PRYCE16写真日記 -34ページ目

PRYCE16写真日記

このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

かねてから訪れたかった埼玉県某市にあるフーロン。従来は芙蓉と記していた。万博の常連だった芙蓉グループを知る人々にとってはこの花の名前をなんとなく読めるかもしれないが(それは「フヨウ」であるが)、普通のヒトにはまず読めない。そのせいなのかなんなのか、2019年頃にはまずこの入口付近の表記がまずカタカタになり、2021年春頃に、道路沿いの看板と共に現在のアルファベット表記な姿となった。

 

 

当店が有名になった(というかボクが知った)のは、2020年秋、コロナ過で経営困難に陥った個人商店を救済すべく立ち上がった某ラジオ番組の「商売繁盛大作戦」での事だ。その時編み出された「ニラ玉麻婆丼」は、現在でも通常メニューとして提供されている。がしかし今日は初めてという事もあり、いつもの炒飯餃子。量も味も良い感じだ。

 

 

この国道沿いに聳え立つ大看板も、ここ数年で2度変わっている。興味のある方はGoogleマップで確認してみると良いだろう。ついでに我が家の様子も見てみるのもまた面白い(笑)。

 


各駅停車しか止まらない駅からそこそこの距離がある。6月末だというのに梅雨が明けてしまい、まだ7月に入ったばかりだというのに猛暑日。往路も復路も、油断していると目の前に星がちらつく程。

 

 

駅前の飲み屋街(?)は、都心とも田舎とも違う独特の密度で、それらしい店舗がひしめきあっている。

 

 

12:59、最寄駅。僅か10数分ばかり歩いただけで、もう水分補給が必要な程だった。

 

 

13:10、ダイヤ改正以降かどうか不明だが、ほぼいつもこの駅で特急列車に追い越される。そんな様子を1/500sec、F4、ISO200という設定で撮影する。マニュアルで設定しなければ絶対に選ばれないであろう組み合わせだ。何故ならカメラはどういう被写体をどういう意図で撮ろうとしているかを知る術がないからだ。

 

 

13:56、東武本線上をゆく上り列車を順光望遠で撮れそうな場所を探して、やって来たとある駅。

 

 

14:02、駅なもので、どうしても入ってしまうホームを避けると、こんな構図になってしまう。

 

 

14:09、車両は平凡だが、側面のボケ具合がなかなか。やはり編成全てを収めたい所だ。

 

 

14:15、ケツ打ち&半逆光。

 

 

14:16、この写真でもホームは僅かに写っているのだが、こうしてみるとほとんど目立たない。という事はもっとガンガン入れて、編成全体を収めた方が良いのではないか。

 

 

14:18、ケツ打ち&半逆光に加えて平凡車両。

 

 

14:27、またも平凡車両。このオレンジ顔のアルミ車もすっかり本線の顔となってしまった。だがよくみるとコレと1枚前の写真に写っているのは、元々東上線用に製造された50000系である。スカイツリーライン(伊勢崎線の浅草~東武動物公園間)には全編成中2編成しかない。それが立て続けに目の前を通ったのだから、すごいといえばすごい…のだが、やはり退屈には違いない。

 


14:29、慌てて撮った為か、何もかもイマイチ。

 

 

14:31、やっと特急らしい特急がやって来た。30分で9列車(緩行線は除く)、うち3本が特急。密度としてはまあまあなのだが、田舎の線路脇で構えるのに対してなんとなく面白くないのは何故なのか。

 

 

 

14:57、隣駅の隣ホームまで遠征し、墨田川発南松本行きの下り89列車を収める。逆光なので、流石にパソコンで補正。

 

 

15:43、パンタを下ろし、夕刻のシャトル便に備えてしばし急速する「鮫」。

 


15:46、今やすっかり珍しいものとなってしまった貨物色のEF65を超至近距離で。残念ながらまだらだ。

 

 

15:53、到着するやすぐに短編成の配給列車を切り放し、単機なのに誘導手を従えて戻ってくる。

 

 

先程とは別の線路でしばし引きこもる。

 

 

本日の使用機材。毎度お馴染みのsmcM80-200mm。元高級レンズだけあり、写りは現代でも通用する(当ブログに使用する程度なら)。

 

 55.35 12.5

 

最近は大型家電店を含む一般店舗での販売をやめ、直販を含むネットでの販売に力を入れるようになったP社(正確にはRI社)。その一環としてなのか、各地での貸し出しイベントが催されるようになった。その中でも更に、P社社員さんと共に街中を歩くという撮影形態が「ワークショップ」という名目で開催された。プロの写真家の先生と共に街歩きをするというようなワークショップをよく目にするもののなかなか敷居が高いが、これならばギリギリ参加出来そうな雰囲気。横浜の回は一瞬で定員に達してしまった為、今回は、まるで劇団四季のチケット発売日のような臨戦態勢で臨んだ。使用機材はK-3markⅢではないが、むしろその方が余計な雑念がないので良いなと思った。

 

 

