守そのものは楽しんでもらえたようで

 

友人P「Dさん!おさふねが!備州長船(燭台切光忠・鶯丸などの系列なのだそう)がいる!!展示されてるよ!!」

 

私「?そう・・・(おさふね???)」

 

とにかく、恐怖をおして登城したPが楽しめて良かったです。

 

 

観光の視点が完全にオタクの聖地巡礼になったので、その余韻を大切にして締めの観光地は岐阜駅加納口のアニメイト岐阜店にしました。

 

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岐阜店では宗左左文字と信長→森 蘭丸に下賜された不動行光のパネルが顕現しています。

織田組ファンよ!本能寺も安土もいいけど、ぜひ岐阜にも巡礼あれ!岐阜城も、城の麓なら人を選ばないから!(爆)

 

 

 

そんな私は近く熊本に帰る用事があり、通り道の福岡でまた別の友人と会う約束をしているのですが、福岡といえば黒田・・・日本号の展示に連れていってくれるという話をしています(悲しいことにへし切長谷部は既に展示期間終了している・・・)。本当に・・・・・・全国規模・・・・・・そして、そういう展示物を見るたびにいつも思うのは

 

(見たところで違いや価値がよくわかんねえ・・・・・・はもん、だと?スタンドしか聞き覚えがないな・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

P.S. (2018/2/19ついき)

昨日の続花丸はなんと、黒田組(長谷部・日本号・博多藤四郎)博多山笠の話でした~o(〃^▽^〃)o

 

視聴後、テンションがなかなか下がらず、寝つけなくてスマホでネットサーフィンをしていたら、岐阜市もきちんと長谷部の下賜のことを認知しており、昨年、信長の「岐阜」命名450年記念イベントの際に岐阜城城下で名古屋城おもてなし武将隊の織田 信長による熊本城おもてなし武将隊の黒田 官兵衛へのへし切長谷部授与式(再現)があったことがわかりました。え?情報量が多くてなんだかよくわからない?私もだよ。

 

あったんですよ!「岐阜」命名450年記念イベントたるものが!!(まずそこ!?でも知らない人多いでしょ!←暴言) 熊本城おもてなし武将隊が岐阜に来るとか来ないとか確かに言ってた気がする!その時、私は熊本にいたのか岐阜にいたのか微妙です。

奇しくも、へし切長谷部が黒田に下げ渡されたのも昨年がちょうど450年前だったそうです。信長が岐阜城(当時は稲葉山城)を手に入れたのもまた同じ年なので(稲葉山城の戦い)、長谷部は殆ど岐阜城にはおらず、右から左に流れていった・・・これが機動おばけか・・・

 

どうでもいいけど、熊本城おもてなし武将隊の黒田 官兵衛さんは近くで何度も見たことのある人なので一方的に親近感を抱いています。熊本城周辺にさえいれば無計画に歩いていても遭遇率が高かった。ボランティアガイドをやってもらったこともあります。ぜひとも今後も中の人には黒田 官兵衛にとり憑かれていてほしいものですね。

 

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写真を撮らせてもらったこともあるんだで!(左端が官兵衛さん)