マイケルは、HISTORYツアーのロンドンにつづき、97年10月、

最後の公演地であった南アフリカで、再び、「不倫デート」を演じさせられました。

 

「リサを迎える」に当たって、”マイケル側”は、

わざわざプレスのカメラを待機させていたことになります。

 

 

    

 

マイケルの服装は、ロンドンにつづき、

明確に「営業中」のサインを出していたと言えます。

 

これは、デートをする時の服装ではありません。

 

 

         公開不倫デート

 

 

このような設定、それ自体が不自然過ぎるのであって、

マイケル当人が望んでやっていることであるわけがないと気づくべきです。

 

 

しかも、ロンドンの不倫デートと同様、南アフリカにおいても、

監視役として、直々にキャサリンが同行

 

  

 

 

 

 

ロンドンにつづき、南アフリカでの不倫デートにも

直々にキャサリンが同行していたことから、何が分かりますか?

 

 

一つのワールドツアー期間中に、元妻との不倫デートのために、

「キャサリンが二度も同行していた」ということから、

 

まず第一に、リサを呼んだのはキャサリンであったと分かります。

 

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不倫デートを撮影させるために、キャサリンがリサを呼んだのであれば、

そもそも二人の結婚それ自体が、キャサリンによるシナリオだった

ということになります。

 

すでに判明しているギャビン・アルビーゾやクリス・タッカー、

メゼロウ弁護士との交友関係の嘘を加味して考えると、

 

有名になったマイケルの交友関係」(男女、子どもを問わず)は全て、

マイケル当人にとっては強制された台本であり、

 

キャサリンによるビジネスであったということになります。

 

全員が、キャサリンと取引した者でなければならなかった理由があります。

 

「MJとの交友関係」という立場を得させるその見返りとして、

全員に、キャサリンによる犯行シナリオに加担させることにより

 

完璧に口車を合わせることが出来るからです。

 

 

 

マイケルの結婚は脅迫されていたのであり、

 有名になった交友関係の全てがキャサリンのビジネスだった

 

 

リサとの不倫デートのほんの数か月前、同じワールドツアー期間中に、

マイケルは、デビー・ロウと結婚させられました。

 

デビーとの結婚記念写真に写っている新郎は、

初めての子どもが生まれるのを心待ちにしている男性に見えますか?

 

                       

          これが.......

  

 

 

MJの顔の表情と全く調和しない「重ねた手と手のポーズ」を取らされて

いることから、彼に対して厳しい指示(命令、警告)が与えられていた

ことが読み取れます。

 

ピエロのような極厚メイクを施し、目を見開き、カメラを睨みつけている。

 

 

 

 

これは悪意に満ちた大嘘だ!強制されたシナリオだ!』と

無言で絶叫しているかのようです。

 

彼は、真実を語ることが許されていなかったため、

このような方法で訴えるほかなかったのです。

 

おそらく、彼は、MILKさんに対して訴えていたのでしょう。

 

僕をちゃんと見て!これは嘘だって分かるでしょ?

 

 

しかし、この頃のMILKさんは、マイケルを全く見ていませんでした。

 

リアルタイムでは見ていませんでしたが、彼が、報復を覚悟の上で、

数々の同様の「サイン」を記録に残してきたことから、

MILKさんは、後になって、彼が何を語っていたのかに気づくようになったのです。

 

 

(つづき)

介添え人としてデビーの左に居るのは、95年「ONE NIGHT ONLY事件」から

”マイケルの主治医”とされてきたアラン・メッツェガー医師で、

キャサリンと親密な関係を持つ人物です。

 

    

 

デビーとの結婚の時、メッツェガー医師はキャサリンの代理として、

マイケルにキャサリンからの指示を伝えていた可能性が高いと思われます。

 

 

「デビー・ロウはマイケルのかかりつけの皮膚科の看護師で、

彼の長年の友人でもあった」とされてきました。

 

世界中のMJファンは、今でもそれは事実だと信じていますが、

実際には、全くの作り話であったことが判明しています。

 

デビー・ロウはMJの友人ではなく皮膚科の看護師でもなかった

 

 