同じく公式Twitterに掲載されていた写真。ボクが主要被写体とも言えるものだ。ライオンズの帽子もドンケJ-803も、それにつけられた北斗星のバッジ(ビールの景品の)も、何もかもが近況のボクを語っている素晴らしい写真だ!(笑)

 

 

13:33、1枚目の写真から、いきなりカメラ内現像したもの。RAWを現像する事は市販のソフトでも付属のソフトでも行えるが、そういった作業をパソコンがない状態でも行える(→そのままSNS等にアップ出来る)というのは、ある程度写真に詳しい人からするとかなり驚愕的な事である。偉そうな事を言っているボクも、事の重大さに気づき、一眼だろうがGRだろうがRAW+で撮影するようになったのはほんのごく最近の事だ。

 

 

13:48、2枚目(の掲載写真)もまたマクロ感全開。使用レンズはDA35mm Macro Limited 。APS-Cサイズでの50mm相当の標準レンズ的な焦点距離でありながらマクロでありしかもLimitedという何ともマニアックなものだ。

 

 

13:50、世間ではP社APS-C機のキットレンズはDA20-40mmLimitedになりつつあるような雰囲気もあるのだが、この35Limも十分に対抗出来る存在なのではないか。レンズキット的な、カメラ本体とレンズが1つの箱に入った売り方も、ボディー単体売りがある現在では何の意味があるのか不明(金融新品的なもの?!)なので、当レンズとのレンズキットも出すべきだとはまったく言えないが、当レンズとの組み合わせを薦めるというのはあっても良いのではないだろうか。

 

 

13:53、以降は(換算50mm相当の)普通の写真が続く。

 

 

13:58、西参道商店街入口。

 

 

14:01、西参道内。

 

 

14:02、

 

 

14:06、ここは何処?な写真に。

 

 

14:10、WINS浅草の、ホッピー通り側のシャッター。目がチカチカする程の鮮やかなカブが恰好イイ。

 

 

14:13、花やしき通り入口。だがこちらの通りには入らず…

 

 

14:19、ひさご通りへ。こちらは銀残し。ピクセル等倍で見ると、まつ毛にピントが合っていない。しかしこれは、印象的な唇にピントを合わせたからだ。目だけにピントが来た写真は意外とおもしろくない…というか結構不気味である…と後付け解釈。本当はもう少し深度が深くしたかった。

 

 

14:24、ひさご通りの中央にある交差点。このビルがホテルな訳ではないようだ。

 

 

14:26、ドカ750F1。

 

 

14:27、

 

 

14:31、ひさご通りを出て、言問通りへ。

 

 

14:34、名もない通りへ。

 

 

14:37、やはり名もない通りだが、こちらは店名から場所が判る。文字のある写真は作品としてはどうなのかという声があるが、記録としてはなかなか役に立つ。凌雲閣跡地付近。

 

 

14:41、ブロードウェイ商店街の入口。

 

 

14:45、お気に入りの一枚。

 

 

14:49、ブロードウェイ商店街から東洋館前を左折して六区通りへ。

 

 

14:53、六区通りを通って再びホッピー通りへ。

 

 

14:58、読んで字の如く。

 


15:02、時計店といいながら時計はまったく扱っていない模様。目の前には仲見世。本当ココまで来てはいけなく、オレンジ通りへと右折しなければならなかったのだが、ボクを含む3人程が迷い込んだ。

 

 

15:17、帰着。本日の使用機材。PENTATX K-70と、HD PENTAX-DA 35mmF2.8 Macro Limited。わずか3時間程の相棒だったが、これでお別れかと思うと何だか寂しい。

 

 

16:07、浅草まで歩き、祝杯(?)をあげる。以降GR3で撮影。

 

 

16:22、先程迄と違い、ルートを都度確認する必要もなく、同行者達の構えるカメラの前に不用意に入り込む注意も必要ないものの、その緊迫感がなくなってしまい、なんだか寂しい。

 

 

16:36、電車の鉄橋の下にある早そうなパン店。随分前から知っているのだが、初めて見たのは一体いつだったか。随分前から営業していない模様。

 

 

16:46、此処は何処?!

 

 

16:50、此処は何処?に加えて、此処は何?感が加わる。

 

 

17:03、塔が完成した頃は、塔が見られないよう、立ち入り禁止になっていたホームの先端部から、塔と通勤特急を一緒に収めようと試行錯誤するも、結局28mmでは塔の全ては写らなかった。

 

 

17:06、通勤電車と塔の2ショット…というよりは、塔は単なる背景でしかない。

 

 

本日のおみやげ(?)。各自の名前入りの参加記念キーホルダー。J-Limチーム謹製の品を、アニキさんがハンドキャリーして来た模様。おそらく手弁当。素敵な事である。

 

 55.25 12.1

 

PENTAXの公式ホームページに「ペンタビ」と称して連載されている三井公一先生の街歩きエッセイに載っていた団地の商店街へとやって来た。

 

 

まずは団地の外れ(外周?)にある街中華店へ。

 

 

いつも通りの炒飯餃子。街中華ならではのうまさと、狭い店内の独特の人間模様が素敵だ。

 

