いしんししの旅〜晋作くんコース〜 | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

さてさて。。。短期決戦の女なので後半すぐ上げちゃいますよ。忘れるからね!←



2日目は天気が持ちこたえてくれず、泣く泣く30分ごとに来る周遊バス(松陰先生コースと晋作くんコース)での移動に切り替え。城下町行きの晋作くんコースに乗り、萩博物館前で降りると、目の前には田中 義一像が。

田中 義一像に背を向けてまっすぐ進んだ道を「御成道」と言って、参勤交代に使われた道だそうですが、その道をそのまま行くと萩城城下町に入ります。程無くして道の両側に、一際大きい長屋が現れます。
これが「菊屋家住宅」と「旧久保田家住宅」です。

松下村塾で話をしたツアー客の方に「菊屋家住宅は絶対に行っておくべき!」と言われて行ってみたのですが(私は下調べはしない主義( ̄∀ ̄))、いやはや、ここはすごかったですね!

菊屋さんは子孫さんが案内してくださる(向かいの旧久保田住宅や他の旧宅は萩市の職員さんが案内)現在に至るまで旧宅から離れていない(それは旧宅とは呼ばないですね(´ºωº`))400年前から続くお家ですが、とにかく展示品の保存状態がものすごくいいのです。恐らくは全て実物です。江戸初期からの品や当時の海外輸入品がきれいな形で残っていて、小物にあまり興味のない私も食い入るようにして見てしまいました。もちろん、建物はどうしても老朽化するので修理・復元はしてあるのですが、それを抜きにしても、ここまで大きな町家としての形を残してあるのは全国に類を見ないでしょうね。伊藤 博文がイギリスから持ち帰って来た時計は今でも動いていて、正確な時間を刻んでいました。毎週金曜日にぜんまいを巻き直すのですって。

以下の事は、旧久保田住宅のガイドさんが説明してくださったのですが、菊屋さんは幕末よりも現在の方が持っている土地が広いらしく、高杉 晋作の誕生の地も現在は菊屋さんの土地なのだとか。いやぁ、すごいですね。春と秋には庭園を開放して花見や紅葉が見られるそうで、まだまだ隠し玉があるようなので、もう一回行ってみるべきかな。とにもかくにも、オススメです。


しかしですねしかしですね!個人的には、向かいにある旧久保田住宅にも行くべきだと思います!といいますのも、菊屋さんには二階がないのですが(参勤交代の際に大名を見下ろさないようにする配慮のため)、旧久保田家には二階があるのですよー!こちらはまた違った配慮をしておりまして、使用人を多く抱えていたのでどうしても大名行列を見てしまう。なので、窓の方に工夫がしてありまして、内側からはそれなりに外の景色が見えるのですが、外側からは室内が見えないようになっている。大名たちは自分たちがじろじろ見られている事を意識せずに済むのですね。いわば盗み見ですが、これもま、配慮の一つですよね(笑) あと、扉を閉めると自動的に鍵がかかるオートロック的なからくりもしてあって、すごく知的で面白い建物です。七卿落ちの際に七卿のうち一人を匿った隠し部屋もあるので、隠し部屋を推理しながら歩いてみるのもいいかもしれません。

久保田家もまた幕末よりも明治に栄えたお家で、明治期に増築されその上江戸期からある建物も大改造されているそうです。こちらの歴史は200年。菊屋家と旧久保田家ではガイドをしていただいたので写真を撮っていないのですが、萩を旅行される予定のかたはぜひぜひ行ってみてください!


萩はとにかく旧宅がかなりの数残っているので、入るときりがない部分があるのですが、暴風雨に見舞われどこかで雨宿りをしないとヤバいということで(爆)、突撃木戸さんちー!(ヒドイ) 動機が不純なのはおいといて、木戸さんち(木戸 孝允=桂 小五郎)もかなり素敵でした。
 
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木戸 孝允旧宅は菊屋家住宅を過ぎ、右に曲がった所にあり、石碑のある道沿いが何故か裏口という不思議な建ち方をしています。奥まった所にあるのが何故か入口。現在裏口とされている所に表玄関という表示がされていたので、恐らく当時は普通にそこから出入りしていたのでしょうな、木戸さんは。
 
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ここは、木戸さんが生まれてから20歳になるまで暮らしていた家で、誕生した部屋や勉強部屋、家族で過ごした部屋など当時の生活感が非常によく感じられました。
 
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この部屋にある「今日」の掛軸は、なんと、木戸さんが8歳の頃に書いた書!上手い!上手すぎる!ちなみにこの掛軸の朱文字の部分は「以ての外よろし」と最高の褒め言葉が書かれているらしく、先生のお墨付き!そうですよね!美しい!

