95年VMAでは、リサ・マリーとのラブラブを演じる屈辱的な命令や

具体的な指示が与えられていなかったので、

 

マイケルは、隣に座っている「妻」を、事実通り、

自分とは無関係の人物として立ち振る舞いました。

 

   

 

https://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12527483496.html

 

 

リサとの関係について、マイケルは、言葉によらず、

彼の方法で真実を語っていたと言えます。

 

 

では、マイケルは何故、リサ・マリーと結婚しなければ

ならなかったのでしょうか?

 

 

これまでの検証記事を読んでくださってきた読者の方にとっては、

ご存知の情報が多いかもしれませんが、

 

今日の記事では、マイケルが、彼の方法で語り残した真実の記録を

読み解くことに挑戦してみたいと思います。

 

 

 

DANGEROUSのダンス

 

95年VMAのDANGEROUSのパフォーマンスで、マイケルは、

当初には無かった演出を加えていました。

 

新たに加えられていたのは、「スムースクリミナル」のダンスパートや

以下のような「不思議な仕草」です。

 

 

 陰謀の裏取引で媚びを売る仕草

   

 

 

新たに加えたダンスパートにより、彼は何を語ろうとしていたのでしょうか。

 

 

 

『マイケルの真実の語り方』

 

 

熱愛の恋人への恋文の中で、マイケルはこう書いていました。

 

僕は、誰もが不可能で、それはあり得ないと思うような方法で、
僕自身を君(=MILKさん)に明らかにしたよね
。」

 

 

ラブレターの中で、マイケルは、強大な組織である敵達の激しい妨害がある

中で、誰もが絶対に不可能で、あり得ないと思うような方法を駆使して、

 

彼女がそれと分かるような仕方で、自分自身の真実について

明らかにしてきたと断言しています。

 

つまり、彼は、様々なパフォーマンスの機会を捉えて、

アイディアと創意工夫を凝らし、

 

重要な真実を語り残してきたと考えられるのです。

 

 

95年VMAの「DANGEROUS」のダンスに加えられたパート

意味を解明する手がかりの一つとして、

 

アルバムHISTORYのブックレットに掲載された異色の表現、

「LITTLE SUSIE」という少女の痛ましい遺体画像に注目できます。

   

     

 

 

マイケルが死亡した翌日に発信されたリサ・マリーによる手記に付けられた

He knew」という印象的なタイトルは、この画像に象徴される

「LITTLE SUSIE」の歌詞から取られたものでした。

 

手記には、マイケルが、如何なる攻撃を受けても彼らと組しなかったことや、

真実を語る「試み」を止めなかったことに対する皮肉や嘲り、

憎悪が込められていました。

 

それは、リサに、マイケルとの偽結婚というチャンスを与えたジャクソン一家

による死亡現場の演出に見られる皮肉嘲り憎悪と共通しています。

 

 

録音13 録音11

 

死因だったとされるプロポフォールを、マイケルは「MILK」と呼んでいた、

というシナリオになっていました。

 

ということから、ジャクソン一家が演出したちゃん人形

麻酔薬プロポフォールは、MILKさんを表していたと言えます。

 

 https://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12501707930.html

 

つまり、スージーという名の「少女」は、マイケルの熱愛の恋人「MILKさん」

を指しており、彼女が遺体で描写されているのは、

 

彼女を標的とした「陰謀や犯罪(クリミナル)」があり、

「殺される」可能性が示唆されていたことを語っていたと推測できます。

 

 

     つまり、「脅迫」です。

 

 

リサ・マリーとの不本意も甚だしい結婚を、マイケルが承諾しなければ

ならなかったその最大の理由が、このことにあったと推測できるのです。

 

 

ブックレットの最後のページでも、真実が語られていた形跡が見られます。

 

   

 

子ども達の中で一人だけ、後ろ向きでたたずむ黒人の少年

マイケル自身を、右のアジア系の少女MILKさんを表しており、

 

共に闘ってくれたMILKさんを裏切るように事件を灰色決着せざる

を得なくなった上に、リサ・マリーと強制的に結婚させられたことを

語っていると思われます。

 

少年のTシャツの背中にプリントされた大きな顔写真は、

リサ・マリーとの屈辱的なラブラブ撮影を象徴していたと推測できます。

 

