マイケルの記事とJWの記事を交互に書いていくことにします。
今日は、久しぶりにマイケルについてです。

米国の新聞「LA SENTINEL」のコラムニスト、フォーポ・W・カー博士は、
2009年7月23日、『マイケル・ジャクソンとエホバの証人』という記事の中で、

驚くべきことに、2005年裁判の頃に、マイケルが、カー博士に『遺言』を語った時のことに触れました。

「LA SENTINEL」は、1933年に創設された米国の由緒ある新聞で、
多くのアフリカ系アメリカ人に支持されているといいます。

                         

   

 フォーポ・W・カー博士

   

                            
LA SENTINELの代表者ダニー・ベイクウェルさんとマイケル。

   
 2007年、ジェシー・ジャクソンのバースディパーティの時のツーショットです。

 
何故、マイケルは、新聞のコラムニストに遺言を語ったのか?

多くのMJファンは、
マイケルのこの遺言の言葉に、殆ど注意を払うことが出来ませんでした。

それというのも、ラトーヤ・ジャクソンやカレン・フェイが、
執拗にエホバの証人に偏見を持たせる発言を繰り返していたからでした。

しかし、もう一度、よく考えてみてください。

「LA SENTINEL」は、マイケルの人格を歪める記事を掲載するゴシップ誌ではありません。

また、当人が亡くなった後に、記者の名前を出して、『遺言の言葉』を創作したり、
歪めて伝えるなどということは、まずあり得ないことだと思います。

マイケルが、カー博士に語った『遺言』とは、

『僕にもしものことがあったら、あなたに、子ども達をエホバの証人にならせて頂きたいのです。』

という意外な言葉でした。

多くのファンは、エホバの証人に対する偏見を植え付けられてしまったために、
マイケルのこの言葉を受け入れることが出来ませんでした。

しかし、もう一度、考え直してみてください。

マイケルが語った『遺言』だからです。

あの2005年裁判の直前に語った『遺言』というからには、深い意味が込められていたはずです。

それに、
コラムニストにそれを語ったということは、そのメッセージを公にしたかったに違いありません。

マイケルが、この言葉に込めた意味を、
自分が居る世界の外側に居る人々に、知って欲しいと思ったのです。

さらに、驚くべきことに、語った場所は、マイケルのマンションの自宅であり、
キャサリン、リビー、ルワランバがそこに居合わせていた時でした。

『遺言』...、しかも、子ども達のことをお願いしているのですから、

本来なら、最も信頼する母親か、信頼する姉、或は、子どもたちを世話してくれる乳母に
語り残したいと思うはずではないでしょうか。

ところが、

最も適任であるはずのその3人がそこに居合わせていたにも関わらず、
マイケルは、特に親しいわけでもない部外者のコラムニストを別室に呼び、

上のような『遺言の言葉』を語ったのです。

これは、『ただ事ではないこと』でした。

この試みによって、彼が公に伝えたかった真意とは何だったのか? 

それを理解するためには、その遺言を残した時の状況や、物事の背後にあった事情、
さらに、彼が語った言葉のひとつひとつの意味を、よく考えてみる必要があると思います。 

可能な限り、彼が公に知らせたかった真実に近づくことを目標にして、分析してみたいと思います。



「当時の状況」

あの2005年裁判を前にしてのマイケルの心中がどのようなものであったのか....。

当時、彼は、
冷淡な敵達に囲まれ、児童性的虐待事件の容疑者を演じなければならないという
異常な状況に置かれていたことを考慮に入れなければなりません。

何故なら、ギャビン・アルビーゾは癌患者ではなく、化学療法も受けていませんでした。
邪悪な一家の非常に性質の悪い子どもが、癌患者になりすましていただけだったのです。

マイケルは、そうと分かっていて、
「彼の友人」だとか、「事件の容疑者」の役を演じなければなりませんでした。

 

過去記事:ギャビン・アルビーゾが癌患者ではなかった証拠は
       2005年裁判が組織的犯行であったことを証明する


http://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12050467123.html



生前のプリンスが、「マイケルには、君たちの知らない事情があるんだよ」と弁護しましたが、
まさに、彼は、私たちの想像をはるかに絶する恐るべき監視システムの中に居ました。

彼は、何を語るかを常に監視され、彼自身の真実の言葉で語ることは許されていなかったのです。


FOXニュース・インタビュー 2005年2月

 

