久々てっぱく→?! | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

12:46、北大宮駅を下車してみると、15分程で下り3055列車(墨田川発札幌ターミナル行き)がやって来る模様。別段急ぐ訳でもないのでしばらく待ってみた。

 

 

12:50、185系が一番手前の線路上を走る。東大宮操車場への回送車両か?

 

 

12:53、郡山ターミナルから千葉貨物ターミナルまで空のタンク車を返却する1070列車。EH500の1号機。

量産先行機の為、3号機以降とは前照灯の位置が異なる。また10号機以降とは赤色部の色が異なる。

 

 

13:01、千葉貨物駅発宇都宮貨物ターミナル行き8681列車。直流区間の為、EF210が投入されている。

 

 

13:14、約30分の東北本線貨物撮影を終え、やっとてっぱくへ到着。

 

 

しかしまず訪れたのは新館の屋上。ココからは高崎線(と川越線)の列車を一望する事が出来る。13:38、EF65の代走による川崎貨物発倉賀野行きの8099列車。暗闇撮影モードのまま撮影してしまったので、露出オーバーに。

 

 

13:43、倉賀野発墨田川行きの配8790列車。今はまだ大喜びだが、いずれ「何だ特急色か、ちっ!」という日がやってくるのだろうか。それらはいつ頃まで出来るのだろうか。

 

 

14:02、墨田川発新潟ターミナル行き6083列車。高崎で機関車をEH200に交換し、国境のトンネルへと向かう。日中に上越線を超える唯一の下り列車…の1本後の不定期列車。トンネルのこちら側ならば何とか撮影可能。

 

 

14:09、しばらく列車はやって来ないので、展示物を見る。2017年末まで黒磯駅構内で使用していた交直切替機器や信号類。まるでコレクションギャラリーの展示物のようだが、これが新館3階「歴史ステーション」のど真ん中に無造作に陳列されていた。あの楽しかった黒磯駅も、今やただの駅になってしまっている。唯一の普通と異なる点は、架線の下を走るディーゼルカーが発着する事位か。

 

 

14:10、2018年3月まで使用されていたJR山田線の盛岡~宮古間で使用されていた連査閉塞機…といっても一体何のことかわからないが、流れていたビデオを見る限りは、まるでタブレット閉塞並みにややこしい手順とヒトの力を要していた。後で調べた所によると、タブレットの受け取りに失敗の対策として、タブレットの「たま」の部分のみを電子化(電気化?)したようなものらしい。閉塞の奥深さを感じた。

 

 

14:50、先日訪問したEF57の古写真。元々はEF56型の13号機となる予定だった1号機と異なり、パンタグラフは車端に寄ってはいるものの、まだギリギリ常識的な搭載方法だ。戦後に電化区間が浜松まで伸びた際、蒸気機関車規格のトンネルが残る当区間に対応する為に、取り付け位置を45cm前進させる事により高さを10cm下げた。結果前面パンタグラフ座は車端からはみ出す事となり、あの武骨なアウトリガ形状となった。この写真を見た事により、EF57の魅力がまた増した。


 

15:12、このような企画展をやっていた。ボクは生まれて一度も食堂車を利用した事はなく、また列車に乗るのとメシを食うのとは分けたい(同じ理由で「屋形船」もあまり好きではない)為、あまり興味はなかったのだが、「マシ35」「サハシ153」という形式名を聴くと、たとえ現物を見たことはなくとも、ちょっとワクワクする。それと0系新幹線の35型と思われるビュッフェ合造車の車内の様子を記したイラストが懐かしかった。子供の頃、品物を購入しないにもかかわらずよく居座ったものだ。

 

 

てっぱくらしい写真?

 

 

15:28、千葉貨物発倉賀野行きの8883列車。今日は「銀タキ」は連結されていなかった。

 

 

15:42、小名浜発安中行きの御存知「安中貨物」こと5097列車。今日は「タキ」 の連結はなく、「トキ」のみだった。出先で遭遇するとがっかりする編成だが、ココでならまぁ良いか?!(笑)

 

 

15:49、退館。久々だった事もあってか2時間半の滞在。しかしそのうち1時間半は貨物撮影だった。こういう余裕の館内巡りが出来るのも、年間パスポートの恩恵だ。以前は「てっぱクラブ」という、結構ダサいネーミングだった為、ボクは勝手に「鉄博の年パス」と呼んでいたのだが…てっぱくだけにパクりやがったな?!(笑)。

 

その後、(あまがみ神社に参拝した後、)川越線に乗り、ヨ233系の終点の地まで行く。その先で待っていたのは…?!(笑)

 

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