松村・永鳥兄弟ゆかりの場所を訪ねて②~顕彰碑~ | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

今回のドライブには玉名市とは特に関係のない各市の代表を付き合わせることになったので、私にしては珍しくそれなりの下調べをしました。
各々の都合でドライブの日が月曜になったので、博物館系は殆ど頼れないよなと考え、場所を絞り位置も特定した上で臨むつもりだったのですが、ある種最も拝みたい松村大成・永鳥三平顕彰碑が見つからない。どうも地図に示されない場所にあるらしく、最も具体的なヒントが「梅林小学校の近くにある唐平の児童公園」ということのみ。それ以上は特定できず、音を上げて玉名市に問い合わせたのですが玉名市からの返答はなく、「同田貫かッ!?同田貫関連だったらきちんと返答してくれるのかッ!?人が擬人化に負ける時代が遂に来たのかッ!?」と一人嘆いておりました。単に師走で忙しかったからだと思うけどね・・・
とまれ、電話してまで聞くことでもないので、各市代表にお願いして梅林小学校の周辺をぐるぐる廻ることに。しかしそれでも、ラチが明かないのであります!

 

 

 

 

松村・永鳥顕彰碑

 

何ということでしょう!地図はといえばまっさらなのです!ま、マジで・・・・・・?

ここはリアルダーツの旅と決め込み、車を停めて第一(旧)村人を発見するべく張り込む。
少し経って現れた自転車に乗ったおじいちゃんに、「梅林小学校の近くに唐平の児童公園があると聞いたんですけど」と聞き込みをしたところ


おじいちゃん「・・・からひら?そぎゃん公園、初耳ばい!いったいいつできたとな!?」


な、なんだってー!?


返答までリアルダーツの旅狙わなくていいのに!わけがわからないよ!

結局、何の手がかりも得られぬまま彷徨い走った後、不審者扱いされる覚悟で梅林小学校(ばいりんしょうがっこう)の敷地にお邪魔し、職員さんに訊いてみることに。
小学校の玄関に入ってすぐが校長室となっており、職員会議を行う窓から訪問者が丸見えというセキュリティ万全のシステムの中先生方の猛禽類のような視線を感じながら

私たち「とっ、突然すみません・・・私たち、松村 大成・永鳥 三平両先生の顕彰碑を探しておりまして・・・」

職員さん「?ながとり・・・?」

あ、この職員さんも永鳥さんの方にはピンときていない。でも大成さんの方には「あっ、大成先生!」と表情が明るくなったので、どうも玉名の推しメンは大成先生の方らしいです。三平さんは早々に熊本城下の永鳥家に嫁いで(リアルに間違えたよ・・・すべてミッツのせい!
爆)婿に入っているので、玉名市民という認識は大成先生ほど高くはないのかもしれませんね。

そしてこの松村 大成さん、玉名の村人にはずいぶんと慕われていたようで・・・


もともと松村家そのものが玉名屈指のお金持ちの医者の家系であり、玉名地域で製薬を始めたのもこの家系と考えられているそうです。大成さんのおじいさんにあたる第4代・寿貞さんが『正錦丸(うりきぬくすり)』、大成さん自身も『赤玉復調丸』を開発。
大成さん、三平さんともに富田 大鳳(とみた・たいほう)という人から医学を学んでおり、この人は医者であると同時に肥後国学の祖でもありました(宮部さんも医家の出なのでこの人に学んでもいます)。
肥後国学はこの富田 大鳳による医者ベースの攘夷学と林 桜園らによる神道ベースの尊皇学の二本柱でできており、それらが関係しあって尊皇攘夷を形成しているので、富田 大鳳の教えを入口に松村・永鳥兄弟は志士活動に関わっていくことになります。


永鳥さんが藩外で吉田 松陰、佐久間 象山、梅田 雲浜などの大物たちと人脈づくりに勤しんだのに対し、大成さんはあくまで拠点を安楽寺の自宅に置き、宮部、永鳥、轟ら肥後勤皇党の藩外活動の資金援助の他、松田(重助)、久留米の真木和泉、福岡の平野 国臣ら九州の脱藩志士を匿うなど、陰でのサポートに徹しました。清河 八郎が文久元年暮れに九州遊説に来た時にはその応対をし、「とかく肥後の方々は議論が多くて実行が少ない」と批判した清河も、「しかし、松村と河上(彦斎)の両人は違い、やる気と勇気がある」と、好ましい評価をしています(でも、この後に「松村はその割に金を出してくれないし河上の奴は考えが浅薄だから困る」という「べっ、別にあんたたちのことを認めたわけじゃないんだからねっ!」的な痛烈清河ツンデレ節が続いていて、手放しでは喜べません)。

文久3年頃にもなると「玉名の松村家といえば、九州尊攘派のアジトである」という周囲の認識も強くなり、八月十八日の政変を機に兄弟揃って藩に逮捕されますが、なんとネタに尽きない彼らよ(特に三平しゃんはやっぱり期待を裏切らない!)、獄中で彼らに関する面白いものを見たという人がいて、その記録も見つけたので、他の獄中話と併せ「獄中の人情話」として別記事をまた作りたいと思います。



とりあえず本記事では話を戻して、


私たち「はい。その顕彰碑がこの小学校の近くの唐平の児童公園にあると聞いたんですけど・・・」

職員さん「からひら・・・?ああ、それはですね、とうのひらと読むんですよ」


!!!??


出た!難読地名あるある!!我らの敗因は、これほど熊本県民を各種取り揃えておきながら、その中に県北をカバーする出身者がいなかったことだ!!

職員さん「それでですね、とうのひらという地名は今はなくて、あの公園のことを子どもたちはひらの公園と呼んでいますよ」

 

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行ってみた。「梅林児童公園」


なんでだよ。


っ待て待て待ていっ!!「ひらの」って名はどっからきたっ!!?
いつの時代の子どもたちが呼んでいたのだいいぃぃっ!?
(職員さんは若いかただったので、恐らくは今の子どもたち)
は、はっ・・・子どもたちの発想力にはおいたん負けるぜぃ・・・・・・

こうし市民「これは・・・・・・絶対に着けないね・・・・・・」

やつしろ市民「本当に・・・・・・地図にない公園の一角だったな・・・・・・」

私「みんな、ありがとう・・・・・・ここに来ることができたのは奇跡だよ・・・・・・」

 

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左側にあるのが松村大成・永鳥三平顕彰碑
 

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顕彰碑とうき市民の身長比較。顕彰碑のでかさがとにかく際立ちます。
 

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うき市民が解読していた碑文の説明。大成・三平兄弟の出自と活動についてざっと記されています。
 
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碑のアップと碑の裏側。

この日は学校の日だったせいか、子どもたちが遊んでいる姿を見ることはありませんでしたが、入口の狭さの割に奥行きの広い公園で、そりスキーできる大きな坂が奥にはあって、坂を滑り下りた先にも遊具がありました。

うき市民「子どもたちを見守る感じで、いいよね」

あぁた、いいこと言いますな。

時間も時間になったので、ほっこりとした気持ちで熊本市に南下。玉名訪問を終えたのでした。
帰宅してからGoogleの航空地図で碑の位置を探してみると、悲しいくらいあっさりと住所が出てきたので記しておきます・・・
松村大成・永鳥三平顕彰碑(梅林児童公園):熊本県玉名市下1899
駐車場は当然のようにありません・・・
興味を持った物好きなかたはぜひ行ってみてください。