まどわしの長野 | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

来年の大河の舞台は山口ですが、再来年の大河は真田 幸村が主人公で舞台が長野らしいですね?(←戦国時代あまり詳しくない)
それとは関係ないですが、長野に旅行に行ってきました!来年再来年と、萩や信州は観光客でごった返すのかなあ。

長野は観光地が転々としていて、長野駅周辺にホテルを取ったものの観光地への移動は全てバス、レンタカーでした。バスや電車は地方にしては運行が頻繁な方なので助かりましたけどね。
周りは見事に、山、山、山!盆地育ちには懐かしい景色ではしゃぎましたが、後日山の神に召喚されることになろうとは、この時夢にも思っていなかったのだった・・・(爆
そして、駅の目の前のホテルであるにも関わらず道に迷う。大きな建物と小さな建物が混在していて、小さい建物が数多く隠されているからなのですね。メジャーな企業のビルだから駅沿いにあるとも限らず、惑わされて似た別の建物に誘われることも。おそろしや、長野。



1日目は、諏訪大社
諏訪大社って上社と下社が結構離れていたのですねびっくり
殆ど調べぬ行き当たりばったりの旅、早速の移動で電車にするかレンタカーにするか迷う。
上社の方は駅からも少し離れているようで、駅に着いたらタクシーを呼ぶ必要があるとわかり、レンタカー代or電車代+タクシー代(往復)、どちらが安上がりかを吟味する。

結果、レンタカーで行くことにしました。そのため長野も、私と友人の間で恒例となっている「運転のしかたでわかる県民性分析」の餌食に(笑)
函館の時は、
友(運転者) 「函館の人って、なんかふわふわした運転のしかたする」
私(助手席)
「(ふわふわ?) あぁ、確かに、なんかいつも車線変更したそうな運転しているよね。ウィンカー出しているけどどこで曲がりたいんだろう?あとさ、カーブのしかたもなんかふわっとしてるよね
的な会話をしていたのですが、今回、長野では

友(運転者) 「前の車、スピード遅くない?長野ナンバー」
私(助手席) 「いや、法定速度きっかりだよ。交通ルールに忠実だね」
友 「法定速度+10kmが常識じゃない?」
私 「それは熊本の常識だろ!法的には違反だ!おい、イライラするな!
友 「だって!ちょ、ウィンカー出すの早くない?ブレーキ踏むのも早いよ
私 「早くない。自動車学校では右左折する30m手前でウィンカーを出し、ブレーキは早い段階から徐々に踏んでいき、信号の手前でピタリと止まれるようにするよう教わった。まさにその通りの運転をしている

友 「なんでそんなことを完璧に憶えているのに君運転できないの」
私 「せからしか!そういえば、なんで左車線は渋滞気味なのにみんな右車線に移らないんだろうね?ガラガラだし、皆が皆左折って訳でもなさそうなのに」
「・・・・・・追い越し車線?」

という会話をしておりました。



そして着いた、諏訪大社。

 

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今回は、上社(本宮・前宮)と下社(秋宮・春宮)すべてに行けました!

 

 

 

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(本宮:入口御門)
 
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(本宮:神楽殿)
 
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(前宮:十間廊)
 
上社では本宮、下社では秋宮にそれぞれ宝物殿があり、拝殿もこれら二つが前宮、春宮と比べて大きく主要な神社のようでした。しかし、諏訪大社の発祥は前宮なのだとか。

諏訪大社を祀る諏訪氏は建御名方神(タケミナカタノカミ。大国主の子)の子孫と伝えられ、大祝(おおほうり)と呼ばれる神職を代々継いだのだそう。大祝に就いた者は神と同一視される現人神となり、諏訪の象徴ともなっていたようです。この大祝は、幼少時に継承して若いうちに次代に譲るケースが多かったようなので、もしかしたら子どもであることが大祝となる条件だったのかもしれませんね。

 

幼少時に大祝となった諏訪 頼重(すわ・よりしげ)は成人したのち武田 信玄と交戦して敗北し(信濃平定)、現役の大祝であった弟・頼高もともに捕らえられて自害させられたのだそうです。直系の諏訪氏はそれで滅亡したらしいのですが、それよりも、神格化していた対象が自害させられるのは民にとってどんな心境なのだろうか。信じていた神が否定されることと同等のことですよね。日本国内でもこういう争いというのはあったのだなぁ。

 

境内が最も立派だったのは、意外にも下社の秋宮。下社には別の大祝がおり、上社と下社は建立時は別の神社として機能していたみたい。上社vs.下社の争いもあったらしく、上社が勝利し、上社と下社を統合させてできたのが現在の二社四宮とのこと。神といえどもやはり人間ですなぁ。

 

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(秋宮:幣拝殿)
 
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(秋宮:神楽殿)
 
 
前宮と春宮はどちらも川の上流に沿って建ち、手ですくってすぐ飲めるほど川の水は清らかでした!特に前宮の水眼(すいが)の清流には水汲みに来ていた人がいましたよ。
 

 

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(水眼の清流)
 
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(砥川)

春宮の裏を流るる砥川沿いには、万治の石仏といわれるなんだかシュールな石仏がありました。モアイ像とぜひ並べてみたい。
この石仏の石は初めは春宮の鳥居の材料にする予定だったのだそう。でも、石を割ったところ割れ目から血が溢れ出し、紆余曲折あって(←おい)石仏として祀られるようになったとのこと。
顔の割になかなかホラーな出自ですな。

 

 

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この石仏の周りを3周しながら願い事を心の中で唱えるとその願いが叶うんですって。あやかろうと思ったけど、私の願いが強欲すぎて3周では願い事を唱え終わらないと確信したので、やめておきましたw


諏訪大社には七不思議もあるらしい。でも、神事そのものを指す場合や気象条件が揃った時にようやく見られる現象なども含まれていて、七不思議スポットといわれる場所はそう多くありませんでした。私が見かけた七不思議スポットは、本宮の東宝殿。
 
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(東宝殿:右側)
 
この東宝殿には「宝殿の天滴」と呼ばれる七不思議があり、どんなに晴天が続いても屋根の穴から1日3粒の水滴が落ちてくるというもの。日照りの際には、この水滴を青竹に入れて雨乞いをすると必ず雨が降ったという言い伝えがあるらしいです。



1日目は諏訪大社だけで終了。(なにせ、遠いの・・・) 2日目はいよいよ私の中でのメイン、善光寺および松代城下町 ですが、最近 記事が長すぎる ことがネックなのでいったんここで分割。また近いうちにアップします。




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