1994年9月のビデオ・ミュージック・アワードのオープニングで、

キスシーンを演じて観客を驚かせたビッグカップル。

 

 

 

 

マイケルが、回した右腕で隠すようにして、

キスした口元を完全にずらしていたことは、

 

 

オプラショーでリサ・マリーが語った話は作り話であり、彼にとって、

この演出は強制された台本演技だったことを示していました。

 

 

 

 

 

    それから1年後の1995年9月のVMAで....。

 

 

折しも、VMAが開催される前、リサ・マリーとのヌード共演で

注目を浴びた「You are not alone(「ユアノア」)」のミュージックビデオが

オンエアされていました。

 

 

      

 

 

 

VMAのノミネーション番組のインタビューの別撮り映像で、R・ケリーは、

「ユアノア」は、”亡くなった人のことを歌った曲”だと語りました。

 

 

       

 

2012年の自伝で「亡くなった母親を忍んでひらめいた曲」だったと語ることにより、

R・ケリーは、それまでに語ってきた嘘を更新しましたが、

 

歌詞を見れば、男女の切ない恋愛を歌ったラブソング以外の

何物でもないことが分かります。

 

 

先回の記事で検証した通り、R・ケリーは、実際にはマイケルとの面識がなく、

両者の関係は、リサ・マリーと同様、台本上の架空のものに過ぎませんでした。

 

 

「ユアノア」に関して、リサ・マリーとR・ケリーが用いられたその目的は、

 

「ユアノア」は、マイケルが、93年事件を和解で決着させられて以降、

別れざるを得なくなった熱愛の恋人への切ない想いを歌ったラブソングであり、

 

マイケルからの熱愛の恋人に対するメッセージであったという事実を

かき消すことでした。

 

 

 

1995年9月7日 ビデオミュージックアワード(VMA)本番

 

 

”夫婦”で、ではなく、一人で車から降りてきてレッドカーペットを歩くMJ

 

        

 

 

この日のVMAの目玉は、

MJによるオープニング・パフォーマンスが予定されていたことでした。

 

1年前のVMAのオープニングは、

マイケルにとって忌まわしいあの強制されたキスシーンでした。

 

MTVによると、この日のMJのパフォーマンスを一目見ようと、

ステージ袖は、バックステージに控えていた他のスター達で

いっぱいだったといいます。

 

 

オープニング・パフォーマンスの後のシーン

 

マイケルは、ジャネットと共演した「スクリーム」のビデオにより、

最優秀ダンス・ビデオ賞を受賞。

 

 

 

 

 

受賞シーンで、彼は、名前を呼ばれて素早く立ち上がった。

 

    

 

スターたちの受賞シーンでよく見られるのは、名前を呼ばれた瞬間、

隣にいる妻に喜びのキスやハグをしたり、微笑みかけるシーンです。

 

ところが、マイケルは、隣の妻をチラリとも見ることなく、素早く立ち上がりました。

 

また、受賞後の挨拶のシーンでよく見られることとして、

支えてくれた妻の名を上げて感謝の言葉を述べたりするものですが、

 

マイケルは、すぐ目の前に妻が座っているにも関わらず、

受賞の挨拶で、妻には一言も言及しませんでした。

 

   

 

 

 

さらに、ショーの間中、手も握らないどころか、隣に座る妻を全く見ないMJ。

 

 

正面を向いたまま。

 

 

 

微笑みかけることも、目を合わせることもしない。

 

隣にいる「妻」が、全く知らない人でもあるかのように正面を向いたままのMJ。

 

 

 

 

断固として正面を向いたままのMJと、

いたたまれない表情のリサ。

 

 

 

舞台の正面のVIP席に座っているため、二人を捉えるカメラから

逃げることが出来ない状況だったからだと思われますが、

 

平然と正面を向いたままのMJの横で、リサは居心が地悪くても、

立ち去ることも出来ず、我慢してその場に留まるしかない状況だったようです。

 

この日、どういうわけか、マイケルは、

あの権力者からの詳細な指示を受けていなかったようです。

 

 

リサの意表を突かれたかような反応からして、

「ラブラブを演じるための指示がでる手筈になっていた」に違いありません。

 

何らかのアクシデントが起きてしまったのでしょうか。

 

いずれにしても、この日の両者の反応や態度から読み取れる真実があります。

 

 

マイケルは、やむを得ない理由があって、権力者から発せられる命令に、

それがどんなに忌まわしい指示であっても、従わなければならない立場に

置かれていましたが、

 

指示が出ていない場合に、彼が自主的に、隣にいる女を

自分の妻であるかのように扱ったり、

 

愛しているかのように振る舞う意向は微塵もないという立場を明確にした、

ということになります。

 

 

 

 

 

 

この日、リサ・マリーは、どの時点で、「異変」に気づいたのでしょうか。

 

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マイケルの伝説のパフォーマンスは、VMAのオープニングを飾っていました。

 

ヒット曲のメドレーの後、DANGEROUSの優美なダンスで観客を魅了。

 

  

 

この時点では、観客と一緒に立ち上がって笑顔で拍手するリサ。

 

 

 

最後の曲は「You are not alone」でした。

 

 

 

観客は、当時、オンエアされていた注目度の高い

ミュージックビデオのあの映像を頭に思い描いたに違いありません。

 

ビデオの主役である夫はステージで歌い、

妻は観客席の最前列に座っていたのですから....。

 

   

 

 

ここで、一旦、立ち止まって、観客や視聴者が頭に思い浮かべたはずの

ミュージックビデオを分析してみましょう。

 

 

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   「You are not alone」のビデオについて

 

 

そもそもマイケルがヌードになるなんて、当時のファンにとって

考えられないことだったと思います。

 

 

 

 

 

 

そして、それ以前に、

 