デビー・ロウは、また、97年のLIFE誌のインタビューで、

「マイケルはリサ・マリーを愛していた」と語ることにより、

ワールドツアー中の不倫デートに関して口裏を合わせました。

 

   97年、LIFE誌のインタビュー

 

1997LIFE

 

 

(インタビューから抜粋)

彼(MJ)は、いま一度、(南アフリカでの)4時間にわたるリサ・マリーとの

写真撮影のことを思い出す。

 

(マイケル)

リサ・マリーは、僕とアフリカにいたんだ。

 IMAXシアターに行って、サファリに出かけるシミュレーションをしたんだ。 

食事をして、パラセイリングもした。 素晴らしかったよ。
と、マイケルは語る。

 

デビーでさえも、マイケルがまだ彼女を好きなことを認めている。


マイケルは、彼女のことをとても気にしているけど、

うまく行かなかったの。 それで困っていたのよ。
彼はリサ・マリーをとても愛していたし、今でも愛しているのよ
」。


リサ・マリーが子どもを要らないという気持ちを考え直さなかったのか

と尋ねた時、マイケルは力説した。
 「その事を彼女は後悔しているよ。 そう彼女が言っていた」。


 リサは、まだその事を考えているのかな?
 「彼女に訊けば、そうだって言うと思うよ。」

(抜粋終わり)

 

 

マイケルが、このインタビューで「素晴らしかったよ」と語った

南アフリカでの4時間にわたるリサ・マリーとの撮影の様子は、

後ほどご覧頂きます。

 

 

 

以下は、このインタビューが掲載された雑誌の表紙の撮影画像です。

 

ネバーランドのマイケルのベッドの上の「演出」にご注目ください。

 

     1997LIFE

 

 

ベッドの至るところに赤ちゃん人形が置かれています。

 

1998

 

 

 

マイケルが、熱愛の恋人MILKさんを諦めていなかったことを嘲笑し、

皮肉っていたことは明かです!

 

そのために、次々と、彼の人格を破壊する悲惨な攻撃を

受けることを余儀なくされていたからです。

 

 

マイケルは、ステージ衣装を着用して”不自然さ”を表すことにより、

この撮影とこのインタビューは強制されたものだった、と

無言で語っていたと思われます。

 

彼は、実際にプリンス君の世話をしていたと思われますが、

この撮影の時は、「指示された動作をしていた」と推測出来ます。

 

 

 

 

愛するプリンス君を紹介する幸福なインタビューのはずでしたが、

彼の表情から、「辛さ」を隠すことは出来なかったと分かります。

 

 

 

以下は、死亡後に公開された椅子の演出写真です。

 

   

    

     「悪意」があります。

 

 

97年の「LIFE誌」のインタビューには、明らかに、MJが死亡した場所である

ベッドルームの異常な演出と共通する悪質な意図が見えます。

 

 

死亡現場のベッドの上に赤ちゃん人形が置かれていた

 

 

    

 

 

この死亡現場写真を撮影したのは、ジャクソン一家でした。

 

MJ死亡現場写真を撮影したのは警察ではなくジャクソン一家だった

 

 

数々の検証からすでに判明している事実ですが、

今日考えた点に見られる明らかな共通性からしても、

 

MJに、二度の結婚を含む嘘の交友関係を強制的に演じさせてきたのは、

キャサリン、そしてジャクソン一家であったと結論できます。

 

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マイケル当人が、93年の自伝映画「WHO IS IT」で、自分自身を「娼婦」

として描写することにより、彼の交友関係は、キャサリンに支配されている

というこの超機密事項であった事実を暴露しています。

(WHO IS ITシリーズ参照)

 

  

 

 

 

初期のキャサリンンのビジネスの相手はダイアナ・ロスでした。

 

 

MJが”娼婦”として稼いだギャラは、ファミリーが搾取していたようです。

 

 

 

 

キャサリンと取引し、口裏を合わせてきた人物たちの事例として、

この二人がいます。

 

2001年3月、MJは、ユリ・ゲラーとシュムリ・ボテアックの共著の本

「ラビと超能力者の告白」発売パーティに駆り出されていました。

 

    

 

     彼の表情に注目してください。

 

