松村・永鳥兄弟ゆかりの場所を訪ねて①~梅林天満宮~ | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

デパートを歩いていたらくまモンと出会いました。
 

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怖っ。そしてシュール。
これでは県民ではなくただのファンではないか。

さて、去る12月21日、
行く行く詐欺にならぬように帰省早々地元の八代市民(やつしろ、八代 亜紀の出身地の人)と宇城市民(うき、小西 行長の家老の子孫というスゴイ人)と合志市民(こうし、『すごいよ!!マサルさん』の作者の出身地の人)を巻き込んで永鳥さんゆかりの玉名市に行ってきました。なにこの県民のサラダボール。
 

JAマップ
JAのHPより引用。市の分類も大まかにはこんな感じ。合志市はJA熊本市とJA菊地(菊池)の間にありますが、新しい市なのでJAの地図には載ってない。


玉名市(たまなし)は藩政時代、高瀬藩と呼ばれる肥後藩の支藩で(慶応4年までは熊本新田藩)、大坂の
蔵屋敷に運ぶ年貢米の流通場所として賑わう地域でした。とにかく歴史の深い地域で、脱線しない長さで説明してみると、古墳や温泉、1000年以上続く神社がざくざく出てきて、菊池市との距離の近さから菊池一族ゆかりの寺社が多いです。
夏目 漱石が奥さんと喧嘩し、家出して当てどもなく彷徨って辿り着いた先が実はこの玉名市で、
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。~」の冒頭で有名な『草枕』の舞台にもなりました。


私たちが行ったのは玉名市の中でも 安楽寺 という地区で、安楽寺という名は天満宮安楽寺(現在の梅林天満宮)を指しています。そこが永鳥さん(というか三平さんの実家である松村家)のゆかりの神社です。といってもピンとくる人がどれだけいるか。

 

たまなし

 

九州新幹線新玉名駅が最寄りの駅。降りた後でもひたすらな田んぼ道を2km以上進む完全なる車社会。私たちも今回は車で行きました。
 

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ここから参道。上の鉄橋では普通に九州新幹線が走っておりました。個人的にはここに駅を造って欲しいのだが(爆)
 
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ちなみに同じ所から振り返るとこんな感じ。本当に田んぼの真ん中にぽつんと神社があるだけで、とても見晴らしのいい所でした。現在のこの場所には江戸時代初期に移ってきたとのこと。それ以前はもう少し東にある低い山の中(現在の出雲神社あたり?)にあり、佐々 成政治世の際に寺社焼き討ち令が出て当時の梅林天満宮含めたこの辺りの寺社は全て焼失してしまったのだとか。うおぉぉい淳次郎さん!?
 
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梅林天満宮(ばいりんてんまんぐう)は承平6(936)年の建立とされ、太宰府天満宮から菅原 道真の分霊を勧請した最古の神社だそうです。松村家は学問の神にあたるこの道真公を崇拝していて、この神社を参詣する他、永鳥の兄・大成一家が本社である太宰府天満宮に行った『北筑日記』が現存しているそう。
 
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楼門。
 
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拝殿。

鳥居、楼門、本殿、拝殿は江戸時代に移築した当時のもので、国の登録有形文化財に指定されています。

 
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本殿には道真公の句もある百人一首のパネルがぐるりと。きちんと100枚あるそうです。

ここ数年の人間社会からの隔絶っぷりで人見知り度が増しているので、歴女ならぬレフ女を装い撮るだけ撮って帰ろうと思ったのですが、社務所(とありましたが普通に神主さんのおうちでした)を訪ねねばお守りを買えない事実を前に、観念してインターホンを押しました。

至って民家の玄関に転がる三輪車の隣で、

神主さん「どの祈願のお守りをお買い求めですか?」

現物が広げてあってその中から選び取る一般的な神社の形式とは違い、目的を言って奥から取ってきてもらう形式に戸惑った私、思わず

私「え?えっと・・・えっと・・・じゃあ、健康祈願で」

神主さんの表情からツッコミが読み取れた!そこは学業祈願だろう。

信心のなさを見透かされつつ結局お守り全種類持ってきてもらい、結果、健康祈願のお守りを買いました。ごめんなさい、神主さん。
学業祈願のお守りでもよかったんだけど、試験の結果がついこないだ出たところな上に健康にちょっと難があったのよ。
そして健康祈願のお守りが、目を引く綺麗なデザインだった。
学業祈願はスタンダードに白の布地に梅の紋の天満宮を代表するデザインで、そちらももちろん美しかったのだけれども、健康祈願のお守りは個性があって、とても上品でした。

 
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こちらです。この神社の神主さんはかなりしっかりされたかたで、「祈願をしたらその後の報告をきちんとしに来てくださいね」と念を押されました。ま、また来るってことは、永鳥さんたちとはもう切っては切れない関係に!?←
この神社は成政入国の前まで菊池氏の庇護を受けていたということで(菊池氏は天皇家との繋がりが深い)、昔ながらの信心と風習を厳格に守り続けているようでした。

 
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御朱印もいただきました。

御朱印代を払おうとしたら、「御朱印のお金は拝殿の賽銭箱にお納めください(参詣の証を道真公に報告してください)」と言われました。そのまま拝殿の中まで案内してくださり、当時の絵馬(大きな額に描かれているもの)や流鏑馬の写真などを見せてくださいました。

流鏑馬は熊本県では現在、出水神社(おっと
あさと絵文字:LINK記事があるようだ)と阿蘇神社、そしてこの梅林天満宮で続けられているそうですが、この梅林天満宮のみ今でも当時と同じ鉄の矢尻を用いて行うとのことで(他二社はプラスチック製や吸盤型の矢尻を使用する)、11月25日の例大祭での流鏑馬奉納の際には怪我人が出ないよう細心の注意を払うのだとか。元は菊池氏による戦法の一つだったものが農村儀礼に変化したと考えられており、氏子にあたる周辺住民の方々が持ち回りで流鏑馬をするそうです。
 
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鳥居の前の道(若干の人影がありますがそこの道)が馬場にあたり、そこに三つの的を立てて矢を放つのだそう。この流鏑馬奉納もまた、熊本県および玉名市の無形民俗文化財に指定されています。
 
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神社内に戻って、拝殿の隣に建つ慰霊塔。安楽寺地区が梅林村と呼ばれていた頃に国に尽くした士たちを祀ったものでした。ちょうどいい機会だったので、松村 大成・永鳥 三平兄弟についても尋ねてみたところ、永鳥さんの名にピンときておられないことは意外でしたが、大成さんのことはさすがによく知られていて、大成さんの後裔のかたは現在大阪に移住されており、安楽寺地区には旧家のみ残っているとのこと。毎年7月後半に参詣のためこちらに戻って来て、地元の子どもたちのために一日だけ旧家を開放するのが慣例となっているそうです。永鳥の兄・松村 大成についてもそろそろきちんとした説明をしないと何者かわからなくなる頃だと思うので、次回の記事あたりに詳しく触れたいと思います。



と、いうことで次回につづく。次回は、「地図にない場所!リアル第一村人に聞いてみた!松村大成・永鳥三平顕彰碑を探す!!」をお送りします(爆)