「母が聖書を教えてくれた、家族との良好な関係、ランディを信頼してる、
父親は戦士、親友はE・テーラー、ネバーランドは自分と子どもたちのために作った、.....」などなど

マイケルが、台本通りに語るのを、ランディ・ジャクソンがその場に居て監視していたのでした。
http://moonwalker.jp/interview/05_rivera.html


その上、
ファンに対しては、過剰サービスを、笑顔で振る舞わなければなりませんでした。

『このサービス』は、ファミリーにとって都合よく物事を運ぶために指定されたサービスでした。


 

2004年1月、罪状認否のこの日のために、一般のファンをサンタマリアへ輸送するため、
複数のバスや車をチャーターする計画も発表されました。

その時の偽善に満ちたジャーメインからの挨拶。

我々は皆さんを愛している。皆さんのマイケルを愛する気持ちは充分伝わっている。
我々もマイケルを愛している。皆さんの支援と祈りに心から感謝する。
集まってくれてありがとう。そしてもう一度、ファンの皆さんありがとう。
非常に光栄だ。どうもありがとう
」。

裁判所の周辺ではマイケルの警備員により、

「愛と連帯の精神の下、マイケル・ジャクソンはファンや支援者の皆さんをネバーランド・ランチへ
ご招待したいと思います。本日午前11時から午後2時まで是非ご参加ください。
軽いお食事を提供します。現地でお会いしましょう」

と書かれたネバーランドへの招待状が配られたといいます。

http://moonwalker.jp/project_old/2004-1.html


 

http://moonwalker.jp/project_old/2004-1.html


裁判をお祭り騒ぎにして盛り上げることにより、報道のネタにするためや、
ファンをますます集団ヒステリー化させ、マイケルの個人的な必要は眼中にない精神状態にならせるため、

また、『マイケルとファアミリ―の絆』を見せつけるためであったと思われます。


  
 



 


マイケルが死亡した後、ファンがファミリーを熱心に支持し、
キャサリンを崇拝するるように仕組まれていました。


麗しい母と息子の信頼関係を見せつけるにいいだけ見せつけ、それを決定的な既成事実にして、
彼女の貪欲さや邪悪さ、数々の犯行を、厚いベールで覆い隠して見えなくするための偽装工作でした。

   
 
 



 

無罪判決が出た日...。





判決がどうなるかは、マイケルには知らされていなかったので、
この日のリアクションは、「指定されていなかった」ものと思われます。

それで、おそらく、マイケルは、
リアクションをどのようにするかを思い定めていたのではないかと推測出来ます。



無罪判決が出た時のマイケルのリアクションですが....、
著書「MJ裁判」と当時の新聞報道によると、

彼はティシュで顔を拭き、次に弁護団と抱き合い、
「神」、「弁護団」、「ファン」に対して感謝を述べたと言われています。

マイケルは、弁護団が、自分達の名声のためにこの役を演じていただけだったことを知っていましたが、
事情を知らない周囲の人たちの目を考えて、そうしたものと思われます。

そうしてから、次に、彼は、

ジャクソンファミリーの横を素通りして、退廷したといいます。(著書「MJ裁判」より)


そこに誰の目があろうとも、命令されてない場合
母親にも家族にも、挨拶どころか、目を合わすことさえする気持ちが無かった、

彼の明確な意思が、ここにはっきりと表れています。


判決の前までの「親密さをアピールする数々の場面」からすると、

もし、それが本心からのものだったとしたら、

無罪判決が言い渡されたその時に、『横を素通りする』ということは、絶対にあり得ないリアクションでした。


   
 


強硬に命令され、指定されて、果たさなければならなかった親密さをアピールする演技は、
判決前で、すでに終了していたのでしょう。

無罪判決のアナウンスを聞いた後、

マイケルは、直前まであれほど親密に見せかけていた母親と、

互いに顔を見合わせることも、言葉を交わすことも、抱き合うこともしませんでした。


  
 
