思い返してみると、関東に引っ越すことが決まってから東北諸国を縦断し(山形、岩手、宮城、福島)、広島で野宿し、移住してからは愛媛(松山、今治)、岩手(中尊寺)、栃木(日光)、北海道(札幌、函館、小樽)、京都(新選組ゆかりの地、鞍馬寺)、沖縄(那覇、美ら海水族館)、福島(会津若松)と、どこかに出でては没している。もともとそういう気はあったけれど、放浪癖に更に磨きがかかっているでうくです。突撃隣の晩ごはんや田舎に泊まろう的な経験もたまにあるので(全ては私の計画性の無さと見舞われる不運のせい…)、もしかしたら次の地でアナタと縁があるかも!?(笑)
さて、何だか大仰な前振りとなりましたが、一人旅です。スタッフとかいません。カメラは私のiPhoneのみです(笑) 今回は熊本から神奈川に行く途中で萩に寄り、勤皇の志士たちが歴史の表舞台に現れるまでに育った地を歩いてみました!
小さな町です。山陰線電車が2時間に1本来るか来ないか。歩くにはちと時間がかかりますが、自転車で十分回れる範囲なので、レンタサイクルをおすすめ。24時間貸し出しで1000円。ただ、雨が降ると予告なしにお店が閉まるので、自転車を返しに行った時にはお店が開いていない不運に見舞われ、危うく当日中に神奈川へ戻れる電車に乗り遅れそうになるという。JRや観光担当のかたの助けにより、ギリギリで乗る事ができました。この場を借りてお礼を申し上げますo((_ _*)o
今回の旅は一泊二日、初日の午後は自転車で松陰神社周辺、雨の降った2日目の午後まではバスと徒歩で萩城址、萩城城下町をメインに回りました。
松陰神社は、この三角州の外側にあります。松陰神社の周辺は、私の通った所は吉田 稔麿誕生地、伊藤 博文旧宅、玉木 文之進(松陰先生の叔父)旧宅、松陰先生誕生地、松陰先生を始めとした勤皇志士たちの墓がありました。
山とかお墓とかは本来は行く気がなかったのですが、私って旅行すると、旅行なのに(!)気づいたら山にいる事すごい多いんですよね。友人との旅行でもそれは健在で、山の神に召喚されているのではと言われるほどである(爆)しかも今回は、振り返ればそこは霊園というオプションつき。…あれかな、田原坂とか、宮部さんのお墓とか、そういうとこ行ってたから何かついてきたかな……
そして気づいたら松陰先生のお墓の前に。ここには松陰先生とその親族、久坂さんとその家族、高杉さん、稔麿ら勤皇志士のお墓があるらしい。宮部さんのお墓も撮影してきたので、代表して松陰先生のお墓のみ。宮部さんがもし私についてきていたら、松陰先生と再会できたかもしれないですね。155年ぶりの再会にお手伝いできていたらなんて、夢みすぎかしら?あと、久坂さんのお墓には全力で謝ってきました。私と友人が好き勝手書いてと(爆) 結末は変わらないけれど、いい話を書かなければなぁ。
松陰が幽囚されていたのは、杉家の一室。三畳半程度の所です。ここに子どもたちが遊びに来たのが松下村塾の始まりで、訪れる子どもたちが増えたので新しく六畳の小屋を建て、塾となってからは六畳でも追いつかなくなり十畳まで増築して以下の写真のようになったとのこと(隣でツアーやってたガイドさんの説明を盗み聞き)。松陰先生もすごいけど、狭くなったからって建物造ってあげちゃう杉家の人たちの心の広さもすごい。萩は心の広さで出来ているような気がする。
ツアー客の方にさんざん絡まれた後(笑)、至誠館へ。至誠館は、幕末や松陰先生に詳しい人にはちょっと物足りないかも。でも、書簡などは全て実物だと思うので、数は少ないけれどその点ではいいかもしれないです。
この時点でもう17時を回っていたので、お金を払う必要のない名所に自転車で散策。20時前まで日は落ちないので、その間に写真を撮ろうとまず野山獄を目指すのですが、ホテルから2分ほどで着く場所にあったのに何故か2時間かかった!なんでだろー?いつもこうなんですよね!京都で油小路事件の現場に行った時もホテルから徒歩3分ぐらいの位置にあったのに1時間半かかったし!見事に地図の読めない女ですな私は!
これが高札場。ここに幕府や藩からのお触れを掲示していたんですって。時代劇を見ない私は高札場の存在をこの旅行で初めて知りました。さっき地図で確認したら、ちょうど萩の三角州の真ん真ん中にありました。よく考えているなぁ。
そうやってぐるぐる迷い込んでいるうちに2時間が経ち、野山獄に着いたのは完全に日が暮れ真っ暗になってから。死人も出ているおどろおどろしい場所なのになんでこんな何か出てきそうな時間帯にいるんだ私は。という事で、萩初日はここでタイムアップ。2日目も名所満載で記事も長くなる予感がするので、ここで分割。後半(晋作くんコース)へ~続く。