久しぶりにかきかき | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

お久しぶりでござぁます。


今回は生存報告と絵さらしのために浮上。池田屋つらい・・・池田屋つらいです・・・・・・
調べるたびに泣き、泣きながら調べるという。おかげで小説もなかなかはかどりません。
あぁ、新年度に入ってしまった・・・



池田屋事件の資料を調べるにあたって、珍しく志士側の視点から書いた小説があったので、思わず買ってしまいました。

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短編集で、各章の主役は福岡 祐次郎(伊予松山)、北添 佶摩(土佐)、宮部 鼎蔵(肥後)、吉田 稔麿(長州)、乃美 織江(長州藩京都留守居役)。個人的にはん~・・・と思うところもあったのですが、池田屋事件で新選組に斬られる人物がどういった事情にあったのか、新選組が大物を斬ったと言われる所以は何かが解りやすく書かれているのでそれだけでも嬉しいです

あと、私は肥後勤皇党関連や久坂さんの資料は持っていたのですが、麿の資料は持っていなかったのでちょうどいい資料が手に入ったと思いました




矢印矢印矢印ここから下は絵矢印矢印矢印



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いつもの三人の異風者(いひゅうもん)です。左より、佐々・松田・永鳥。
永鳥さんが松田にちょっかいをかけて、淹れたてのお茶を急須から直で飲ませようとしている図です。松田は大の猫舌設定。
永鳥伝説を知ってしまった今となっては、永鳥さんはもうこういうイメージしか浮かびません!(爆)
松田は永鳥さんにいろいろ世話になっているので、頭が上がらなくて完全にオモチャにされている的な。
佐々さんは基本永鳥さんの味方で傍観していてくれるといいと思います(余談ですが、この人実際は肥後勤皇党の中でもかなりの急進派で、穏健派と分裂を起こした際に中立を守っていたこの永鳥さんをむりくり急進派に取り込んだという強者です。永鳥さんと佐々さんの設定を逆にしてしまった感が半端ない)。



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こっちも永鳥さん。永鳥さんはどうやら槍術の遣い手だったらしく、永鳥さんに学んだ人がいるという記録を発見。たぶん宝蔵院流。
永鳥さんや彦斎の剣術流派は不明ですが、宮部さんはどうも疋田陰流(ひきたかげりゅう)だった模様。疋田陰流は新陰流の分流で、肥後では最もメジャーだった流派です。
藩校時習館では主に陰流系(柳生新陰流・当流神陰流・疋田陰流・雲弘流etc.)と二天一流寺見流(じげんりゅう、薩摩藩御留流※の示現流と関連あり)の剣術を教えていたそうなので、宮部さんに限らずこのブログで紹介している人はみんなそれらをカバーしていると思います。

※御留流(おとめりゅう)・・・藩の門外不出の流派。肥後においては前述の柳生新陰流が御留流でした。他藩にも継承されている流派なので門外不出にする意味はあまりないのですが、細川家が尾張柳生における規則を遵守したからかと思われます(流出が激しかったのは分派である江戸柳生かららしい)。そのせいか、肥後には古流がやたら残っているのだとも。



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彦斎です。彦斎は現在「げんさい」と読まれることが多いですが、当時は「ひこなり」と呼ばれていたのだそう。この人は三斎流(細川 忠興が興した茶道)の茶人でもあり、その世界では「ひこはる」と呼ばれていたらしいです。彦斎の「斎」は三斎流からきています(元の名前は彦次郎で、本当に次男坊でした)。



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岡田 以蔵(上)と久坂 玄瑞(下)です。二人を一緒に描いたことに特に意味はありませぬ。
以蔵はもともとなかなかゴツいのをイメージしていたのですが、友人にデザインしてもらったものが結構な美人さんで、美人な以蔵もいいじゃない!と。彦斎との対比で、口許にほくろがある設定。この人は万年浴衣みたいな薄着で、刀一本で京の町を徘徊してそうだ(爆)
久坂さんは友人が作っていた既存のキャラをそのまま流用。主役にさせてもらっているのでせっかくだから描いてみました。



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なんか久坂さんたちの絵と構図が被ってしまったけれど、原作者さんのオリジナルキャラクターの佐倉さん(左)と吉田 稔麿(右)です。彼らは師弟関係という設定。実際はこんなに仲良さそうじゃありません(爆)
そういえば、尾形さんの小説をサイトにあげた際、読者のかたから「佐倉さんって誰?」という質問をいただいたことがあって、その時に初めて佐倉さんについて小説内で全く説明していなかったなと気づきました。むしろ今回の久坂さんの小説の方が詳しく書いてあるので、アップの順番を間違えたなと。まぁ、尾形さんの小説に手を加えればいいだけの話なんだけど・・・
麿こそ柳生新陰流の遣い手ですね。柳生新陰流は長州藩でも確か普通に教えていたので、高杉、桂あたりも使えたと思います。麿も高杉、桂と同様に神道無念流も修めています。そして槍は宝蔵院流という。や~・・・昔の人ってすごいねおばけ



最後に、何故描いた的な絵。


バンッ!

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いや~ね!スケッチは私の趣味の一つで、特に描きたいものもなかったので(爆)、Google earthを参考に旧肥後藩を描くことに挑戦したのですが・・・・・・鶴崎(現在は大分)を描き忘れた!
緑の部分は全部山か森で、栄えているところは現代でも白い部分だけなんですけれども、本来はこれに宮部さんの家やら彦斎の出生地やら小楠先生の塾やらを書き込んで田舎者対決でもしようと思っていたのですが、ふと「あれ、自分はなんでこんな小学校の社会科の宿題みたいなことやってるんだろう・・・?」と我に返り、中断。童心に返ったら続きをやるかもしれません(爆)



カップケーキおまけカップケーキ

佐々さん好きのかたの情報で知ったのですが、本日(4月4日)は佐々さんの誕生日とのこと。
おめでとう佐々さん!

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佐々さんに・・・ただのくまモンをプレゼントするとありきたりな気がしたので、こちらにさせていただきました、田辺誠一画伯作のくまもんた、田辺画伯の誕生日が4月3日だと・・・!?
お、おめでとうございました。