 

そのすぐ隣ともいえる場所に、廃屋感漂う街並みがつづく。

 

 

やはり同じくな光景が続く。

 

 

団地の内側の商店街は、色鮮やかに飾られていた。

 

 

…といっても、色鮮やかなのは閉ざされたシャッターのみ。寂しい光景が続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は閉まっているだけのような、街の電機店。大物家電製品の購入はなかなか難しくはなってしまったが、いざという時の為にはなくてはならない存在であると思っている。

 


団地のはす向かいにあった寺院(?)のそれらしい塗り壁。以降、PENTAX K-1、及びsmcM40-80mm。

 

 

街中華には入れるようになったので、以降はこういった街飲み店(?)にも入れるようになりたい。

 

 

街の炒飯餃子や蕎麦店には入れるようになったので、次回は是非その他の街飲食店を訪れたい…

 


 

 

 

 

最短40mm側が意外と寄れない。そして画角も意外と狭い。

 

 

 

 


首都高5号線直下。前野町はまもなく…というか、少し前から掠っている。

 

 

 

 

錆びたトタン家屋。最近多く目にする。解体されない事を望むばかりだ。

 

 

 

 

 

 

旧旭光学工業の板橋工場跡地(巨大マンションのある所)、及び旧本社跡(フェンス部)。

 

 

かなり前に「更地になった」との情報を得て訪れたが、今回はバリケードで完全封鎖。隙間からのぞいてみても、Jリミ聖遺物コーナーで度々登場する敷石も、もはや跡形もなかった。以前訪れた時には、軽く5m四方分の敷石が残っていた。といっても我が家の居間程度だが、ブロック1つが5cm角とすると、ざっと10000個程がまだ残っていた。現存するコアなペンタキシアンの数と概ね一致するのではないか。送料が最低1000円位はかかるのでなかなか難しい所だが、通販で1500円、今は閉鎖されてしまったがイメージングスクエアでならば500円というような販売形態にすれば、500万円程度の売り上げとなる…意外と少ない。1コ1コ切り刻む費用や、実際の販売数はせいぜい2000個位だろうという事を考慮すると、トントン商売か…トントンならやって欲しかった。

 

 

ほぼ同じような図柄だが、この写真のみGR3。果たしてどちらが良い色なのだろうか…

 

 

 

 

 

 

P社社員さんが毎日往復したであろう道を進む。

 

 

 

 


 

 

浅草駅のように往年の姿を取り戻したのか、旧新橋駅のようにそっくりに再建したのかは不明だが、少なくとも駅ビルになってしまうのに比べたら比較にならない程の姿となったときわ台駅。

 

 56.05 11.5

 

久しぶりに車に乗り、田園地帯のいつものカーブへとやって来た。構えるのは150-450mmだが、使用するのは300mm付近。その姿を撮影するのはGR3。最近は「リバーサル」、周辺光量補正をOFFにした上で28mm開放で使用するのに凝っている。

 

 

通称「鹿島貨物」と呼ばれる鹿島港とを結ぶ貨物列車。その遅便とも言える下り1093列車。カウントダウンの始まったEF65を自然の中で撮れる貴重な機会だ。ピントが合ったのはこの位置。思っていたのよりも手前になってしまった。というのも線路が真っすぐを向いた位置に置きピンした為、車体前面がその場所を通過した際には、車体はまだ前面を向いていなかった。よく考えたら当たり前の事なのだが、こういう所がまだまだ至らない。

 

 

等倍にするとこんな感じ。DFA150-450mmは開放でも普通に使用出来る。

 

 

本当はこの位の位置で撮りたかった。機関車はほぼ正面を向き、上下の隙間もまあまあだ。ピント位置は計算上では機関車の全長の半分の場所、つまり8mも後方だ。

 

 

300mmF5.6で80m先での被写界深度は手前側で僅か2m程(許容錯乱円を0.005(=36/7360)とする)なので、等倍で見ると(↑の写真)やはり少しボヤけている。しかし当ブログでは横幅を1920dotにして使用している為、その画像で改めてピントを確認してみると、ピントが合っていそうだった。許容錯乱円は3.8倍(=7360 / 1920 )出来る筈なので、この条件で計算し直すと、被写界深度は6.9m。完璧ではないもののまあまあの計算結果だ。実画像のボケ具合から計算したデジカメ時代の推定許容錯乱円は、おおよそ計算通りの値となった。

 

 

という訳で、等倍拡大ではピントが合っていないが、当ブログで使用するにはピントの合ったというえるこの写真で、P社独自のカスタムイメージを論じてみる。まずは「フラット」。ダイナミックレンジが広いとされるデジカメ画像。裏を返せば、欲張って全領域を使用するとこのような眠たい画像となってしまう。同じくラチチュードが広いネガフィルム(がダイナミックレンジが広いとは直接には言えないが)のネガをデジカメで撮影した際にやはり同様の、コントラストが恐ろしく低いものとなる。

 

 

「ナチュラル」(3枚上と同じ写真)。そこら辺の所を、適度に圧縮してそれらしいコントラストにしている模様。

 

