うふふ!私もようやく行ってきましたよ、水戸!
さすが関東平野、広かった・・・・・・!
日帰り、慣れぬ地ということで、庭園好きのYと藩校好きの私が一つずつ候補を出し合って、どちらも烈公こと徳川 斉昭さんが出発点である偕楽園好文亭と藩校弘道館に行きました。さぁ助さん格さん、レッツゴー!
まずは、偕楽園。天保13(1842)年7月開園。
有名な割にはそれほど人がいないな、と思ったのですが、梅の開花時期でなくとも太郎杉や吐玉泉には次々と人が集まって来ていたので、単純に広い敷地に皆散らばっていただけだったという(笑)
吐玉泉。「なんか必殺技にあるくない!?とぎょくせん!!」とポーズを取ったら、「ハイハイ」と流され置いていかれました。最近はTwitter画像どころか、エプソンアクアパークのイルカもかめはめ波ポーズをしたら吹っ飛んでくれるのに。ひどい・・・
好文亭です。1851年に松陰先生も訪れたとか。好文亭を訪れる2日前に宮部さん&江幡 五郎さんと合流しているので、もしや宮部さんもその時一緒にここに来ていたかも?
\こんにちはー/
配膳用滑車昇降機用に通された穴でーした!これはなかなか面白い。
いい景色です。水戸って雪積もるっけ?そいでもって、雪の残る時期に梅って咲きますっけ?
よくわかんないけど(爆)、白雪と紅梅のコントラストを眺めてみたいものだなと思ったのでした。
弘道館です。こちらは、天保12(1841)年8月に開館でしたね。
弘道館の当時の広さにも驚いたものですが、ここが学校だけでなく役所の機能も持っていたことを初めて知り、ビックリ。就学年齢も15歳ということで、時習館などと比べるとだいぶ遅め。どうやら、一から育てるのではなくある程度の教養が既にある人を対象に開かれた学校だったようですね。様々な意味で「大人のための藩校」。
正庁諸役会所(役所における客通しの間)前。
いただきました!例の「尊攘」の文字!なんて美しいの!今夜からこの写真を抱いて寝る!(爆)
奇跡的に人がいなかったので、パシャリ。
こちらも来たら撮るべき!な烈公梅。東日本の歴史にとんと疎い私が「れっこうばい」が何かを知らず、これまで「レッツバイコー!レツバイコー!」と間違えて連呼していたことは内緒な・・・
雲一つない青空を背景に、正庁!いやぁ、やっぱり空が晴れているって、いいですよね。
前記事で「たまには澄んだ空をバックに撮りたいな」と言った矢先のこれなので、感動もひとしおです。
そういえば、他のかたの撮られた水戸の写真も空が真っ青で綺麗だったな・・・周りに山など遮るものがないから、より空の青が映えるのでしょうか?それとも烈公の力?Oh...
いずれにしても、遠出するのに久々の快晴だったのでとても嬉しかったです。水戸は大雨の被害も少ないようでよかった。
帰りは弘道館正門前から右へ曲がり、城下町を散策して水戸駅へ。
水戸城および弘道館の敷地は、戦後まで茨城師範学校などが置かれ、現在でも小学校から高校までの教育施設が集中しています。つまり、この地区の6歳から18歳の子どもたちは毎日弘道館を横に見ながら通学するということで。。。
Y「最長で12年も旧藩教育を意識しながら教育を受けるってこと?それはヤダな・・・」
私「・・・だね」
そういう捉え方もある
特に、高校は敷地の中に本丸跡の碑や門などがあって、一瞬「??入っていいのかな?」なんてことも。
いいんです。
高校の敷地内にある旧水戸城薬医門。なんと、築造は桃山期のもの!水戸城も、城としての基礎ができたのは鎌倉期からで、源 頼朝の命令で居館が築かれたのが始まりだそうです。
この門から先はさすがに行けません
薬医門から坂を下って行くと、義公(黄門さま)生誕の地。写真を撮るのにちょっと近づきすぎたので、チャリンしてお詫びしてきました。
そのまま大通りへ出ると、右手に駅がもう見えている。
本日の収穫はこちら!
Y「・・・もう郷土史家になったら?」私「ヤダよ」
水戸についての勉強はこれから!弘道館の教育が特に気になるところですが、いい加減水戸学を本腰入れて勉強したいですね。でないと、話を書くにもわからないことだらけ。。。
と言いつつ、最近は純粋に興味を持ち、学びたいと思い始めています。学問てな、奥が深い・・・・・・
『水戸藩弘道館とその教育』(名越時正)。こういった、ランキングを取ったものを見ると、何気に何に関しても加賀藩が上位に食い込んでいる・・・・・・さすがは加賀100万石や・・・・・・