なんで旅行のたびに謝ってるんだろう?私。(←今更?)
いやぁ、別に謝る義務はないっちゃないんですけど、それくらいしかすることがね・・・←
と、いう訳で、2日めに突入です。2日目は朝から 善光寺 と、友人のチョイスで 東山魁夷館 へ行ってまいりました。んんーっ、私に芸術センスがもっとあれば・・・
善光寺をふむふむと見終わった後、30分ほどバスに揺られて 松代城下町 へ。え、善光寺の感想はなかったのかって?うん、でかかったね。(爆
日光東照宮と似て、入場料を払って本堂内を案内されながら回る形式だったのですが、3連休初日ということもあってかものすごい人の数でしてね。外観だけを楽しんできました
しかしそれでも十分楽しめましたよ。長野市の中心はどうやら駅周辺ではなくこの善光寺周辺の模様。駅から善光寺まで歩けないこともないですが、上り坂がずっと続くのでバスでの移動がおすすめかな・・・惑わされるし(爆
佐久間 象山の生まれ育った松代町は、戸隠や松本、諏訪と比べると行きやすい印象でした。それでもやっぱり山の上にあって(盆地の宿命ですな・・・)、長野市中心街からは結構離れていましたね。途中、川中島の合戦跡地を通り過ぎます。
私が最も行きたかった場所は、藩校文武学校と象山記念館!藩校については知っておかないと小説を書く時にめっさ大変でですね・・・志士の行動原理を理解するには各藩の藩校の教育内容や教育方針を辿っていくのが早いことに気づきました。教育って本当に一生を左右するな。
藩校文武学校 は安政2(1855)年に開校した比較的新しい藩校で、建物が当時のまま全て遺っている極めて珍しい所です。現在は、最も大きい建物である文学所が改修工事中。んんーっ、惜しい。
会津の日新館と比べると敷地は2分の1程度ですが、佐久間 象山が教鞭を執ったことや黒船来航後の開校ということで、かなり開明的な授業が行われていたのではないでしょうか。
文武学校だけでなく、松代城下町自体が非常に保存状態が良く、近くには真田邸(真田 幸村の兄の家。松代藩藩主だったのですって)や松代藩目付の屋敷など、萩並みとはいきませんが多くの敷地が変わらず遺っておりました。共通券を買ったので、真田邸にもおじゃまんぼー。
今回の長野旅でたびたび思っていたのですが、長野って小物のセンスがいいな。
全然豪華とかそういうのじゃないんだけど、質素でありながらどことなく品のある感じ。
この後真田宝物館に寄ったのですが、その時もそう思いました。
そして、今旅の一番の目的、象山記念館 へ!
※ これは象山神社にあった像。これが実は彦斎に襲われた時のポーズですがそう思って見るとカッコワルイとかそんなこと思っちゃダメ!ゼッタイ!←
「象山」の読み方は「しょうざん」「ぞうざん」と定まっておりませんが、象山の故郷松代では「ぞうざん」に統一しているので、これからはぞうざんと呼んだがいいのかな。高杉さんが象山先生を訪ねていたことは知っていたのですが、久坂さんも象山先生を訪ねていたとは知りませんでした。いつ訪ねたんだろうか。
松陰先生の師匠であったことがあまりに有名ですが、象山先生、実は我らが肥後人松田 重助や永鳥 三平の師匠でもあるのです。人好きの松陰が松田や永鳥を象山に紹介したそうで、細かくはわかりませんが弟子入りしていた時期があったようです。そんな先輩たちの師匠を手にかけた彦斎の動機がますますもって謎に包まれるのですが、もしかすると松田や永鳥は象山先生と反りが合わなくて、象山先生の悪口を言っていたので彦斎の中での心象がもともと良くなかった(でも、松田は象山先生を慕っていたようだし永鳥はそんなことを吹き込むタイプではないんだよな~・・・)ことがあったりするのかな。んん~っ、謎。
佐久間 象山暗殺 は下手人と被害者のどちらもが後世でも非常に有名である極めて異例な事件だと思います。象山が殺された、といえば彦斎が殺した、とすぐに結びつくくらい浸透していますが、象山側の説明では彦斎に殺されたと記述することはあまりないのですね。尊皇攘夷派と書かれることが多いかな。まぁ彦斎の名をあえて出す必要もないし、厳密には一から十まで全て一人でやった訳ではないので、表記に気を遣うのかもしれないですね。単に名を出すのも嫌なだけだったりして(爆
今の小説が終わったら開国派側の話も書いてみようと思って、横井 小楠らへんについてもぼちぼち調べ始めているのですが、小楠といい象山といい、当時の開国派って本当に肩身が狭かったようですね。象山も結局、黒船来航直後より 9年もの間、この松代で蟄居処分の憂き目に遭っています。ま、それって松陰先生のせいなんですけどね!
この記事やこちらの記事の1854年とちょうど並行するような感じで、宮部さんが取調べを受けている頃、象山先生は松陰の密航に協力したと勝手に判断され逮捕されます。そしてこの松代に9年もの間缶詰状態にされる訳ですね。
全く、松陰はどれだけ他人を巻き込めば気が済むのか。
私、象山先生って小楠やらと似た開明的な思想家って思っていたんですけど、実は思想家というよりは結構ガチガチな学者さんだったんですね~