 この母親こそが、このおぞましい「ねつ造事件」の首謀者だったからです。


マイケルは、この恐ろしい裁判の直前に、
キャサリンとリビーとルワランバがそこに居合わせた自宅の別の部屋で、

全く部外者である人物に、『遺言』を残しました。

その時点で、いつ死亡する(殺される)かもしれない状況に置かれていたことになります。

この裁判により、地位と名声を約束されていたメゼロウ弁護士は、

このチャンスを与えてくれたキャサリンを絶賛しつつ、

「もし、有罪なら、マイケルは間違いなく自殺するだろう。」と、メディアを通して何度もそう宣伝していました。

当時、「弁護士が、何故、繰り返し、こんな発言をするのだろうか」と思いました。

もし、仮に有罪になったとしても、上訴することが出来ますし、
子ども達が居るのに、何故、「彼は自殺する」と断言するのだろうか?と思いました。

今思えば、メゼロウを使って公にそのように布告することで、マイケルを威嚇していたのだと思います。

おそらく、舞台の裏側で、母親や兄たちがマイケルに浴びせた罵声や脅迫の言葉は、
『ただの脅しではないんだぞ!』という意味だったのでしょう。

ファミリーとの親密さをアピールする演技を、「きっちりと演じろよ!手抜きは絶対に許さないぞ!」
と威嚇していたのだと推測出来ます。

ですから、マイケルが、
「自殺に見せかけて殺されるかもしれない」と思ったとしても不思議ではありませんでした。

それだけに、マイケルは、

何とかして、この言葉を活字に残る形で言い残しておきたかったと思われますし、
そのために、考えに考え抜いて思いついた勇気ある決死の試みであったと考えられるのです。

ですから、これは、
決して見過ごしてはならないマイケルからの極めて重要なメッセージであると言えます。



マイケルが遺言を残すために、カー博士を選んだことから何が分かるか?」


 LA SENTINELのコラムニストであるカー博士が書いた記事の信ぴょう性についてですが、
カー博士は、ニューヨーク・コーネル大学の教授であり、聖書学者、ライターなどの肩書があります。   
 

由緒ある新聞「LA SENTINEL紙」のコラムニストという立場や肩書から見て、
カー博士は、マイケルの言葉通りに真実を書いていたと考えて間違いないと思います。

むしろ、マイケルは、 何とかして、この遺言の言葉を歪められたり、葬り去られることなく、 
活字にして残してもらうために、 伝えるべきジャーナリストは誰か、

また、どう伝えるべきかを考慮し、慎重に選んでいた形跡があります。

というのも、カー博士の幾つかの記事を確認してみたところ、
博士が日ごろ書いてきた記事の内容からして、マイケルは、

 カー博士が 聖書に対する信仰と深い敬意がある人物 で、 エホバの証人の活動に精通し、 
その活動を高く評価している人物
であることをよく知っていたと思われます。

カー博士は、マイケルに関する記事も多く執筆しており、ゴシップめいた記事はありませんでしたが、
彼の信仰の幼稚さについて、厳しい意見を書いています。

表向きに見て、そのような意見は正直で、非常に最もな意見でした。

マイケルの信仰は、報道からは、非常に幼稚に見えたからです。

マイケルは、自分がそのように見られていることを、知っていたと思います。

それでも、マイケルが重要視したのは、神への信仰心が篤いカ―博士が、
自分が話した遺言の言葉を歪めるような人物ではないということだったと思います。


また、カー博士は、2005年裁判の際、ジャクソン一家のスポークスマンを務めていたことが分かりました。

  
 


カー博士の記事から、
博士は、キャサリンとリビーが敬虔なエホバの証人であると信じていたことが分かります。

それで、ファミリーが敵視している人物ではないという点も、マイケルにとって好都合であったと思われます。

ファミリーが敵視している人物との接点を持つことは、まず不可能だったからです。

あらゆる状況を考慮して、『遺言を残す』人物として、カー博士が適任だと判断したのでしょう。

しかも、彼は、
この遺言を活字にしてもらえるのは、自分が殺された後のことだと想定して、こうしたのです。


ここまでの分析から、

彼が、この遺言に含まれるメッセージをどれほど大切にしていたか、
「公に知らせたい」と、どれほど切望していたががよく理解出来ると思います。

また、そのようなメッセージを記録に残すためのこの試みから、
試練の極限の状態に置かれながらも、マイケルが、冷静かつ聡明な判断力を働かせていたことが分かります。

 次に、マイケルがこの言葉を語ったその頃の彼が置かれていた状況を少し振り返ってみます。



「マイケルがこの言葉を語る前の状況」 

ユリ・ゲラーとラビ・シュムリの売名行為に協力させられていたマイケル。


 


