げんき!ゆうき!!とどろき!!!
思いの外すんなり宇土に舞い戻ることになり、拍子抜けしたでうくです。
今回は、前回行けなくて未練となっていた宇土市の轟地区に行ってまいりました。
というのも、私の先祖たちが昔轟地区にはよく行っていて、水源で水を汲んでいたそうだからです。
宇土市には緑川という川が流れていますが、宇土は半島のため海が近く、川の水に海水が混じってしまい、飲み水に困る土壌でした。そのようななか市民の生活の助けとなったのが、轟水源です。
寛文3(1663)年、細川 忠興の孫であり熊本藩支藩宇土藩の初代藩主・細川 行孝(ゆきたか)が轟水源から武家屋敷(現在の宇土市街本町通り。武家屋敷は現在でも面影を残しているよ)にかけて4.8kmの上水道(轟泉水道)を造り、明和8(1771)年に改修工事をして以来、約250年にわたって使われ続けている日本最古の現役上水道です。
日本の名水百選の一つでもありますぞ。
三方を水に囲まれつつも、水に困った宇土半島。故か雨乞いが盛んに行われていたそうで、雨乞い大太鼓という伝統的な祭りが伝わっています。そういう訳で、次の場所大太鼓収蔵館へ。
入口の戸を開いた瞬間この圧巻。
宇土にあった各地域26基の大太鼓(上古閑・伊無田(いむた)・松原(まつわら)・立岡(たちおか)・栗崎(くりざき)・平木・築籠(ついごめ)・椿原(つばわら)・宮庄(みやのしょう)・上新開(かみしんがい)・北段原(きただんばら)・飯塚・笹原・城塚(じょうつか)・恵里(えり)・新川東・馬門(まかど)・猪白(いびゃく)・笠岩・中村・小舟(こぶね)・引の花(ひきのはな)・堂園(どうぞの)・下登・中登(なかのぼり)・寺登)が勢揃いしており、古いものは江戸期の天保のものから、新しいものでは昭和戦前のものまで展示されています。
左から、太鼓の皮を張り替えた際の負担金の過不足帳(文政9年)と、太鼓の皮の張り替えにかかる費用の村人への割り当て帳(文政9年、文化12年)。
左から、工役(土木工事等)の出納帳(大正15年)、太鼓張替費の領収書(昭和3年)、伊無田村の出納帳(昭和3年)。工役出納帳には太鼓の荷縄代金の、村の出納帳には太鼓の張替費用や修繕費の記載があり、大太鼓の管理の仕方が窺える史料です。
右に映り込んでいる笛は、雨乞いの際に大太鼓・鉦とともに使うもの。
収蔵館で最も大きいと思われる椿原地区の大太鼓。重さは1トンあると言われており、祭りの際には男性30人で持ち上げて移動するとのこと。
実は収蔵館にいた時、少し大きめの地震が来まして、この1トンの太鼓を背にして私は立っていたので結構バッチリびびりました…ちょっとさすがに1トン降ってきて勝てる気はしないわ…まだ私コナンさんみたく人間捨てきれてないから……
ちなみに、この雨乞い大太鼓については推しダンディの小泉 八雲先生も『夏の日の夢』という著書で触れており、初めて見た時のびっくりした心境などが描かれているそうです。
天保16年の油単(ゆたん)。油単というのは、油を染み込ませて太鼓に覆う布のことで、太鼓の皮を保護し乾燥を防ぐ効果があるのだそうです。
上古閑村の鉦(かね)。鉦は、大太鼓を叩く際のリズムを揃える際に使われました。
左から、工役(土木工事等)の出納帳(大正15年)、太鼓張替費の領収書(昭和3年)、伊無田村の出納帳(昭和3年)。工役出納帳には太鼓の荷縄代金の、村の出納帳には太鼓の張替費用や修繕費の記載があり、大太鼓の管理の仕方が窺える史料です。
右に映り込んでいる笛は、雨乞いの際に大太鼓・鉦とともに使うもの。
収蔵館で最も大きいと思われる椿原地区の大太鼓。重さは1トンあると言われており、祭りの際には男性30人で持ち上げて移動するとのこと。
実は収蔵館にいた時、少し大きめの地震が来まして、この1トンの太鼓を背にして私は立っていたので結構バッチリびびりました…ちょっとさすがに1トン降ってきて勝てる気はしないわ…まだ私コナンさんみたく人間捨てきれてないから……
ちなみに、この雨乞い大太鼓については推しダンディの小泉 八雲先生も『夏の日の夢』という著書で触れており、初めて見た時のびっくりした心境などが描かれているそうです。
収蔵館を出た後、収蔵館の裏に宇土細川家ゆかりの名所があることがわかったので、行ってみることに。そこは轟御殿と呼ばれる菩提所らしく、文久2(1862)年、第11代宇土藩主細川 立則(ちなみに熊本藩主よしくにさんの父・斉護さんは第9代宇土藩主)の隠居所となったために「御殿」と呼ばれるのだそうです。
ふむ?(入口)
ふむ?(入口)
御殿の正面を見ると…
んああ!?
こらあかん、(恐らく)震災当時のままじゃないの!!
入口に落ちていたでっかい石は、もともと塀の内側にあった燈籠の最上部が地震によって塀の外に飛び出してきたものだったのですね。だいぶ更地化が進んできたなと思っていた最近ですが、文化財に手をつけるのはまだまだ後のようですね。
しかし、植物というのは本当にたくましいもので、御殿の周囲に植えられた木々たちは元気も元気で、むしろ人間が手を出さないので大いに羽を伸ばしているようにすら見えました。新緑の季節ですしね。
秋の紅葉は絶対綺麗なハズですよ。でも、鮮やかな緑もかなり目を引きますよね。
今回は撮り損ねましたが、立則さんの隠居所時代の庭園跡がすぐそばにあるようで、飛び石などの池の形跡がありました。
そして、帰りの道すがら、なぜかトトロもいたとでした。