 

「鮮やか」。ナチュラルよりも多少コントラストが上がっているが、GRの「ビビット」程派手ではない。

 

 

「雅」。鮮やかに比べて緑と紫がやや強調されているとう触れ込み。パラパラ漫画のように2枚を比較すると確かにそのような気がするものの、果たしてどちらが良いのかは不明。

 

 

「リバーサル」。べノレビアを模したというこの色調は、本物のRVP並みにシビア。デジカメ故に直後の確認やRAWで現像方法を容易に変更出来るからなんとか使え、またフィルム時代にはこんな綱渡りをしていたのかという事を再認識させてくれる魅惑かつ禁断なモードだ。「撮って出し縛り」だったら怖くて使えない所だが、そんな勇気ある挑戦が簡単に出来るのがデジカメ時代の嬉しい所だ。「楽に撮れる」ではなく、「楽に挑戦が出来る」ととらえるべきなのだと思う。

 

 

「里び」。1970年代に普通にネガで撮った写真のような、決して派手ではないがよく見慣れた、どこか懐かしい色調を狙ったものらしい。実際の所我が家の古写真は、(少なくとも曇天では)このような雰囲気のものが多い。上4枚に比べて落ち着きがあるのは、被写体が昭和40年代の登場だからだろうか。

 

 

「銀残し」。所定とは異なる現像方法により独特の渋さが出る手法で、映画の世界で使用されていたもの。確かにシブいものの、これをフィルムに施すにはかなりの勇気か、又は豊富な経験が必要だ。今回もまたコレが最良調色なように思えた。国鉄色…、いや国鉄車というのは、全廃を前にして、もう既に思い出の領域に入ってしまったのだろうか。

 

 

成田及び成田線沿線を訪れる際の最良食事店と思われる「あぐり亭」。健康に配慮して油モノは避け、素蕎麦(但し大盛り)。注文してすぐに、季節限定の十割蕎麦がある事に気づいたが後の祭り。6月末までなので、来年迄のお楽しみとなった。

 

 54.65 13.2

 

 

9年振りに「地下鉄博物館」へとやって来た。使用レンズは31mm。先日大宮てっぱくで77mm縛りをやったのに比べたら(この狭い室内でも)余裕だ。勿論、歪みを出さない為にできるだけ後退した。

 

 

銀座線のトップナンバー。こちらは後退するのに気をとられてしまい、「正面度」がおろそかになってしまった。そして31mmではやや広い。

 

 

室内に並ぶ昭和初期の方々。以前の記事を見ると、その時は中に入れた事が判る。

 

 

丸ノ内線の運転席。路面電車並みのシンプルさだ。いや、現代の路面電車とてこんなにシンプルではない。

 

 

第3軌条集電方式名物の補助室内灯。丸ノ内線で室内灯が順次消灯し、これが代わりに光るのは見た事がなかった。

 

 

壁面も座席も赤系統で統一された室内(しかし床は緑?)。以前撮影した時にはホワイトバランスが引っ張られた為に切ったと書かれていた。今は基本晴天色を使用しているのでそのような事はない。

 

 

聖橋からの光景が再現されていた。101系(だか103系)が懐かしい。

 

 

有楽町線展をやっていた。

 

 

懐かしい銀座一丁目行きの表示。新富町までのこのわずかひと区間の延進に6年(工期は4年)も費やさなければならなかった。

 

 

こちらは東京高速鉄道の車両。東京地下鉄道の車両よりも高性能。またMG搭載により銀座線名物の瞬間停電も発生しなかったらしい。

 

 

01系シミュレーターの運転席内部。

 

 

架線電圧計と補助電源電圧計に加えて、電流計が装備されている。これは丸ノ内線用の02系には搭載されていなかった。うらやましい。というのも…

 

 

ジャンクで買った02系(丸ノ内線用のアルミ車)の2連電圧計を改造する際、1200V計を無理矢理12A計にしたからだ。表示値の桁数はともかくとして、電流計なのに電圧表示されているのは少々抵抗がある。電流値ももう少し欲しかった事もあり、2000Aを20A計に改造出来れば良かった。しかしその分実用域の表示が細かいので、どちらが良いかは迷う所である。

 

 

博物館を出て、はてどこへ行こうかと迷い、東西線を4駅程乗ってやって来た門前仲町界隈。

 

 

スマホの地図に頼る事なく、適当に(最近、ボクがやった仕事が「PRYCE16さんが適当にやったので…」と、年下の先輩の言い訳のネタに使用された。ボクが悪者になる事でキミの出世に貢献出来るのならばこんなに嬉しい事はないぞよ!)歩いていてみつけた鉄鋼製の緑橋を渡る。

 

 

 

 

 

 

気が付けば墨田川護岸。読売新聞社の特長あるビルの袂迄。

 

 

清洲橋から、新電波塔を望む。

 

 

 

 

 

 

 

 

ココは何処?私は誰??というような光景が続く。清洲橋を渡った後なので、勤務地から極めて近く、それでいて通勤経路からは微妙に離れた場所と思われる。その気になればGPS情報から場所を特定するのは極めて容易なのだが、それを踏まえた上であえてそれを見ないのが粋なのかなと思う。以上、館内も含めてFA31mm。

 

 

 

所変わって北千住。ただ帰るには早かったのでちょっと寄り道。GR3。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか良い町並みが残っていた。こういったごみごみした街中は28mmでもちょっと辛い。いよいよ21mmLimitedへ手を出すのか?!