    

 

 

その「顔写真」を殊更に大きく彼の背中に映し出すことにより、

この撮影がいかに執拗だったかを強調したものと思われます。

 

 

     

 

 

 

 

今日の記事では、93年事件を「和解にしたこと」と「リサとの結婚」が、

脅迫された結果であったと言えるもう一つの重要な根拠として、

 

アルバムHISTRYがリリースされる前の同じ時期に報道された

二つのインタビューに焦点を当ててみます。

 

 

実際、この「二つのインタビュー」がなかったとすれば、

捜査官(ブログ管理人)は、真相にたどり着くことは出来なかったと

思われるほど、

 

重要な証拠資料となっているマイケルによる「試み」です。

 

 

インタビューの一つは、マイケルにとって馴染みの深い「EBONY誌」で、

リサ・マリーとの結婚の経緯や二人のアツアツぶりを披露する内容であり、

 

もう一つは、悪名高いタブロイドの「STAR誌」で、

和解決着に至るまでの93年事件中の辛い出来事の詳細を語る内容でした。

 

 

マイケルが、EBONY誌に登場するのは理解できます。しかし....、

 

Star誌については、何度も繰り返しタブロイド誌を非難していた彼が、

インタビューに応じるなんて、

 

「どういうつもり?」と首をひねりたくなるような行動でした。

 

このような異例の行動を含む二つのインタビューを通して

彼は何を伝えようとしたのか?

 

という観点で分析・検証します。

 

こうした「試み」の一つ一つが命懸けであり、

さらに、激しい報復攻撃の原因になったということを踏まえた上で、

 

まずは、それぞれのインタビューで強調された点や、

注目すべき点とは何かを考えます。

 

 

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正統派のEBONY誌のインタビューで強調されたこと

 

 

    


Legend of MOONWALKさん 94年10月
http://legend-of-mwfc.la.coocan.jp/mjtalks-ebony94.html

 

 (記事から)

実際、リサ・マリーは今回のマイケルの試練の時、

マイケルが必要としている時に支え、励ましていた。

 

MJ: 「ちょうど (DANGEROUS)ツアー中で、僕は、善と悪が戦うハルマゲドン

  の中にいるようだった。 事実、頭の中は決戦場のようだったんだ。 

 (児童性的虐待容疑を掛けられていたため)

 

  あんな恐ろしい話が僕の周りで持ち上がり....、
  本当の事なんかひとつも無い、もう信じられなかったよ。


  リサ・マリーは電話をくれたよ。 こういう時、本当の友達って判るんだ。
  彼女は、いつでも本当によくサポートしてくれた。感動したよ。

  彼女は電話で泣いていて、そしてとても怒っていて、

  今にも飛び出して行きそうだった。」

 

......その後マイケルはロンドンで薬の中毒に陥ったが、

そういう時にこそリサ・マリーとの絆が強くなったと語っている。

プロポーズしたのはどっち?という質問に対して....
 
MJ:「僕のほう..。(顔を赤らめて) 
   最初に僕が言ったんだ。
      僕はとっても恥ずかしがり屋なんだけど...電話で....

     「もし結婚してほしいって言ったら、してくれる?」 ってね。
     彼女が 「もちろん」 って応えたあとは、二人とも黙っちゃって.....
     それで僕が、「ちょっとトイレ....」 って言って。」
 
と、マイケルは恥ずかしそうに笑っていた。 

(抜粋終わり)

 

  ------------------

 

 

因みに、プロポーズについて、リサ・マリーの方はといいますと、

2011年のオプラショーで以下のように語りました。

「プロポーズは、暖炉の前で話していたとき、(マイケルが)ポケットから

10カラットのダイヤの指輪を出してきて、私の指につけてくれたの。

たぶん、(彼は)ひざまづいてたわ。」 (2011年オプラショー

 

 

両者の話の「食い違い」は驚くべきことではありませんが、

どの話を取ってみても、「真実の欠片もない結婚」だったことが分かります。

 

 

いずれにしても、EBONY誌では、マイケルは、事件中の辛い時期に献身的に

自分を支えてくれたリサのサポートに感動し、その後彼女に電話でプロポーズ

したと語り、アツアツで幸福なリサとの仲をアピールしました。

 