リサ・マリーをビデオに登場させるということ自体が、

マイケル当人の意向であったはずがないので、

 

「リサとのヌード共演」をするように厳重に命令されてしまったと推測できます。

 

 

ビデオを注意深く見ると、

 

やむを得ずリサとのヌード共演をせざるを得ない状況になってしまったと、

マイケル当人が、作品の中で語っている描写があります。

 

 

まず第一に、「神殿のシーン」ですが、

以下の絵画が素材になっていたと言われてきました。

 

 

 

この絵です。

 

パリッシュ「Daybreak」

 

 

なるほど.....、確かに、「神殿の柱」が同じイメージであり、

「二人のポーズ」も似せてあります。

 

 

でも、もっと注意深く観察すると......。

 

 

 

 

イメージの基になったこちらの絵の背景は、

木の葉や花がたくさん生い茂り、とても健康的ですが、

 

 

 

マイケルが選んだ背景は、ごつごつとした岩だらけの荒野になっています。

 

 

 

 

 

おそらく、聖書の出エジプト記や民数記、申命記などの舞台になっている

シナイの荒野をイメージして描いていたと推測できます。

 

 

 

 

 

  

      実際の「シナイの荒野」

 

 

    生気のない枯渇した台地と岩山

 

 

 畏怖の念を起こさせる荘厳さ

 

 

 

 

背景を「シナイの荒野」として描くことにより、マイケルは、

彼とリサの関係を描写していたと思われます。

 

 

          生気のない枯渇した荒野 

 

 

 

 

「Fall again」の最後の難解な歌詞を彷彿させます。

 

とりわけ、リサ・マリーと強制的に結婚させられて以降、

余りに不本意な作り上げられた自分を演じることを強要され続ける中で、

 

マイケルは、自分自身が置かれていた状況について、

Fall againの歌詞でこう描写していました。

 

僕が呼吸することが出来るのも、血を流すことが出来るのも、

無活動の中で(in sleep)死ぬことが出来るのも、

君(MILKさん)がいつも僕の夢の中にいるからなんだ

 

 

悪意に満ちたシナリオを演じなければならない時、まるで、

自分自身を殺さなければならない感覚であったと容易に想像できます。

 

息詰まる状況の中で、彼の心は血を流し続けていたことでしょう。

 

確かに、この強制的結婚により、彼は、見渡す限りの乾き切った荒野を

歩いているかのようであったと思われます。

 

  

 

 

 

一方、(リサが居ないシーンの)天使マイケルは、

緑と水が満ちあふれる楽園のような地で思いを馳せています。

 

 

  

 

誰に思いを馳せている?

 

 

  

 

観客のいないステージの場面では、

失ってしまった恋人を想い熱唱するマイケル。

 

 

 

観客のいない劇場は、その熱愛が、「誰にも知られてないストーリー」

であったということを意味していたのかもしれません。

 

 

熱唱するマイケル

「You are always in my heart」

 

 

 

 

 

ラストシーンの天使マイケルの脇腹に矢が刺さっています。

 

 

 

「新婚の妻とのアツアツのヌード共演」が、

マイケル当人の意志であったのなら、

 

全裸になった自らの脇腹に矢を突き刺す演出はしなかったはずでしょう。

 

 

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VMAでのパフォーマンスの最後の曲「ユアノア」に話を戻します。

 

95年のVMAで、マイケルが「ユアノア」を歌い始めた時、

観客は、1年前の妻とのキスシーやヌード共演の映像を思い浮かべたことでしょう。

 

ショーの最後の曲「You are not alone」を歌い出したマイケル。  

 

    

 

 

 

 

 

1年前のVMAで、あのキスシーンを演じたことから、

 

スクリーンに、「夫婦のラブラブヌード共演の映像を出す」という、

演出があっても良さそうなものでしたが、マイケルは、そうしませんでした。

 

そのため、失った恋人への想いを歌うマイケルの歌声だけが、

会場いっぱいに鳴り響いていたことになります。

 

「どんなに遠く離れていても、

君はいつも僕の心の中にいる」と熱唱

 

 

 

 

子ども達がステージに...

 

 

最後のシーンで、一瞬、客席にいるリサを指さしたマイケル。

 

 

リサを指さしたのは、コーラス隊が、

「君と僕は遠く離れているけれど」と歌う場面でした。(曲の最後の方)

 

次の瞬間、コーラスが、「でも、君はいつも僕の心の中にいる」

と歌う箇所の直前で、マイケルは、くるりと後ろを向いて立ち去りました。

 

このあからさまなメッセージに、むかついたと思われるリサは、

仕方なく立ち上がり、形だけの拍手をしました。

 

 

 

この辺りから、異変に気付いたと思われます。

 

 

最終的には、リサの態度は、こうでした。

 

 

彼、あたしに恥をかかせた!

どういうこと?

 

 

 

 

はい!何でこうなったのかと言いますと、この日、マイケルは、

わずかな自由が許されていたチャンスを捉えて、

 

彼は脅迫されてリサ・マリーと結婚させられてしまったのであり、

それは、彼にとって、

人生最大の屈辱であったということを語り残して見せていたのです。

 

 

そして、マイケルは、やむを得ない理由があって、権力者から発せられる命令に、

それがどんなに忌まわしい指示であっても、従わなければならない立場に

置かれていましたが、

 

指示が出ていない場合に、彼が自主的に、隣にいる人物を

自分の妻であるかのように扱ったり、

 

愛しているかのように振る舞う意向は微塵もないという立場を明確にした、

ということになります。

 

マイケルの真実の語り方の一コマです。

 

そして、この日のオープニング・パフォーマンスのDANGEROUSで、

マイケルは、新しいダンスパートを加えていました。

 

それは、別の真実を語り残すための試みでした。