 

 55.20 12.7

 

 

今年の3月に購入した、子供の頃の憧れだったM40-80mm。残念ながら内部に小曇りがある。いつものレンズ工房に修理に出そうかと迷っているうちに早や2カ月。別段評判の良いものでもない為、「自分でやろう!」と決意し、分解に挑戦。幸いにもレンズ別の分解の仕方がネット上に転がっているので、「壊して学ぶ」という必要はなくなった。このレンズはピント環のビニールを剥がしてネジを外て、ピント環及びレンズ前面部を外した後、レンズ名板部を左回転で回すと前玉部が外れる。幸いにも素手であっけなく回った。

 

 

外した前玉部。ココに曇りがある事は、ピントリングを回すと曇りも回った事から想像がついていたのだが、ユニット内部に曇りがあると、更なる分解が必要となる。近年の(といっても30年位前から)レンズはカシメにより分解が出来ないものもあり、そうなると修理不能となってしまう(遭遇歴アリ)。

 

 

幸いにも汚れはこの面だったので、無水アルコールとシルボン紙でさっとひと拭き。以前修理したTokina AF28-70F3.5-4.5も同様の修理方法だった(が、その時はTシャツと息で汚れを落とした、笑)。どちらも運が良かった。

 

 

そのレンズを持って恐る恐る試写。40mm始まりなのと、ワイド側で伸びる2群式ズームなので、色々としんどいが、GR3xを持ったつもりで!

 

 

駅前は流石に人通りが激しかったが、ひとたび歩きだすと、まあまあの空き具合。

 

 

50mmや77mm程ではないが、少々狭いなと感じる事が多々ある。

 

 

 

 

絞りは全写真、開放から1段だけ絞ったF4に固定。

 

 

広角側はかなり描写が甘いとのうわさだった。実際まあその通りなのかもしれないが、当ブログ程度で使用する分には…?!

 

 

テレ端にのみ存在するマクロモードに入れる。ズームリングをテレ端から更に捻ると、ピント環が前後に動くようになる。この頃のズームレンズにはこのような特殊操作を必要とするものが多い。

 

 

ワイド端。

 

一方こちらはテレ端。ズーミングにより明るさが変化する為、実質(?)F5.6。

 

 

同じくテレ端で近景にピントを合わせる。背後のこのボケが一体どうなのかはボクにはよく判らないが、別に悪くはないような気がする。

 

 

 

 

 

 

本日の立役者である、M40-80mm(とK-1)。若かりし頃、カメラメーカー製のレンズが高価だった為、レンズメーカー製の安価ズームに走るヒトが多かった中、このレンズを購入した人が2人いた。ME Super黒ボディーだったというのも共通しており、うらやましい限りだった。対して我が家ではSVについていたスーパータクマーを(MV-1に)ねじ込むという更に安価な方法で数年間を乗り切らなければならなかった。40年越しで入手した当時の憧れだったレンズは、実用面では現在のレンズメーカー製レンズにも遠く及ばないが、青春時代のほろ苦い思いに僅か1000円でリベンジを果たす事が出来た。

 

 

いつものコンビニで売っていたビール。保存しようと思っていたのだがついいつもの癖で捨ててしまった。その後2度と販売している姿を見る事はなく、この写真がなければ夢か幻かと思ってしまう。

 

 56.60 13.8

 

 

10:09、下り貨物列車。残りわずか3両となってしまったEF65の貨物色のうちの、2060号機。突然やって来たもので構図も芸術性もあったものではないが、記録としては十分か。GR3。

 

 

やって来たのはココ。コロナの影響で年パスの発売が中止され、最後に年パスが切れて以来1年半振り位にもなろうか。

 

 

開館間もない頃、超広角ズームを持ってに訪れた時があった。狭(くはな)い館内に所狭しと並べられた実物車両を撮影するには広角レンズは必須と思っていたのだ。確かに画面内には収まるものの、当たり前だが酷く歪み、鑑賞に堪えないものとなった。なので今日はまさかの77mm縛りに挑戦してみた。

 

 

 

 

この誰もいない瞬間の為に5分位待った。逆に5分も待てばチャンスはやって来る。

 

 

いつもは歪んでしまう閉塞機が、ほぼパースのない状態で撮影出来た。但し、調子に乗ってガラスケース内の展示物を撮影した所、ガラスに反射した像が強く、悲惨な事になった(→PLフィルター?!)。

 

 

ポートレートに最適と言われるレンズだが、今のボクはこんな程度しか使用出来ない。

 

 

 

 