これが、EBONY誌のインタビューで強調されたことであり、

リサ・マリーとの結婚報道の全てを象徴していると言えます。

 

 

和解決着を選んだ理由について、マイケルは、

公にはこう語ってきました。

 

「長い裁判はやりたくない。僕は人生を先に進めたいんだ。」と。

 

 

EBONY誌で語られた話は、「人生を先に進めたい」という説明と

調和していたと言えます。

 

 

しかし、同時期のもう一つのインタビューの方はと言いますと、

表向きの説明とは全く調和しない内容でした。

 

 

和解決着から8か月も経過した後になって、事件の真っ最中の

辛い出来事の詳細について語るインタビューだったからです。

 

人生を先に進めたかったにも関わらず、しかも、

大衆の関心は「結婚」に移行していた時期だというのに、

 

まるで後戻りするかのように、事件中の辛い出来事を振り返る必要性は

全くなかったはずでした。

 

インタビューの中で、マイケル当人も、

「辛くて思い出したくない」と語っている通りでした...。

 

 

では、彼は、どうして思い出したくもない辛い話であり、

後にしてきたはずの話をわざわざ蒸し返すようなことをしたのでしょうか。

 

タブロイド紙のインタビューに答えるようにという

指示があったからでしょうか?

 

いいえ、そうではないと言える理由があります。何故なら....、

 

   (ここが、注目すべき点、考えどころです。)

 

 

事件中の辛い出来事の詳細について語る必要性は全くなかった。

 

というのは......、EBONY誌で語られたような「リサとのラブラブ話」が

事実であればのことだったからです。

 


言い換えれば、この結婚やラブラブ演技が大嘘であり、

彼の意志に反して強いられたことだったのだとすれば、

 

そのようなことを強いられてしまったその理由は何なのか、

何としても真実を語り残したい彼にとって、

 

Star誌における「試み」は必要不可欠なことだったと考えられるのです。

 

 

異例かつ極めて辛い方法であったとしても、

語り残さなければ、真実は封印されてしまうからです。

 


94年9月、事件中の出来事についての詳細を語った長いインタビュー

の中から、重要な部分にスポットを当ててみます。

 

 

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タブロイド誌のインタビューの注目すべき点

 

 

オファーは常にあったと思われますが、この時ばかりは、

タブロイド誌によるインタビューを受けることを決めたのは、

マイケル当人であったと推測できます。何故なら....、

 

リサ・マリーの名前がただの一度も出てこないインタビューだったからです。

 

     

    これは注目すべき点です。

 

 

何故なら、当時のStar誌がMJに取材をする場合、新妻のリサ・マリー

について、何一つ質問しないということはあり得ないことだったからです。

 

しかし、全く意外にも、

記事ではリサのことに何一つ触れられていなかったということから、

 

インタビューを受けるに当たり、「リサには言及しない」

という条件が付けられていたとしか考えられません。

 

これは、リサとの結婚を強要した者たちによる要求ではあり得ないので、

 

それゆえに、この場合は、マイケル当人による意思であり、

彼が思いついた真実を語り残すための重要な方法であったと思われるのです。

 

 

さらに、同時期の「EBONY誌」では、93年事件の試練の間、

リサの献身的なサポートに感動してプロポーズした、とまで語っていました。

 

にも拘らず、事件中の出来事を詳しく語るインタビューで、

あえて、リサには一切言及しないことにより、マイケルは、

 

この結婚の「不自然さ」EBONY誌で語られた話との「ちぐはぐさ」

を浮き彫りにしようとしたと考えられます。

 

 

新婚当時、同じ条件(リサには言及しない)を、例えば「EBONY誌」のような

雑誌の取材で提示することは不可能だったと理解できるはずです。

 

タブロイド誌であればこそ、マイケル・ジャクソンが取材に応じて

事件のことを語るのであれば、

どんな条件でも受け入れるに違いないと想定出来たでしょう。

 

それに、このインタビューで語った話を「広く知らせることが目的ではなかった」

という点でも、タブロイド誌の方がふさわしかったと言えます。

 

「MILKさんに気づかせる」ことだけが目的だったからです。

 

 

記事は3回に分けて掲載されており、長いインタビューの内容の大半は、

キャサリンを刺激しないためと思われますが、

 