 

 

明らかに、これは売名目的だけの”交友関係”であり、

キャサリンのビジネスでした。

 

キャサリンを通してでなければ、

MJの名声を利用することは誰にも出来ないからです。

 

シュムリにより、当時、30時間にも及ぶ肉声インタビューが録音され、

MJの死後に公開されました。(「MJ Tapes」)

 

  

 

「音声だけ」の録音テープなのですから、マイケルの目の前に台本が置かれ、

それを、”感情をこめて”読み上げるように指示されていたに違いありません。

 

 

その「MJTapes」を宣伝する番組の中で、シュムリは、

マイケルが、「キャサリン・ママを聖人に他ならないと言い表している

と説明しました。

 

   ハリウッドセレブニュース MJTapes

 

それもそのはずです。

 

この肉声テープの台本を書いたのは、キャサリンだからです。

 

 

 

(記事より)

『MJテープでマイケルは、「母のような人を他に知らない。

母はマザー・テレサのようだ。こんな種類の人はとても少ないよ。

と語っている。
マイケルは母親を賞賛し、とても大事にしていたと言うラビ(シュムリ)。』

 

 

ユダヤ教のラビ・シュムリは、キャサリンの意向通りの作り話を言い広める

その見返りとして、自分の名と顔を世界中に宣伝することが出来たのです。

 

シュムリによるMJテープで、

マイケルは、リサ・マリーについても語らされています。

 

 ハリウッドセレブニュース MJTapes

 

『このテープは1999年から2001年の間に録音されたテープで、

マイケルはリサ・マリーとなぜ離婚したのかを語っている。


(マイケルの肉声)

僕は子どもが欲しかったけど彼女は欲しくなかった。

彼女は結婚前に僕たちが最初にすることは子どもを作ることだと

約束していたんだ。僕は傷ついたよ。」

僕は赤ちゃんの人形を持って歩き回りながら泣いていた

 

そのぐらい僕は子どもが欲しかったんだ。

僕は子どもを持とうと決めていたんだ。」

 

 

注記:リサ・マリーは、(結婚が本物である場合に)

   子どもをもうけることに慎重な人物ではありませんでした。

   最初の夫ダニー・キーオとはデキ婚で、

   4番目の夫ともデキ婚だったといいます。

 


ラビは、マイケルが結婚した理由はただひとつ、

大家族を作ることだっと言うが、リサ・マリーはそうでなかったと言った。

 


ところがリサ・マリーは離婚後考えを変え、

マイケルに復縁を求めてきたことを明かしている。

リサ・マリーは彼に電話して『復縁を考えましょうよ。

私は子どもを生む心の準備が出来てるわ』と伝えた」

(マイケルの肉声)
僕たちが離婚した後、彼女は僕の母といつも一緒に過ごしていた。

彼女が送ってきた手紙を全部まだ持っているよ。

 

『私はあなたに9人の子供を生んであげるわ。

あなたの望むことは何でもする』 

 

もちろんメディアはそんなストーリーを知らないさ。

彼女は何ヶ月も何ヶ月も復縁しようとしていたんだ。

だけど僕はその時とても無情になっていた。

このすべての状況から心を閉ざしていたんだ。

(抜粋終わり)

 

 

 

 

 

この頃、マイケルの忍耐は限界に達していたと言えます。

 

   

 

 

そして、なんと、この時、

赤ちゃん人形のポスターの切れ端を、右手に持たされていたのです!

 

   

 

いつ、誰が、こんなものをマイケルに持たせたのか?

 

 

赤ちゃん人形のポスターの切れ端を、なんと、

ユリ・ゲラーが、自分たちの著書と一緒に持っていたのです!