初期の座席予約用コンピューターの端末。これで一体どうやって予約を取るのだろうかと常日頃思っていたのだが、卓の中央にある穴。ココに置かれる入力用の装置が欠品しているのではないだろうか。

 

 

馴染み深い切符の自販機。国鉄の初乗り運賃が100円だったのは1979~1980年。意外と短い。その後あれよあれよと140円まで上がり、国鉄もなくなり、電車に乗らない暮らしとなった。

 

 

地元の駅でかろうじて見た光景。低額切符に限り自販機が設置された頃だった。

 

 

昼食。せっかくなので駅弁。どうせなので奮発してみた。それを183系だか189系の室内で。気分は列車旅。現役時代からなのか、ココへ来てからなのかは不明だが、シートピッチと窓の間隔が合っていない。

 

 

味気ない。まあ所詮弁当とはこんなものだ。ただこの弁当には発熱装置が組み込まれており、手に持てない程になるのがせめてもの救いだ。この発熱装置は、紐を引いた途端に激しい湯気を上げつづけ、身の危険すら感じる。よくこんな危険(そう)なモノを商品化出来たものである。

 

 

ものすごい上げ底。このサイズの弁当が食いたい。

 

 

懐かしの0系新幹線の車内。当たり前だがココでの飲食は厳禁。前回訪れた時にはコロナ過の真っただ中であり、客室内に入るのが禁止されていた。

 

 

ホワイトバランスは常に「晴天」に固定しているのだが、安物の蛍光灯を忠実に再現ている為か、今時珍しい見事な緑被りとなった為、オートホワイトバランスでカメラ内現像を、0系車内で行った。末期の旧型客車が近代化改修された際、青いシートに灰色のフレーム、ピンク色の内張を使用したのはこの0系がモデルになっているのだと思う(個人の感想です)。

 

 

以前は公園に設置され、がけ崩れで斜面から転落した事もあるC51。SLブーム前の引退な為、残存機は少ない(原型をとどめているのは僅か2両)。随分な出世である。しかしもうココからは2度と出れなくなってしまったのだから、果たしてどちらが幸せだったのか。弁当写真と新幹線写真以外では唯一43mmレンズを使用。

 

 

いよいよ館内の実物車両の77mmでの撮影に挑戦。

 

 

「ニーナ」ことEF66 27が終焉を迎える中、一足先に余生を送る11号機。カメラを縦にすれば77mmでもそれらしい写真が撮れる。

 

 

「ムーミン」ことEF55。前面の連結器が撤去され、フタがされている。「やりやがったな?!」とつい口に出してしまった。

 

 

「パック」ことEF58。蒸気発生器を積む為に長い車体に乗せ換えたという経緯がありながら、その後電暖化が行われている。電暖用のジャンパ栓や、内部のMGの様子を観察するのもマニアックな見方である。

 

 

まるで駅のホームから撮ったような感じのC57。背後の181系の処理にも多少考慮したつもり。

 

 

戦前の旧型電機独特なデッキ姿を、背後のC57へ最大限の配慮して撮影。ムーミンの背後は、この時代普通のデッキ姿。…当時はまだ当たり前のようにいたる所に転車台があった為なのだろうが、しかし転車台が電化されていたかどうかはまた別の問題だ。

 

 

JRでは死語となり、私鉄各社でも有料優等列車はなくなってしまった交直両用の急行型。

 

 

電化初期の通勤型電車。+用とー用の2本のトロリーポールを有する。

 

 

御存知1号機関車。機関車やえもんのモデル。A1バルカンファンドりー。そんな名前である事を比較的最近知った。

 

 

本日のお目当て。南先生のSL写真展(西日本編)、及びそれに付随した先生直々のトークショーだ。前回はオープンスペースで行われたのに対して、今回は「てっぱくシアター」を貸し切って(?)。先生のアニメ会社勤務時代の逸話等は既に語り尽くされてしまったのか、今回は展示作品、及び展示されなかった作品の解説が行われた。後半は作品の人気投票だったのだが、随分のんびりとしているなと思ったら、後半は明日との事だった。年パスがあれば…

 

 

15:42、トークショーが終わった直後、館の前を安中貨物が通り過ぎて行った。1枚前に撮った写真はまあまあなポジションだったものの露出が大オーバーに(館内モードになっていた)なってしまった。

 

 

16:21、大宮駅までダラダラ歩いたのでは間に合わないと思い、北大宮まで直で歩く。好天の為、機関車の前面は真っ黒に。流石にカメラ内現像では無理な為、帰宅後にパソコンで、「覆い焼き」を行い、0.15EV単位で明るさの補正を行い、当ブログ程度ではギリギリなんとかなったか?!