彼女の台本に沿った真実ではない話になっています。

彼は、このインタビューで語る真実を、重要な点だけに絞り込んだのです。



とりわけ、インタビューの終わり近く、質問が「和解の時のこと」に至った時、

マイケルは、選び抜いた少ない言葉で、しかし、

 

表向きに発言してきたこととは全く違う情報を明らかにしたのでした。


弁護士とのやり取りの部分に注目してみたいと思いますが、その前に、

背景を把握するために、和解に至った時系列を簡単に振り返りましょう。

 

 

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時系列

 

 

94年1月5日、マイケルはNAACPアワードにプレゼンター役として登場。

 

揺るぎない決意を表明するスピーチにより、

裁判で潔白を証明すると宣言した。

 

    MJテープ14

 

会場に居合わせた観衆は、スタンディングオベーションで彼を支持した。

 

1月18日、マイケル側は、裁判に備えて弁護団を強化していた


主席弁護士のワイツマン氏によると、「多くの調査・尋問をこなすため

新たに3人の調査員を雇った」とあることから、

この時点では裁判に臨む準備を粛々と進めていたことになる。

 

   Legend of Moonwalkさん 93年事件より

   http://mjfcmoonwalk.com/93_02.html

 

その後、事態は急展開し、1月26日、事件は示談で幕を下ろす

 

 

報道では、「6か月の厳しい交渉の末、双方の弁護士が合意に達する。

双方が目標とした示談での解決が非公開の金額で決着した。」

となっていた。 (「MJ全記録291p)

 

その後、リサ・マリーと結婚。

 

 

このような経緯をたどったことを念頭に置いて、

Star誌のインタビューの「和解に至る」部分を考えます。

 

 

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   Star誌でのタラボレリ氏によるインタビュー

   http://mjfcmoonwalk.com/mjtalks-taraborrelli.html

 

 

マイケルは、ツアー中に起きたスキャンダルが吹き荒れる

ロスに戻ったすぐ後、12月10日に警察に裸にされ調べられた。


そしてマイケルは12月22日、ネバーランドから自分の無実を訴えて

4分間にわたるTV放送を流した。


MJ:悪夢だよ。毎日恐ろしくて眠れない日が続いたんだ。
   思い出したくないなんてものじゃないよ。悪夢以上の悪夢だった。  

関係者は、発表されていない事もあると語っている。


「警察が写真を撮った事はみんな知っているが、供述と違っていたのだから

写真は全部違っていた、という事は誰も知らないんだ。

写真はまだ戻って来ていない。

貸金庫にあって判事だけがその鍵を持っているんだ。」

その取り調べが行なわれている頃、マイケルの姉ラトーヤが

『ラトーヤだけが知っている話』 をばら撒いた。
......未だにマイケルはラトーヤの裏切りを忘れてはいない。(※その後和解) 

 

MJ: あの時はとても悲しかった。でも彼女は姉だし....
  それに今回のことでは誰も憎んだりしたくないって誓ったんだ。

  少し可哀想な人たちだとも思うんだ。
  そう、ラトーヤのことも可哀想だと思っている。 

 

 

94年1月25日(和解発表の前日)、マイケルは2,000万ドルの和解に応じて、

今回の事件を終わりにする決心をし、マイケルから弁護士に切り出した

 

 

注記:ジャクソン一家は、マイケルは、弁護士から和解にするよう

  アドバイスされたと主張してきた。(DVD「Life of Icon」より)

 

 

マイケル:「いくらかかろうと構わないよ。こんな状態はもううんざりだ。

      有罪と同じだよ!」。

弁護士:「でもマイケル...

     和解に応じたら有罪と思われるんじゃありませんか?」

マイケル: 「それが何だって言うの?! 

      どうせもうみんな僕が有罪だと思ってるんだ。

      人がどう思おうと構わないよ、1人を除いてね。

      あの子を僕の悪夢から連れ出してくれ。 」


       (抜粋終わり)

 

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最後の部分が別の翻訳では、

「あんな酷いことってないよ!どうせ皆が僕を有罪だと思っている。
他の人がどう思おうと構わないよ。一人を除いてはね。
誰か、あの子を僕の悪夢から連れ出してくれ!」

となっていました。


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タブロイド誌のインタビューでは、明らかに、

報道されてきた説明とは調和しないことを語っていました。

 

おそらく、マイケルは、考えに考えた上で選び抜いた言葉を

用いていたと思われるので、

 

彼が語った言葉を分解してじっくり分析してみることにしましょう。

 

 

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⑴ 『(和解金額が)いくらかかろうと構わないよ。

   こんな状態はもううんざりだ。有罪と同じだよ!

