ぶらり途中下車の旅・内子 | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

はてさて、愛媛たびにっき3日目。実はこの日の朝までどこに行くか決めていませんでした。
 

55分


車内で迷っているうちに電車は伊予大洲駅を通過。あぁ!大洲城行きたかったん!涙
あと、八幡浜駅に電車が停車した時は下車してオレンジフェリーで大分に渡りたくなりました。

ともあれ、
内子町に到着。ここには、内子座と呼ばれる劇場があって、それ見たさにこの駅に降り立ったんですよねはーと
しかし、この行き当たりばったりの移動が、計画を(ないんだけどふーん)早くも狂わせてゆく・・・・・・



「え、内子座開いていないんですか?」

 

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内子町は、江戸時代から大正にかけて木蝋、和紙などで栄えた地で、写真の模型のように畑を持った町家が軒を連ねて通りを形成していたそうです。愛媛県は「伊予八藩」と呼ばれ、旧藩時代は8人の小大名が各地を支配しており、内子は大洲藩に属していました。そのため、宇和島とは全く違う文化を持っていてこれまた面白い。理解が追いつくのがなかなか大変ではありますが。。。

上の模型がある『商いと暮らし博物館』は、内子の成り立ちからそこに住んだ商人の暮らしまで(建物そのものがそこにあった商家をそのまま使っています)ガッツリ学べるところで、内子に着いたらまず行くべきはここだなと思いました。

 

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資料も結構充実しているので知識欲も満たせますし

 

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当時の暮らしの再現。この人形たちね、人を感知すると喋り出すんですよ!全体的にからくりっぽいし、敷地も広く上に高く自由に動き回れるので子どもも退屈しないと思うんです!
宇和島の名所もそうだったんですけど、まず順路がないんですね。んで、立ち入り禁止の区域も極めて少ない。旧家や庭園などを訪ねると、2階以上は非公開とかこの道は行けないとか庭に入るのは禁止だとかがどうしても多いんですけど(仕方のないことです)、宇和島も、そしてここ内子も解放施設は殆ど全面開放しており撮影可のところも多いです。その分、自らの節度との戦いになるんですがね。



博物館で基礎知識を頭に入れた後は、内子の木蝋産業、はたまた木蝋のMade in Japanの救世主と言っても過言ではない豪商の旧邸に行って、すぐに理解を深めるのがおすすめ。その旧邸は伝統的建築物保存地区の中にあるのだという。。。

ではでは、足早にそちらへ進みましょう。(と言っても、実際は博物館に1時間以上いたんですけどね・・・苦笑)

んでですね、また、伝統的建築物保存地区に入るまでの道にもこんな

 

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下芳我邸(しもはがてい)。何の変哲もない蕎麦屋さんですが、この名前と外観をぜひとも頭の片隅に入れておいていただければと・・・rabbit^‐^;苦笑
 

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高橋邸。アサヒビールおよびサッポロビールの元社長で、ビールを日本に大衆化させた高橋 龍太郎(1875~1967)の生家。現在はゲストハウスとして泊まることができ(1枚目の左側の大きな建物)、手頃な価格設定でカフェ営業もしています(2枚目。1枚目の門を入って目の前にある)。ああなんてぜいたく!!中?ええ、入りましたよもちろん(爆)

誘惑の多い建物たちが・・・・・・


結局寄り道しながらも伝統的建築物保存地区の手前まで来ましたが、そこにもまたえらくパンチの効いた建物が・・・・・・

 

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えっ。

こっ、この、やけに酢卵を推してくるこのお店は一体何なのでしょう。てか、酢卵って、なに・・・・・・?

ま、まぁ、これもレトロな建物ってことで風情があるんでしょうけど、黄門さまと龍馬さんが通りの両側にいるんで、あ、圧巻・・・・・・
後々調べてみたところ、明治26年以来続く醸造屋さんで、酢卵研究所というのもやっているらしい。。。てか、酢卵って、なに・・・・・・!?
ゴルゴ
2階は醸造資料館になっているそうなので、こういう雰囲気が好きなかたは入ってみるといいんじゃないかと思います。


保存地区は・・・まだか・・・・・・



伝統的建築物保存地区は内子駅から少し離れているんですよね。約1.3km、徒歩20分くらい。その間に、こういった保存対象でなくとも見応えのある建物がたくさんあって、到底20分では着けないんですけどねうーん
ただ、大正・昭和期のレトロモダン的なものが少し苦手だったり。アングラは結構好きなんですけどね。