 

 

本日の立役者。PENTAX K-1と、FA77mmLimited(SMC版)。街歩きではスリリングな画角のこのレンズは、当然博物館内でもまったく気が抜けなったが、時間をかけてベスポジを見つける事が出来れば、形式写真に肉迫する歪みの少ない画像を得る事が出来た。やはりそういう余裕ある撮影が出来るよう、年パスの早々の復活を願う所だ。

 

 55.20 12.4

 

 

毎度恒例、恵比寿の三田庵。最近は油モノ禁止なので、大人しくおろし蕎麦にする。コテコテしておらず爽やか一辺倒。蕎麦には揚げ物よりもこういったトッピングの方が合うような気がする。今まではかき揚げ蕎麦が好きなのではなく「かき揚げ」が好きだっただけなのかもしれない。

 

 

恵比寿なのに三田とはいかにという所だが、この界隈は渋谷区三田というようだ。なのですぐ近くには三田歯科もある。それどころか、坂を下りきった所にある田道小学校や清掃工場までが地名としては三田である。

 

 

 

恵比寿から渋谷方面へ向かって歩く。

 

 

どこもかしこも「アート」で埋め尽くされている。

 

 

一部公共施設も含まれているものの、これらの多くは空き家的なものなのだろうか。

 

 

マンションのゴミ捨て場なので、誰の管轄でもないといった所なのだろう。

 

 

反面こちらは完全な空き屋なのだろう。

 

 

 

 

渋谷駅の南西部。目下再開発真っただ中の桜丘地区。かつてはライブハウスが何軒かあり、よく通っていたのだが、そんな思いでも跡形もなくなってしまった。

 

 

左側の塀の向こうにはもう1本道が通っており、その道は上り坂ではなく、細い飲み屋街のような道を進んだ所にDESEO-Miniがあった。

 

 

街が変わってゆくのもやむなし。

 

 

「姫carat」のライブを初めてチケットを取って見に行った思い出のRUIDO.K2。ほんの1年程前までは(やっていたかどうかは不明だが)看板が存在していた事が、Googleストリートビューで確認する事が出来る。DESEO-Miniの姿もまだかろうじて残っている。だが渚奈子嬢の生誕祭のあったDESEOや、BNAD-MAIDの寿司詰めワンマンライブを観た乙(きのと)のあった付近の画像は削除された。

 

 

ココのタコ足歩道橋は一見健在のようだが、全て新たに作り直されている。

 

 

この駅舎(?)は3階部までは再利用しているように見えるが、そんな必要あるのだろうか?

 

 

建設中の高層ビルと、新タコ足歩道橋を、16mmレンズで狙う。但しAPS-C用なので、イメージサークルはココまでしかない。APS-Cでは24mm相当であるが、頑張れば20mm相当位の範囲が写っている。

 

 

JR改札へと続く階段。ココを上りきった付近に「しぶそば」があった筈。

 

 

ココのドアの先にJR改札へと続く通路があった…筈なのだが、なにしろ5年振り位に訪れたもので、記憶は極めて曖昧。

 

 

井の頭線との連絡橋内に展示されていた岡本太郎氏の巨大絵画。わざわざフルサイズで撮らなくても、APS-Cでもギリギリ間に合いそうだった。花形フードをつけたままだとこのような事になる。フードが極めて有効に働いている事がよく判る。

 

 

かつて東急5000系が設置されていた場所に、ほぼ同サイズの建物が建っていた。ココの電車の前をわざわざ待ち合わせ場所に指定した事が何度となくあった。また思い出の地が消えた。

 

 

駅の北東ブロック。ココは随分前から変わり果てていたが、大工事中だった銀座線の空中ホームが完成していた。

 

 

どこから入った良いのかまったく判らず、かなり長い間探してやっとみつけた。

 

 

ホーム上の有名な構図。丁度レトロ車両(右)がやって来た。ボクからすれば通常のもの(左)でも外観は十分にレトロだと思うのだが。

 

 

だが中に入ってみて驚いた。何と補助室内灯が備わっているではないか!しかし駅に近づいても一向に光る様子はなかった。ちゃんとLED電球が実装されていたので、ダミーではないと思うのだが…(→ちゃんとそのようなモードがわざわざ搭載されているそうだ。)

 

 

昔の手すりの処理を忠実に真似たのか、その剥げ具合も昔の車両そのもの。ココが一番の感動箇所だった。

 

 

何故か銀座で下車。既にかなり歩き疲れているというのにこの先どうするつもりか。

 

 

本日の使用機材。フルサイズのK-1に、APS-CのDA*16-50mm(旧タイプ)。我が家唯一のP社APS-Cレンズ。何を血迷ったのか購入して以来ほとんど使用していなかったので、今日はこの組み合わせで一日歩いてみた。某C社のようにハマらない構造とはなっていないので、1500万画素相当のAPS-C機として使用出来る。これでも1000万画素のK10Dより細やかなので、ファインダー内の見え方さえ気にならなければ、至って普通に使用出来る。実際ほとんど気にならなかった。これで益々K-3Ⅲが遠のいたか…

 

 56.05 13.4

 

日頃めったに乗る事のない東西線だが、予備校時代に1年間だけ使用していた。しばらく見ないうちに、5000系や301系、103系1200番台の姿はすっかりなくなっていた。

 

 

僅か一駅だけで下車。

 

 

すぐ目の前にお濠。

 

 

これが本当の竹橋らしい。

 

 

何やらものすごいラリーカーのような事は判るのだが、元は何?