 

 

この言葉は、NAACPアワードで語ったあの果敢な宣戦布告とも取れる

強力なスピーチが無かったのであれば、腑に落ちるかもしれません。

 

 

マイケルが語った「もううんざりだ」とか、

思い出したくないなんてものではない悪夢中の悪夢」とは、

 

警察に裸にされ調べられて写真撮影された

あの不当で悪意ある捜査を指していました。

 

その他、ラトーヤの裏切りや元従業員らの偽証など

多くのうんざりする出来事がありましたが、

 

それらを全て経験した後に、マイケルは、あのスピーチでこう語ったのです。

 


『私は無実と推定されるだけでなく、実際に無実です!
 私は真実が私の救いになることを知っています。

 私は私の無実を証明するためのこの戦いにおいて、
神への信仰によって、そして、この戦いを私一人で戦っているのではない
という私の認識によって強固にされているのです。

 

一緒に、この事が成し遂げられていくのを見ることにしましょう。

Together, we will see this thing through.』

 

  https://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12050681836.html

 

 

   

 


このスピーチの直後に、「いくらかかろうと構わないよ。
こんな状態はもううんざりだ。有罪と同じだよ!」と語っていたとしたら、

極めて不自然です。


そして、弁護士からの「和解にすると有罪だと思われるのでは

ありませんか?」という理に適ったアドバイスの言葉に対し、

それに返答するマイケルの言葉に注目してください。


⑵『あんな酷いことってないよ!

 どうせ皆が僕を有罪だと思っている。
 他の人がどう思おうと構わないよ。一人を除いてはね。
 誰か、あの子を僕の悪夢から連れ出してくれ!



 再びこの言葉を分解し、背後に含められた意味を洞察してみましょう。


□『あんな酷いことってないよ!

 

または、『それが何だっていうの?いくらかかったって構わないよ。

どうせ皆が僕を有罪だと思っている。』



これは、つまり...、何としても裁判に臨むつもりでいた彼に対し、

 

それを留めるために、相手側が突き付けてきた脅しの内容が、

余りにも酷いことだった、ということを示しているのではないか。

 

だから、

「あんな酷いことってないよ!潔白を証明するつもりだったけど、

.....最悪の事態を避けるために... 要求に応じて和解にするしかない。

 

いくらかかろうと、それによって、世界中の人々が有罪だと思うとしても、

潔白を証明することを諦めるしかない。」

 

という意味のことを語っていたのではないか。

 

 

 

□『他の人がどう思おうと構わないよ。一人を除いてはね。』



『灰色決着にすることにより、多くの人の心に疑惑を残すことになると

分かっているけど、他の人がどう思うとしても仕方がない。』


『でも、一人の人にだけは信じていて欲しい!』

 

という意味に取れる。



□『誰か、あの子を僕の悪夢から連れ出してくれ!


”あの子”、つまり、名前を上げることは出来ない特定の女性を、

自分に降りかかってきた悪意に満ちた策略に巻き込む結果になってしまった、

という事実を語っていたのではないか。

「僕の悪夢」とは、実際には、93年事件をねつ造した組織による

計画的犯行のことを意味していたので、

 

それとは無関係のはずだったその女性を、この犯行組織によって

危害を被る可能性がある状況に陥らせてしまった、

ということを意味していたと推測できる。




「”あの子”とは、誰のことか?」
 

「あの子」とは、原告の少年のことではありません。


少年は、性的虐待など受けていないので、マイケルは、

彼に「僕を信じていて欲しい」と願う必要はなかったからです。

ですから、ここでマイケルが指摘した「あの子」とは、

「僕は独りで戦っているのではない」と認識させて彼を奮い立たせた人であり、

 