彼の表情を見れば、これが強制奴隷労働であったということがはっきりと分かります。

 しかも、あのオックスフォード大学のスピーチの原稿は、
なんとシュムリ・ボアテックスが書いたものだったといいます。


 


ですから、マイケルは、自分の言葉で語ることは一切許されない状況にありました。

 
 訴訟に持ち込む目的で制作されたバシールの番組。


 
 


ファミリーやカレン・フェイ、デビー・ロウらを
マイケルの支持者に見せかける目的で制作された反論番組。

カメラの前で、堂々とマイケルにセクハラ行為をする汚れたカレン・フェイ

 
マイケルは、この腐った汚物のような女の手を振り払う自由が許されてなかったのです!


しかも、全ての企画が、マイケルを殺害した後に利用する目的で制作していることが
当人にはっきりと認識出来る仕方であったという、残酷な行為でした。

そして、次から次と畳み込むように仕掛けてくる悪意に満ちた企みを成功させるために、 
また、それが絶対にバレないように画策するために、

 マイケルを監視するメンバーたちの存在がありました。

≪ナニーのグレイス・ルワランバ、ヘアメイクのカレン・フェイ、
ボディガードたち、衣装のM・ブッシュ、世話役のフランク・カシオやディーター・ワイズナーなど....≫

全てのキャストが、 キャサリンが手なずけた人物で固められていたのです。

全員がキャサリンを持ち上げ、賛辞を贈り、彼女にとって都合よく動いていたことや、 
貪欲極まりないAEG裁判を主導したのがキャサリンであったことからして、 

全てが、支配者の権力をバックにしたキャサリン主導のシナリオだったと見て間違いないと思われます。

このような状況の中で、ユダヤ教のラビのシュムリ・ボアテックスにより、 
マイケルの人格を激しく歪め、

ナルシストで幼稚な人物に見せかける目的で録音されたMJテープがありました。

このテープの録音は、30時間にも及んだということから、殆ど拷問のような状況であったと思われます。

しかも、この録音テープの台本では、
マイケルが自分の宗教観を語る部分にかなりの重点が置かれてました。

「MJテープ マイケルと宗教」
http://ameblo.jp/marianong3/entry-11253574478.html

一語一句が台本だったと言えるその内容ですが、

最初の人間アダムとエバが甚大な罪を犯したことについて、「本当にあったことなのか分からない」と発言。

「神の方法が理解出来ない」とか、「神の考えは間違っていた」と、神を非難する発言。

「エホバの証人の長老に聞いても、的外れなことを言われたり、何も教えてくれなかった」と繰り返し語る。

マイケルは「王国会館の人々がマイケルの名声と賛美を酷評するようになった」ことをシュムリに説明。

「神より、子どもを賛美する言葉の数々」など、

聖書やエホバ神への疑念を起こさせる発言や、エホバの証人への非難を延々と語らされていたのです。

明らかに、マイケルの信仰心を踏みにじり、撃ち砕くための攻撃でした。

彼が、『どうしても、遺言を残したかった背景』には、このような事情があったのです。


 さらに、ユダヤ教のラビだけでなく、

ファミリーと繋がりがあるキリスト教の牧師ジェシー・ジャクソンやアル・シャープトン、 
ネイション・オブ・イスラムなども、売名目的でマイケルに絡みついていました。


      


 
2004年8月 メゼロウ弁護士とランディ、コメディアンに囲まれ連行されて、
ファーストAME教会の日曜学校に行かされました。

     
 

