いしんししの旅〜松陰先生コース〜 | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

 
 
 

思い返してみると、関東に引っ越すことが決まってから東北諸国を縦断し(山形、岩手、宮城、福島)、広島で野宿し、移住してからは愛媛(松山、今治)、岩手(中尊寺)、栃木(日光)、北海道(札幌、函館、小樽)、京都(新選組ゆかりの地、鞍馬寺)、沖縄(那覇、美ら海水族館)、福島(会津若松)と、どこかに出でては没している。もともとそういう気はあったけれど、放浪癖に更に磨きがかかっているでうくです。突撃隣の晩ごはんや田舎に泊まろう的な経験もたまにあるので(全ては私の計画性の無さと見舞われる不運のせい…)、もしかしたら次の地でアナタと縁があるかも!?(笑)

さて、何だか大仰な前振りとなりましたが、一人旅です。スタッフとかいません。カメラは私のiPhoneのみです(笑) 今回は熊本から神奈川に行く途中で萩に寄り、勤皇の志士たちが歴史の表舞台に現れるまでに育った地を歩いてみました!


小さな町です。山陰線電車が2時間に1本来るか来ないか。歩くにはちと時間がかかりますが、自転車で十分回れる範囲なので、レンタサイクルをおすすめ。24時間貸し出しで1000円。ただ、雨が降ると予告なしにお店が閉まるので、自転車を返しに行った時にはお店が開いていない不運に見舞われ、危うく当日中に神奈川へ戻れる電車に乗り遅れそうになるという。JRや観光担当のかたの助けにより、ギリギリで乗る事ができました。この場を借りてお礼を申し上げますo((_ _*)o

今回の旅は一泊二日、初日の午後は自転車で松陰神社周辺、雨の降った2日目の午後まではバスと徒歩で萩城址、萩城城下町をメインに回りました。

 

よいしょっと。
 
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ちょっと写真が見にくいかもしれませんが、主に観光地が密集する地域は橋本川、松本川、日本海(うっすら青っぽい色の部分)に囲まれた三角州の中にありまして、その中に桂 小五郎、高杉 晋作、久坂 玄瑞などの少し身分の高い志士たちの誕生地、周布 政之助や長井 雅楽などの役人の家、藩校明倫館跡(現在は明倫小学校)や野山獄、岩倉獄などの藩の施設があります。それらに加えて現在では博物館やら史料館があるので、全部回るとなると大変ですが、距離的には城下町から一つぽつんと離れていると思われる久坂 玄瑞誕生地も徒歩30分程度で行けるくらいなので、移動にはそれほど苦労しないかと。城址からの移動の手軽さで、身分の高さが桂=高杉→久坂→稔麿と下がっていくのが今でも実感できます。さすが江戸時代の地図を現在も使える地。
 
 
 
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松陰神社は、この三角州の外側にあります。松陰神社の周辺は、私の通った所は吉田 稔麿誕生地、伊藤 博文旧宅、玉木 文之進(松陰先生の叔父)旧宅、松陰先生誕生地、松陰先生を始めとした勤皇志士たちの墓がありました。
山とかお墓とかは本来は行く気がなかったのですが、私って旅行すると、旅行なのに(!)気づいたら山にいる事すごい多いんですよね。友人との旅行でもそれは健在で、山の神に召喚されているのではと言われるほどである(爆)しかも今回は、振り返ればそこは霊園というオプションつき。…あれかな、田原坂とか、宮部さんのお墓とか、そういうとこ行ってたから何かついてきたかな……

 
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そして気づいたら松陰先生のお墓の前に。ここには松陰先生とその親族、久坂さんとその家族、高杉さん、稔麿ら勤皇志士のお墓があるらしい。宮部さんのお墓も撮影してきたので、代表して松陰先生のお墓のみ。宮部さんがもし私についてきていたら、松陰先生と再会できたかもしれないですね。155年ぶりの再会にお手伝いできていたらなんて、夢みすぎかしら?あと、久坂さんのお墓には全力で謝ってきました。私と友人が好き勝手書いてと(爆) 結末は変わらないけれど、いい話を書かなければなぁ。
 

松陰神社には、本殿の他に、松下村塾、野山獄から戻ってきた松陰が幽囚されていた杉家、松陰の書簡などが展示されている至誠館などがあり、ここだけで松陰に関する殆どを見る事が出来ます。
 
 
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(杉家)
 
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松陰が幽囚されていたのは、杉家の一室。三畳半程度の所です。ここに子どもたちが遊びに来たのが松下村塾の始まりで、訪れる子どもたちが増えたので新しく六畳の小屋を建て、塾となってからは六畳でも追いつかなくなり十畳まで増築して以下の写真のようになったとのこと(隣でツアーやってたガイドさんの説明を盗み聞き)。松陰先生もすごいけど、狭くなったからって建物造ってあげちゃう杉家の人たちの心の広さもすごい。萩は心の広さで出来ているような気がする。 

 
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(松下村塾全景)
 
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ツアー客の方にさんざん絡まれた後(笑)、至誠館へ。至誠館は、幕末や松陰先生に詳しい人にはちょっと物足りないかも。でも、書簡などは全て実物だと思うので、数は少ないけれどその点ではいいかもしれないです。

この時点でもう17時を回っていたので、お金を払う必要のない名所に自転車で散策。20時前まで日は落ちないので、その間に写真を撮ろうとまず野山獄を目指すのですが、ホテルから2分ほどで着く場所にあったのに何故か2時間かかった!なんでだろー?いつもこうなんですよね!京都で油小路事件の現場に行った時もホテルから徒歩3分ぐらいの位置にあったのに1時間半かかったし!見事に地図の読めない女ですな私は!

 

しかしその迷っている最中にも、行く先々で名所に出会うという。残念ながら、もう閉まってはいたものの桂 太郎旧宅や山県 有朋誕生地、地図には載っていなかった高札場と出会う。
 
 
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これは桂 太郎旧宅から撮った風景。藍場川という自然の堀が家々の前を通っており、入口に橋が架けてある。これは萩の三角州全体に見られる光景で、外敵が攻めて来た時に、橋本川と松本川に架けている橋を全部壊してしまえば、侵攻を遅らせる事が出来るというもの。橋本川と松本川は川幅が600m、最も狭い所でも200mはあるので、橋がなくなってしまえばそれだけで要塞になるという。すごいね。
 
 
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これが高札場。ここに幕府や藩からのお触れを掲示していたんですって。時代劇を見ない私は高札場の存在をこの旅行で初めて知りました。さっき地図で確認したら、ちょうど萩の三角州の真ん真ん中にありました。よく考えているなぁ。

そうやってぐるぐる迷い込んでいるうちに2時間が経ち、野山獄に着いたのは完全に日が暮れ真っ暗になってから。死人も出ているおどろおどろしい場所なのになんでこんな何か出てきそうな時間帯にいるんだ私は。という事で、萩初日はここでタイムアップ。2日目も名所満載で記事も長くなる予感がするので、ここで分割。後半(晋作くんコース)へ~続く。