アルバムHISTORYに収録された切ないラブソング「You are not alone」で

歌われていたマイケルの熱愛の恋人を指していたと結論できます。



これらの推測こそが真実だとすれば、アルバムHISTORYのブックレットにある

「少女の痛ましい遺体画像」の描写とも合致します。

 

  

 

マイケルが、どのような脅迫を受けたのかを描いていたと考えられるからです。

 

 

 

マイケルの真実の語り方

 

少女の画像は、Gottfried Helnweinというアーティストによるものでした。

 

多くの人は、LITTLE SUSIEは、

子どもに対する虐待の悲惨さを訴えた曲だと解釈しました。

 

マイケルが、この曲の詩を書いた時期は古いとされていることから、

当初は、虐待の悲惨さをイメージしていたのかもしれません。

 

しかし、リリースされて以降、この曲と画像の意味について、

マイケル当人が説明したことは一度もありませんでした。

 

「説明しなかった」のは、アルバムに収録した際には、

全く別のメッセージが込められていたからであったと考えられます。

 

 

97年のBOTDFでは、陰謀の鍵を握る女性として、

スージーの名を連呼するだけでなく、このような描写もありました。 

 

    

 

スージーと一緒になることを切望している....。

 

同アルバムに収録された「Super fly sister」の歌詞には、

「スージーは人の心をかき乱す」というフレーズがあります。

 

ですから、「スージー」とは、マイケルにとって、

陰謀のために引き裂かれた人であり、

 

取り戻したい意中の女性であったということが、

複数の「試み」によって語られていたのです。

 

 

そして、注意深く観察すると、LITLLE SUSIEの遺体画像には、

ヘルンヴァインの作品と比較して決定的に異なる部分があります。

 

左はヘルンヴァインの元の画像。右が実際に使用された画像です。

 

   

 

          どこに違いがありますか?

 

 

ブックレットで使用された画像には、

少女の腰の部分に鋭い縦の線が加えられています。

 

    

 

 

これは、マイケルが指示した描写でした。


 和解の要求に応じなければ、MILKさんをレイプして殺すと

脅迫されたと語っていたと推測できます。

 

 

このように解き明かすなら、事件を示談で終わらせた経緯について

Star誌で語られていた驚くべき真相と完全に合致します。

 

 

Star誌での説明によれば、『1月25日、マイケルは和解に応じて、

今回の事件を終わりにする決心をし、マイケルから弁護士に切り出した。』

とありました。

 

示談で合意したと発表する会見を開いたのは

なんと、その翌日のことだったのです。

 

 

  

 

 

 

この異例のスピード決着は、マイケルが、脅迫されて、

示談に応じざるを得なかったのであれば、腑に落ちることです。

 

要求に無条件で応じさせることが脅迫の目的であり、

それ以降のシナリオは、彼等によってすでに決められていたので、

マイケルには交渉の余地はなかったからです。

 

 

このような経緯で、マイケルは、彼らの卑劣極まりない要求(命令や指示)に

全面的に応じざるを得ない状況に追い込まれてしまったと推測できるのです。

 

MILKさんを人質に取られた上に、彼等の要求には、

リサ・マリーとの結婚という屈辱的な奴隷労働が含まれていたことになります。

 

MILKさんが、マイケルへの働きかけを止めるように仕向けるためであり、

マイケルの熱愛の真実をかき消すためであったのでしょう。

 

マイケルにはなす術もないかのように見える状況でしたが、

しかし、彼は、諦めませんでした!

 

意表を突くアイディアや創意工夫を凝らし、敵達の想像の及ばない仕方で、

真実を語り残すための幾つもの「試み」を仕掛けてきました。

 

今日の記事で考えたケースは、そのほんの一部です。

 

 

まだまだある.....

  

 

DANGEROUSに加えられたダンスパートの意味

 

  

 

 

 

HISTORYツアーにおける激しい攻防

 

    

 

 

BOTDFで語られた真実

 

 

 

この来日の目的

 

 

 

YOU ROCK MY WORLDで語られた新たな真実


  

 

 

 

あれほどの邪悪さと戦いながらも、マイケルの真実の語り方は、

どこまでもユニークでユーモアがあり、

 

美しく、スマートで品位があります。

 

マイケルの聡明さと底なしのひらめき、

驚異的な表現力を垣間見ることが出来ます。