自分でエレキテルを工作してみたり、科学実験して喜んでみたり、かなり無邪気に西洋技術を楽しんでいたみたいです。開国を唱えたのも、富国強兵というのは口実で、ただ純粋に西洋技術をどんどん吸収したかったのかも。その点では、坂本 龍馬と似たものを感じますね。
坂本さんが象山先生に惹かれたのも、感覚が似たもの同士だったからなのかもしれませんね。
象山記念館で当時の西洋最先端科学技術を楽しんだ後(?)、近くの 象山神社 へ。
謝ってきました。
そういや、池田屋事件、禁門の変から今年でちょうど150年ですが、象山先生暗殺もちょうど150年前でしたね。この節目に謝りに行くことになったのも、何かの縁なのだろうか?
まぁ、こういう不思議な現象は昨年の尾形さんの頃から続いていますが。
この後、象山記念館との共通券で、旧横田家住宅 へ。
そこで、出逢ってしまいました!
おっ!
藤堂さん(薄桜鬼)!!
ちょうどこの時、薄桜鬼のコスプレ撮影がこの旧横田家住宅で行われていたのです。
「見ていていいそうですよ」と言われていたので、けっこう興味津々に見てしまいました(笑)
藤堂さんの他に原田さんと永倉さんもいらっしゃいましたよ

たまたまベストなタイミングで映り込んでしまったけれど・・・(たまたまベストに顔だけ隠れたけど・・・) の、載せても良かったよね??
思わぬ出会いにニヨニヨしながら旧横田家住宅を辞し、バス停を目的地に城下町を散策。
17時を回ってしまったので、内部には入れなかったけれど 松代城 の外観だけをパチリ。
未練ができてしまったな・・・
松代駅バス停に到着し、そこでようやく気づく。
松代駅って、廃駅だったのですね・・・
実は、城下町への最寄りを調べると「松代駅バス停」となっていて、駅があるんならバスよりも電車の方が速いんじゃん?と思って鉄道路線を探していたのです。でも、なかなか出てこないので、これはよほど電車の頻度がないんだなと思って諦めてバス移動にしたのですが・・・まさか廃線となっていたとは。またも惑わされた(爆)
2012年に廃駅となり、レールだけを取り外して駅は残し、観光名所の一部としているそうです。
ええ、そうと知ったらやることは決まってますよ。ホームから飛び降りて線路だったところを走り回るんです!(子どもか!)
いやぁなんという解放感!普通の駅だとホームから飛び降りただけで全線ストップの危険ですからね!ホームから飛び降りてみたいかたはこちらでどうぞ!(爆)
そういう訳で、長野旅を満喫してきました。
本当は3日めに、松本城へ行ったり山の神に召喚されたりしたのですが、松本城はものすごい人の数で、入場に100分待ちだったので、あえなく諦めました・・・

松本城以外の周辺スポットは明治時代の西洋建築が結構残っていて、洋に囲まれた和の松本城の構図がなんとも不思議な感じでした。
あと、松本は会津・熊本と並んで馬を食べる地域。どんな味つけをして食べるのか気になりましたが、残念ながら今回は食べられず。未練も残っているので、こりゃもう一度長野に行くしかねえな(爆)