売り場にある赤べこをべこべこするサーベスの図(友人作画)。
斎藤さんのお墓がある阿弥陀寺へ行ってまいりました!
まず、旧滝沢本陣。今ではすっかり有名となった白虎隊が会津戦争の際に出陣待機していた場所のようです。新選組もここに一緒にいたらしい。土方さんが白虎隊士に助言をしたという話をちらと聞いたのですが、その場所というのはこちらかしら。
この旧滝沢本陣は戦場でもあり、このように
部屋のどの部分を撮っても刀傷や弾痕が必ず写るという悲惨ぶり。最初に載せた旧本陣の写真は無意識に撮影したのですがそれでも最低3ヶ所、傷痕を撮影する事を意識したすぐ上の写真はざっと8ヶ所以上、刀傷・弾痕が写り込んでいます。本陣だからと、日野宿本陣のような感覚でこちらへ来ると痛い目をみました。元は日野の本陣と似たような機能を持っていても後世に残す趣は全く異なる。もう少し覚悟が必要だったなと反省しました。
そんな暗い気持ちの中、次に行ったのは武家屋敷。具体的には、会津藩家老の西郷 頼母さんのお宅訪問です。...実は、西郷 頼母の事はわたくし殆ど知らず、会津藩の家老であった事も西郷家の敷居を跨いで初めて知ったくらいなのです。しかし「セガサターン、しろっ!」のCMでお馴染みな(!)姿 三四郎のモデルとして知られている西郷 四郎には少し馴染みがあって、四郎さんが頼母さんの養子だったと武家屋敷の説明にあったのには結構驚きました。
...もう一つ、何気に驚いたのは、京都見廻組の長で、現在でも坂本 龍馬の暗殺に関与したと言及される事のある佐々木 只三郎が会津藩士であった事。もしかしたら有名な話なのかも知れませんが、彼の素性に関する情報はなかなか拾いにくく、私の中では非常に謎な方でした。新選組と並んで京の町を警護した組織なのに、佐々木さん以外の見廻組の人物が判然としていないのも不思議。
そんな佐々木さんのお墓が、この武家屋敷の敷地内にあるのです。こちら。
お墓は撮らないポリシーなのですが、この写真を撮る直前、5歳くらいの年齢の男の子がお墓の前にいて「この人が願い叶えてくれるよ!」と言って、佐々木さんに一生懸命お祈りしてたのですね(笑) 隣には八幡宮の分殿があって、その子のご両親はそこでお祈りしてたのですが、その子は敢えて何故か佐々木さんに(*º╰╯º)
もぅなんだか微笑ましくなっちゃって、あの子の願い、叶えてやってくださいねって言葉掛けした後に勢いでパシャリ。
この後、阿弥陀寺で斎藤さんのお墓を撮影するか否かで迷ったんですけど、友人から「佐々木さんの墓をさっき抵抗なく写した上に、去年の壬生寺で既にきゃ~尾形さんの字だ~❤︎とか言って芹沢さんたちの墓を片っ端から写していたやないか」と鋭いツッコミ。これに後押しされて後に斎藤さんのお墓を撮影する事になる(爆
会津新選組記念館は、骨董屋さんが(恐らく)個人で蒐集した資料を展示している所で、1階はグッズ販売のお店、2階が展示館となっていました。少し小さいスペースで、現在は『八重の桜』関係と、新選組関連の資料が半々くらい。尾形さんの痕跡はやっぱり辿れなかったけど、監察の山崎さんが戊辰戦争直前に永倉さん宛に送った手紙が展示されていて、友人が乱舞しておりました。私も嬉しいよ。なんてまあ美しい字。写真撮りたかった......!
てな経緯で、会津旅2日が終了。明日は藩校日新館へ行き、関東の地へ帰る事となります。
本日の福島名物は馬刺し。