 

 

やって来たのはココ。高校生の時に楽器フェアで(学校から歩いて)訪れた以外では、小学校以来。先日近くを通った時に懐かしくなり、40年振り位におとずれてみた。

 

 

いきなりだがこの風車は何処のだろう。羽根の形状からみて、直径10m程度の小型機のように見える。

 

 

富士山の模型にプロジェクションマッピングを施し、様々な情報を表示する。緑が美しい。

 

 

原子炉の内部構造。この10年程で誰でもが知るものとなった。

 

 

 

 

やわらかい地盤に高層物を建てるのが難しい事を体感するコーナー。頑張れば建つ!

 

 

びっくりハウスのような浮遊感が得られる展示。しかしものすごく気持ち悪くなった。

 

 

まるで映画のテーマパークのアトラクションのようなコーナーもある。かつての面影は何処にもなく、クレイ・レがゾーニがインディーで大クラッシュした映像の展示もなくなっていた。

 

 

いかにも危険なムードが漂う腕相撲マシーン。見るだけにしておいた。

 

 

デジカメ泣かせな模様と思われたのだが、思った程被害はなかった。

 

 

昭和な空気が漂う館内の食堂。ハラは減っているが時間がない為、今回はパス。

 

なかなか高度な大人でも充分に楽しめる展示は、むしろ子供には難しすぎる。親がきちんと理解して子供に伝えるというのが、この手の施設の正しい在り方なのだろう。朝はダラダラしていて到着は14時をまわってしまった為、早足でまわってしまったが、次回は一日がかりで訪れ、面白そうな展示をレポートしたい。

 

 

いつも通る首都高都心環状線を、上から見下ろす事が出来る。

 

 

この円柱状の何やらは、かつては褐色だったような気がする。

 

 

ダルいのと、昼食を採り損じてしまった事もあり、とんぼ帰り。

 

 

有楽町線用に製造されたもののドア位置の関係で使用出来なくなり、東西線に転属して来た07系。6編成が存在する。かつて千代田線開業時には東西線用の5000系使用され、その後も1981年まで5編成が使用され続けた後に東西線に転属したというのと、経緯は逆だが似たような事になっている。

 

 56.00 13.3

 

 

越谷駅。どちらも廃車が始まり、行く末が極めて怪しい2編成を絶妙なタイミングで押える。野球で投手の球を見据えるのに比べたらまるでスローモーションだ。

 

 

下町の大ターミナル駅から3路線が平行する一駅目で下車。

 

 

13:21、武蔵野線内を往復するシャトル便74列車を押し出すEF66 131。「ニーナ」事EF66 27がいなくなった今、次の餌食はこの「鮫」となる。国鉄機ではないものの、3桁機に比べたらまだまだ魅力である。

 

 

スイッチバックして北千住方面へと旅立つ。ココを通過するのは常磐線及び武蔵野線方面の列車だ。

 

 

13:36、まるで入れ替わるかのように入線してきたEF66 109牽引の75列車。やはりシャトル便だ。

 

 

13:40、やはりスイッチバックして、無誘導の状態で一旦列車を押し込む。

 

 

13:42、到着した貨物の入れ替え作業を行う為のHD300が間髪入れずにやって来る。

 

 

13:44、先程の鮫が単機で戻ってくる。誘導手付き。

 


13:45、すかさず「策」が入れ替え作業に向かう。と共に、「鮫」もまた別の線へと向かう。

 

 

13:52、先程とは違う編成を引っ張りだしてくる。

 

 

13:56、再び別の線へと押し込む。このまま東北線方面へと出発するのならばまあ話も判るのだがそうではない模様。意図不明な、無駄とも思える謎の往復が多い。

 

 

14:00、単機で機関車の休憩所へと向かう。

 

 

しばらく貨物列車の往来はないので、メシを食いに行く。といってもこの店でではない。

 

 

15:29、到着したばかりの列車を押し込み終えて、どこぞへと向かう金太郎。

 

 

誘導手が移動し、機関車休憩所とも違う別の場所へと去ってゆく。

 

 

15:46、臨配8592列車が到着。余命あと僅かなEF65をまた1両捕獲。荷物は空コキが5両位。

 

 

15:50、空コキをまたどこぞに無誘導で押し込んだ後…

 

 

15:53、誘導手付きで単機で戻ってきて…

 

 

15:54、機関車休憩場とは違う場所に休憩しに行く。この時尾灯は片側だけ点灯させる。初めて見た時は「球切れ」と思った。

 

 

本日の跨線橋。すぐ隣には(地上をゆく)地下鉄が往来する。

 

 

跨線橋のたもとにある店舗。開いてるのを見たことがない。

 

 

まもなく消滅見込みの「雅」カラー。メタリック水色に塗られていた「絆」は一足先に姿を消した。

 

 

近所の土手にて。ひどい逆光をなんとか誤魔化す。50000系とは異なる新たな新型車両の導入が決まり、この8000系もいよいよカウントダウンが開始された。

 

 56.50 14.2