そして、文字フェチの火をつけられた私には、もう木戸さんの書しか目に入らない。

 
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こちらは木戸さん11歳の時の書。おおなんと美しい!大人でも現在こんな字は書けません!
こちらも、「天晴れ見事見事」とコメントがしてあるらしく、城下で評判になったらしい。そりゃそうですよね!


お腹いっぱいで外に出ると、雨が小降りになっていた。


しかし周遊バスが来るまでまだ時間があるので、すぐ近くにある円政寺へ。
 
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(円政寺)
 
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(金毘羅社)

ここの住職さんは伊藤 博文の親族らしく、その関係で博文はこの寺で読み書きを教わったのだそう。また、高杉 晋作が子どもの頃に遊んだ寺でもあり、二人はこの寺にある木馬を愛でていたのだとか。木馬の鼻をよく撫でていたという事なので、私も彼らにあやかってなでなでしてきた観光客の一人でござぁますよ。
 
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明治に入って、神仏分離令が出され神道の国教化が進められますが、この寺は神仏分離を免れた珍しいお寺で、正面は寺、横を向けば神社と神仏習合の頃の名残があります。鳥居も、神社の象徴だけではなく、鳥木と柱の間に丸い玉(これは数珠を表している)を挿む事で、寺の象徴も兼ねているのだそう。富岡製糸場で長州出身の女性が優遇されていた事からも、このように新政府前の制度の建物を遺せているのも最終的に勝ったという要素が強いのかなと思いました。

あと、こちらが息子・晋作に度胸をつけさせるために度々父親がここへ連れて来て見せたのだという神社(金毘羅社)の天狗の面。だからあんなに豪快な人になったのかな…(爆

 
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結局、円政寺のかたとお話をしていたら晋作くんバスに乗り遅れたので、歩いて萩城址へ行く事に。


意外にも歩いてもそれほど時間がかからない事に気づき、晋作くん誕生地、旧毛利別邸表門、天樹院墓所、口羽家というバスでは通らない名所を確認しつつ到着する。
 
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萩で最も惜しいと思う部分は、肝心の城が残っていない事。天守閣だけでなく全ての建物が全く残っておらず、完全に自然公園となっておりました。
ただ、個人的に面白いと思ったのは平城ということで、天守にはすぐに行き着きますが天守の裏にそびえ立つ指月山が結構神秘的なこと。指月山には詰所があったようで(それも跡)、雨が降っていなくて時間があったら絶対登っていたような気がする。山城しか行った事のない私にはとても新鮮でした。

 
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そして最後に、彼こそ小説の主役なので行っておくべきと思い、久坂 玄瑞誕生地へ行きました。やはり身分を象徴するのか、久坂さんだけ三角州の中でも少し離れた位置にあるんですよね。これが結構、いやなかなかな賭けで、バスの時間が少しずれてしまうと当日中に関東に戻れなくなるというリスクが。しかし、しかし!平安古って地理がまず気になっていたし、他の人の家に行って主役の家に行かないって…!と、いう事で、強行。
 
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久坂さんの家は現在は遺っておらず、悲しいですが、このように立派な石碑が。バス停も、「久坂 玄瑞誕生地前」と石碑の真ん前を意識して立てている。こちらの人って、本当に先人を大切にしますよね。「○○○(偉人の名)前」ってバス停や駅があっても、少し離れた所に実際はある事が割と多いのに。熊本人としても、そこを非常に見習いたいですよね。


そして、急ぎ松陰先生バスに乗り、野山獄跡入口で降りて昨日撮れなかった分をパシャリしてホテルへ走り、小降りの中チャリで東萩駅へダッシュ。そして前編の冒頭部分に戻る。全体的に慌しい旅でしたが、とても楽しかったです。これから小説の舞台も萩へと移るので、非常に参考になりました。
 
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(野山獄跡)
 
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(岩倉獄跡)

2日目に初日の挽回で撮影した野山獄と岩倉獄。野山獄と岩倉獄は向かい合わせに建っていたのですね。思ったより狭い牢獄だなと思ったのですが、それぞれ碑が建っているのは獄舎の敷地の一部に過ぎないのだという。それぞれの獄舎の他の敷地には、現在は家々が建ち並んでいます。