ファンや一般の人々には理解してもらえないことでしたが、
こうして、次から次と、彼の信仰に対する激しい攻撃が続いていたことになります。



「彼の人生は、ただ悲惨なだけだったのでしょうか?彼の人生をどう見るべきですか?」
 

ある人達は、マイケルの人生が余りにも悲惨であったことから、その事実を知ることにより、

「マイケルは何て可哀想な人だったのか!」

「彼の人生がこれほどまでに悲惨だったなんて、知りたくない!認めたくない!」

と、そう思われるかもしれません。

ところが、実際には、そうではないのです。


マイケルが残した遺言の中に、彼の強靭な心、彼の強い意志を読み取ることが出来ます。

つまり、彼は、この状況から逃れる道を選ぶことが出来る立場にありました。

おそらく、何度も何度も繰り返し、支配者から「自由になれる条件」を提示されたことでしょう。

ところが、彼は、誰もが求める富や名声や栄光が伴う『招待』を受けようとはしなかったのです。

この悲惨な状況を受けて立っていたのはマイケルであり、
彼の自由意志がこの生き方を選んでいたことが、彼の残した遺言から理解することが出来ます。

つまり、彼の内面(心)は、決して彼らの奴隷になることはなかったのです。


以下は、 裁判を目前に控えた2004年のある日、 カー博士がマイケルの別宅に招かれた時の出来事です。


マイケルの子ども達以外の 3人の人物 と、 マイケルの行動の仕方と、発言の内容に注目してください。


「マイケルが語り残した遺言」

https://lasentinel.net/michael-jackson-jehovah-s-witnesses.html

Also, back in 2004, under some rather critical, extenuating circumstances 
I found myself in the presence of Michael, his mother Katherine, 
his sister Rebbie, Grace Rwaramba (the children’s nanny), 
Michael’s daughter Paris, and son Prince Michael. 
We were at Michael’s rented home in Beverly Hills. 

I was surprised when he beckoned me into an adjacent room. 
Paris insisted on being not letting him out of her sight, 
so she and Prince Michael accompanied us into the next room, 
after which Michael closed the door.

He then told me, among other things, that he wanted me to study the Bible with his children, 
and that he wanted them to be raised by his mother as Jehovah’s Witnesses should anything happen to him. 

This explains in part why these same children were being seen attending a Kingdom Hall of J
ehovah’s Witnesses here in Los Angeles after his funeral.

(カー博士の説明)
振り返ると、2004年、(マイケルが)非常に重大な局面に居たその時、
 それは情状酌量すべき事情であった時のこと、

 彼の母キャサリン 、 彼の姉のリビー 、子ども達のナニーであるグレイス・ルワランバ 、 
マイケルの娘のパリス、そして、息子のプリンスが、そこに同席していたのです。

私達は、マイケルが借りていたビバリーヒルズの家に居ました。

I was surprised when he beckoned me into an adjacent room. 

驚いたことに、彼は、別の部屋に私を手招きしたのです。

※注記: カー博士が、ここで「驚いたことに」と付け加えているのは、 
マイケルは、誰よりも母親キャサリンを信頼しており、リビーとも仲が良く、 
ルワランバもマイケルに信頼されていたと、博士はそう信じ切っていたからでしょう。

それなのに、マイケルが、この時、何故、自分を別の部屋に呼び寄せたのか、 
意味が掴めずに困惑したものと思われます。


(つづき) 
Paris insisted on being not letting him out of her sight, 
so she and Prince Michael accompanied us into the next room, 
after which Michael closed the door. 

パリスは、彼女の視界から彼(マイケル)が見えなくならないようにと、しきりに強く言い張っていた。
それで、彼女とプリンスが、隣の部屋の中まで同行した。
その後、マイケルは、部屋のドアを閉めた。

 ※注記:その場に異様な雰囲気が漂ったので、パリス(当時6歳位)が神経質になったものと推測出来ます。
 表向きの報道の通り、祖母のキャサリンや、叔母のリビーや、乳母のルワランバを心底信頼していたなら、
そのような反応をすることはなかったと思います。

パリスは、AEG裁判での質疑応答により、
パパが「ルワランバは嘘つきだ」と語り、彼女を子どもたちから遠ざけようとしていたことを証言しました。

 

この時の証言で、パリスはごく幼い頃から、ルワランバを全く信頼していなかったどころか、
汚れた女だと認識していたことが判明しています。 


(つづき)
He then told me, among other things, that he wanted me to study the Bible with his children, 
and that he wanted them to be raised by his mother as Jehovah’s Witnesses should anything happen to him. 

彼(マイケル)は、そうしてから、私に、他の事柄の話の中で、こう語った。


 私に、もしものことが起きてしまった時には、貴方に、子ども達に聖書を教えて頂きたいのです 。

そして、私の母によって提起されるようにして ( 私 の母を立てて)、 

子ども達をエホバの証人にならせて頂きたいのです
 。」

 
This explains in part why these same children were being seen attending a Kingdom Hall of
 Jehovah’s Witnesses here in Los Angeles after his funeral.

