東の京に戻って来まして、早くも新型うつ気味のでうくです(笑)
やはり京都は日本人の心をくすぐられるといいますか、初めて訪れた場所なのに何となく懐かしい気持ちになって不思議でした。
明日より今度は沖縄に飛び立ちますので、小説の方はちょっぴりお休みして、今回の旅の報告をまとめたいと思います。それと。
このたび、『小説家になろう』サイトさんにて、尾形さんの小説をアップする事に致しました。題は全く考えていなかったのですが、『新選組・真の参謀』というわかりやすくかつ仰々しい名前に。内容が名前負けするかもしれませぬ(笑)
連載ものですが小説自体は既に完成しており、20話程度の話となっております。きりの良さで章分けをしていますので、1話ごとの長さには結構なばらつきがありますが、それでも支障がないように2週間ごとに1話更新するようにしております。私がアップをサボらなければ、来年の5月には全て公開される事になりますね。あぁ…不安だ(爆)
拙い小説ではありますが、興味のある方はぜひぜひ以下のアドレスよりお読みください。
http://ncode.syosetu.com/n3255bt/
実は、本ブログでは結構華やかな書き方をしているのですが、小説自体を公開した事は殆ど無く、数える程度の創作仲間に見せたくらいで、公開する予定もなかったものなので、とてもではないですが人にお見せする体裁となっていません。その点はどうかお許しください。
なのに何故公開する気になったかというと、やはり新選組五番隊組長・尾形俊太郎にスポットを浴びて欲しかったからです。消息が明らかになった事と、偶然にも京都に赴いて尾形さんの形跡を辿る事ができた事、そして何よりそれらの出来事が小説完成直後と重なった事から、運命に近いものを感じてしまったのですね(笑)
ですので尾形さんや彼を取り巻く八十八、島田魁といったキャラの人物像は全て創作です。熊本人は確かに過激な部分があって、資料から覗える範囲では尾形さんももっこす感をひしひし感じますが、さすがに本作にあるほど過激ではないハズ(笑)
そして彼岸にいる山野さんにひたすら謝りたい。
さてさて。。。宣伝もこの程度にしてっといっても尾形俊太郎。現在は宮部&彦斎の話をメインに尾形の番外を並行させて書いていますが、霊山歴史館ではこの三人のいずれも名前が登場して熊本人的に非常に天国でした。三人とも最後は悪役として死ぬのですが、そこに却って熊本人らしさを感じるというか、もうあらゆる意味でもっこす感がすごい。
尾形さんの漢詩は読むと泣きたくなりますが非常に達筆でした。そして保存状態がものすごくいいんですね。複製と書いていないので恐らくは原本だと思うのですが、すごくきれい。字の美しさもあいまってとても読みやすかったです。この字を見てあの墓石に刻んである筆跡はやはり尾形さんのものかもしれないと思いました。

尾形さんがいた証はもはや筆跡でしか見つけられなさそうな気がしていたのですが、そんな私にまたも字に関する朗報が。新選組行きつけの料亭だった角屋は本来この時期は開放していないそうですが、今年は新選組結成150周年という事で臨時開放されており、芹沢さん暗殺の夜に近藤さんがアリバイ作りの為に過ごした部屋などを見せていただきました。司馬遼太郎の作品にも一文だけありますが、尾形さんも近藤さんと共に暗殺の夜はこの部屋で過ごしたようです。芹沢さんはこの部屋で散々酔わされた後、土方さんの待つ八木邸で二次会を開き、その後に殺されます。
芹沢さんが亡くなった後でも角屋は新選組に結構困らされていたらしく、監察方がたびたびチェックしていた模様。監察方が作成した掛け売り禁止(いわゆるツケ)の書類が角屋の1階に展示されていました。写真撮影禁止だったので載せる事ができず残念ですが、その字も非常に達筆でした。達筆だったのですが、誰の字なのかは字体が違うので何とも言えず。1866年9月の記録なので尾形さんの可能性はあります。確か、その時期は山崎さんと吉村さんは広島にいたんじゃなかったかな。もちろん、監察方は彼らだけではないので篠原さんたちが書いた可能性は大いにあるのだけれども。筆跡からしか探れないというのがいかにも学者らしい。

他にも、私が作品内で尾形さんに歩かせた道を辿る時間もあって、想像力をとてもかき立てられました。そもそも宿泊した所が旧不動堂村付近で西本願寺の裏という好立地だったので、新選組の移動経路がわかりやすかったというのがあります。天満屋跡は見ていませんが、伊東さんの遺体が棄てられた油小路は見る事ができました。そして謝ってきました「うちの尾形がゴメンネ」と(私の作品では尾形さんが伊東さんを暗殺するのです・・・)。いずれも歩いて10分程度の非常に近い位置にあるようでした。
そして、これはエピローグで尾形さん(エピローグでは古閑 膽次)が立っていた本願寺の大イチョウ。「銀杏城」と呼ばれるほどにイチョウは熊本城のシンボルともなっており、作中では尾形さんの原点への回帰を暗喩しています。西本願寺の大イチョウは昔、火災があった際に水が噴き出して炎を消し止めたという伝説があり、「水吹き銀杏」という異名を持ちますが、古閑膽次の名も消防の神の異名を持ちます。古閑 膽次は未だに謎の多い名で、尾形 俊太郎との結びつきははっきりしないものの、水吹き銀杏との掛け合わせに使わせてもらいました。古閑膽次については恐らく尾形 俊太郎以上に調べるのが困難ですが、宮部&彦斎の後にでも詳しく触れてみたいと思っています。
以上が私の京都旅の全容です。桂離宮や鞍馬寺など、関係のない場所も行きましたが、掻い摘んでしまうと殆どが新選組の話に。京都は、時代や対象人物など毎回テーマを決めて複数回行かねば見尽くせませんな。
東の京に帰り着いてうつ気味になりましたが、今回の旅では元気づけられた面もありまして、京の場所や社会は変わっても志を抱いて上京した事には彼らも私も変わりなく、この先自分が生き残るかどうかは考えても仕方がない、自分の信念のままに進むしかないんだ、と思えるようになりました。斬り合いはないけれど何の保証もされないこの時代の方が、生きている感覚が薄いのは当然なのかもしれない。
最後に、池田屋跡にも行きました。変若水を飲んだら、山崎さんと近藤さんがついてきましたよv