 

 

 

 

この時は、キャサリンの代理としてユリ・ゲラーが

キャサリンの意向を代行していたと思われます。

 

彼が、タイミングを見てマイケルに、

赤ちゃんポスターの切れ端を持たせたと推測できます。

 

 

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キャサリンが二度の不倫デートに同行していたことから、

二つ目に分かる重要な事実とは、

 

キャサリン・ジャクソンは敬虔なエホバの証人になりすましてきましたが

彼女はエホバの証人ではない、ということです。

 

敬虔なエホバの証人が不倫を容認することはありません。

 

もし、彼女が、本当にエホバの証人であるとすれば、

息子の公開不倫デートに、しかも二度も同行するなどということは

全くもってあり得ないことなのです。

 

 

LAセンチネル誌に掲載されたマイケルの遺言に込められた深い意味

※MJは、2004年に語った遺言に、「自分はエホバの証人(JW)であり、

 キャサリンとリビーはJWではない」と分かるように、細心の注意を払いつつ、

 その事実を伝えるヒント(手がかり)を織り込んでいました。


 

 

2011年、オプラショーで、マイケルの死の知らせを受けたのは、

エホバの証人の伝道活動を行なっていた時だったと語ったキャサリン。

 

 

 

 

なんと、執拗なこだわりなのでしょう。

 

キャサリンが、これほどまでに、執拗に、

自分はエホバの証人だと主張し続ける、その理由は何ですか?

 

 

これが、全ての謎を解くカギであり、

間もなく地球規模で起きようとしている大患難に関係があるのです。

 

この件については、また後程触れることにします。

 

 

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1997年7月、HISTORYツアー中のロンドンにつづき、  

 

   

 

 

約3か月後の10月、HISTORYツアー最後の公演地南アフリカで、
またもや不倫デートを演じさせられたマイケル。

 

 

 

 

 この時も、キャサリンが同行していました。

 

  

 

 

 

 

ウェットスーツにフェドラ帽はどう見ても似合わない、おかしく見えます。

 

   

 

事情が分からない当時のMJファンは、

これを「マイケルのお茶目」と理解しましたが、

 

今となっては、「この撮影は強制されたシナリオである」と

位置付けるために、マイケルは、出来ることを行なったのだと思われます。

 

 

別のマリンスポーツの休日の写真と比較してみましょう。

 

 1999年 南アフリカのサンシティにて

 

 

カシオ家が同行しており、腕章が付いたシャツを着用していることから、

純粋なレジャーではなく、組まれたスケジュールではあったと思われますが、

 

リサとの不倫デートの時と比較すると、ずっとリラックスしているのが分かります。

 

 

帽子はフェドラ帽ではなく、場所を弁えた種類のものを選んでいます。

 

一般人との記念撮影にも応じたようです。

 

 

リサとの再会を宣伝する撮影では、マイケルの緊張が伝わってきます。

 

  

 

「手をつなぐという指定されたポーズ」の指示に従いながらも、

「防備を施している」のが読み取れます。

 

彼は、全くリサを見ないし、話しかけることもしません。

 

 

 

  

 

 

 

 

指示された通りに、「手」だけは繋いでいますが、

彼の視線は常に元妻から逸れています。

 

 

 

 

完全防備することにより、「娼婦として営業中」をアピールしています。

 

 

 

ロンドンとは異なり、マイケルは、うっすらと作り笑顔を浮かべています。

 

 

デビーとの結婚や、ロンドンの不倫デートでは、

彼は「怒り」の表情を浮かべていました。

 

それを厳しく咎められたものと推測できます。

恐ろしい警告が発せられていたのでしょう。

 

 

とはいえ、彼は、リサを全く見ないし、話しかけることもしませんでした。

 

 

見ない、微笑みかけることもない、話しかけない。

 

 

リサが子どもに話しかけますが、マイケルは全く動きません。

 

 

彼を歓迎する子ども達の演技から全く視線を逸らさない。

 

 

 

隣にいる”愛する元妻”を見ないし、微笑みかけることもない、

声をかけることもしません。

 

 

 

 

 

コチラは、結婚期間中のラブラブ写真です。

 

   

 

 

結婚期間中だけ”という約束だったので、ラブラブを演じる細かい指示に、

いやいやながらも何とか従ってきたのでしょう。

 

しかし、約束は守られず、離婚後も引き続き屈辱的な演技を続行するよう

仕組まれてしまったため、

 

こんなことがいつまで続くのかも分からない以上、

もはや、結婚期間中のような「満面の作り笑顔」や「ハッピー」を演じることは

不可能だったと推測できます。

 

 

つづく