葬儀の後、子供たちが 、 
ここ ロサンゼルスで エホバの証人の 王国会館に通っていることが見られるのは、 
それが理由の一つだという説明になります。

(カー博士の説明はここまでです。)




「マイケルは、この遺言でどんなメッセージを発信したかったのか?」


まず、キャサリンとリビーは、表向きには、敬虔なエホバの証人であるということが定説になっており、
カー博士もそう信じていました。

しかし、もしそれが事実であれば、父親マイケルにもしものことがあった場合に、
カー博士に、「子供たちに聖書を教えて欲しい」とお願いするのは全く筋違いなことです。

エホバの証人は、全員が言わば「聖書学者」であり、
全ての成員が教える資格を持っているということを、マイケルはよく知っています。

ですから、父親にもしものことがあった場合、
子ども達に聖書を教える立場としての最適任者は、キャサリンやリビーです。

さらに、「カー博士はエホバの証人ではない」ことから、
博士に、「子どもたちをエホバの証人にならせてください」とお願いするのは、

筋違いも甚だしいことであり、異常な発言です。

キャサリンとリビーが、敬虔なエホバの証人であるとしたら、
この二人が、子どもたちをそのように導くのに、最もふさわしい立場にあるはずだからです。


したがって、ここでマイケルが言いたかったことは、

「キャサリンとリビーはエホバの証人ではない」ということです。

2人はこれまでエホバの証人になりすまし、大嘘を語り続けてきたということです。

しかも、わざわざ、キャサリンとリビーとルワランバがその場所に居た時に、
本来なら、その3人に遺言するべきことを、

全く無関係の部外者であるカー博士に伝えていることから、

ルワランバも含め、この3人は、
子ども達の福祉に全く関心が無いということを示唆していると思われます。

また、
「私の母によって提起されるようにして ( 私の母を立てて)、
子ども達をエホバの証人にならせて頂きたいのです 。」という言葉から、

マイケルが、キャサリンの人格をいかに恐れていたかが窺えます。



マイケルは、LASENTINELの記者であるカー博士が訪ねてくるその日に、
キャサリンとリビーとルワランバが、その場に居合わせるように設定したものと思われます。

マイケルのこの状況設定の仕方と、博士を隣の部屋に呼び寄せてドアを閉めるという行為、

そうしてから博士に告げた遺言の内容、

彼が、極めて困難な時期に、考えに考え抜いてひらめいたと思われるこの短いシナリオには、

多くのメッセージが込められています。

この遺言によって、世間の認識はどうであれ、

マイケルは、自分自身が、エホバの証人としての堅い信仰を持ち続けてきたことや、

子ども達にとって、エホバの証人になることが最も幸福なことであり、最善の道だという
確信を言い表していたことになります。

マイケルは、あのような悲惨な状況にありながら、
創造者エホバ神への信仰を保っていることが最善の道だという確信を持っていたことになります。

誰も全く気付かなかった恐るべき監視システムの中で、完全に隠ぺいされてきた彼の闘いの真実について、

マイケルは、ほんの短い厳選された言葉で、じつに見事に、自分の言葉で語っていたことになります。

なんて頭がいいのでしょう!

そして、マイケルは、自分の信仰や信条に関する真実を語るのに、
これほどまでに手の込んだことをする必要があったということになります。

マイケルのこの抵抗は、
ナチスの絶対主義システムに抵抗したエホバの証人の堅い信仰の物語と通じるものがあります。

マイケルが、
あれほどの酷い攻撃に遭ってきたのは、彼がエホバの証人であり続けたからであると言えるでしょう。

彼は、エホバの証人であることを辞めることも出来ましたが、
どんなに攻撃されても、自分の意志で、エホバの証人であることを辞めることはしなかったのです。




すると、このような疑問を抱く方がおられるかもしれません。

エホバの証人は、
どんなに脅されても、断固として戦争に関係することには一切関わりを持たないはずなのに、
マイケルはそうではなかったと、

     
 
 
エホバの証人は、どんなに偏見を持たれても、
悪魔崇拝者が作り出した祝い事であるクリスマスや誕生日を祝わないのに、
マイケルはそうではなかったと、


     
 
 

それなのに、どうして、マイケルはエホバの証人としての信仰を堅く保ったと言えるのでしょうか。



この疑問に対する答えがあります。別記事で扱います。