そしてまたこういう建物が。

 

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おっ。
 

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「旭館」。大正14年につくられた写真館・映画館で、その建築には先ほどの酢卵屋さん・・・いや醸造屋さんも携わっているのだと。昭和42年に閉館され、老朽化から解体の危機に陥るも、醸造屋さんの子孫ら保存会の働きかけによって平成25年に復活、以来定期的に上映会を開いているとのこと。ほうほう。


あ、ここから保存地区のようです。
 

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レトロだけどおしゃれで少し近代的な建物群にも見えますね。
この通りは大洲と松山を結ぶ主要街道で、中世から開かれていたそうです。
現在のような建物ができたのは江戸後期から明治にかけて。内子の砂は鮮やかな黄色をしていて、それと漆喰を塗り合わせているのでこんな壁の仕上がりになるのだという。・・・・・・私自身がよく理解してないのバレバレですね苦笑い


お察しかもしれませんが、さっきから(てか
最初から)誰ともすれ違わないです。
この日は天気が良くなかったので散策日和でなかったのは確かですが、日頃からどうもこんな感じのようです。これはかなりの穴場。
建物しかないように見えますけど、普通にお店で、皆さん中で営業されています。呼び込まないので一人では少々近寄りがたいですが、資料館を兼ねているところも多いみたいなので飛び込まないと損ですね。

私は時間の都合上、スルー・・・汗Yを誘って丸一日過ごしたいところですね内子は。
ただ、関東からここだけ見に来るには遠いのも確かなのよ・・・・・・


遂に、
木蝋のMade in Japanの救世主の旧邸に到着!
 

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木蝋資料館  上芳我邸(かみはがてい)。あら?さっき、下芳我邸(しもはがてい)がありましたね?

それだけではなくてですね、

 

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本芳我家(ほんはがけ)住宅。庭園のみ公開。

あと、今回は撮り損ねてしまったのですが、中芳我邸(なかはがてい)なるものもあり(こちらはなんと!蔵に泊まれるそうです)、何たるはがはがづくし。すべては芳我家(本芳我)から分かれていった家であり、木蝋一族なのだという。その中でも最も栄えたのが上芳我家で、上芳我邸は幕末当時の住宅と木蝋の生産工程を説明した展示棟から成ります。

これがまた・・・・・・すんげえ広いんだ・・・・・・!

 

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離れ。
 
 
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お産部屋。
 

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離れ座敷。

 
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主屋2階の展示品の一部。
 
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主屋3階の梁にあった木の守護札。

主屋が3階まであります。全て中に入れて(入場料はかかりますが)、撮影も自由です。
これは萩の菊屋家住宅に劣らぬ見応えだぞ・・・・・・!これに加えての庭+2階建ての展示棟ですからね。商いと暮らし博物館とここで1日が終わります(爆)

上芳我家は木蝋を国内だけでなく海外にも輸出しており、日本の木蝋産業を牽引していました。
明治も中頃に入り、木蝋が世界的に最盛となると、安い粗悪品が出回るようになり、内子の木蝋は一時売り上げが落ちたそう。でも、上芳我家が独自の商標を発明しブランド化することによって、質も価格も生産も下げることなく売り上げを取り戻したのですって。ブランド化は日本人の得意技ですよね
達成
木蝋のMade in Japanの質の高さを守り抜いた点でも功績のあるお家ですニコ


そして最後に!


「え、内子座開いていないんですか?」



冒頭の回収です(笑)

 
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内子座。大正5(1916)年に大正天皇の即位を祝って建てられた。今年(2015年)、国の重要文化財に指定。

しかし残念!ここも本来は中を見ることができるのですが、この日は演劇大学があっていたので入館禁止!
演劇大学、そういや熊本でも八千代座でやってたなぁ・・・・・・

結局内子座入れなかったし、実は周辺の寺社とかお店の中とか一歩も足を踏み入れていませんからね。
翌日も内子巡りをしようか迷ったけど、内子座は何気に愛媛滞在中全日入館禁止だったので、諦めて夜の飛行機が出るまでの丸一日を第二のホーム松山で過ごすことに決めました。
飛行機飛ぶの松山からだしね。。。



ということで、愛媛旅もそろそろ終盤。おや?松山にもどうやら推したい人物がいるようだが・・・
次回は、松山の推しダンディも含め松山・道後について書きましょうかね。