ナビのテストで武蔵野線田園風景をゆく?!及びDVDカーナビ廃線巡りの思い出?! | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

昨日譲っていただいた最新鋭大型ナビ(?)を早速P様に取り付ける。ポータブルタイプなので、取り付けは簡単。モニターに角度を少しつける為にボールジョイント部を少し削ったが、それでも30分もせずに取り付け完了。画面がデカすぎて逆に少し見にくい?(笑)

 

 

本日の昼食。カレーに蕎麦がつくので、それを揚げ玉まみれにし、しかも無料券のかきあげを追加。コレステロールは大丈夫か?→ゆで太郎揚げ物はどんなにテンコ盛にしても今の所辛かった事はない。

 

 

店舗とP様との2ショット。何故かピンホールカメラ並みの画質になった。ピント合わせはGR2の数少ないウィークポイントの1つだ。

 

 

武蔵野線の沿線で写真の撮れそうな場所を探してみるが、こんな超々大型ショッピングモール内の渋滞に巻き込まれる。最新鋭ナビにはこれら施設もちゃんと掲載されているにもかかわらずハマった(笑)。

 

 

しばらくぐるぐる回って、かろうじてこんな所をみつけた。

 

 

15:09、まあまったくもってどうしようもない写真だが、とりあえずは「安中貨物」を見たという記録にシャッターを押した。使用したのは*istDs(黒)。使いかけの電池でもハングアップするような事はなかった。

 

 

せめてこの白い車が自分のだったら…。→次回!?(笑)

 

 

日曜日たというのに、タキもトキも沢山連ねられていた。

 

 

205系と強引な2ショット。ちょっとココはイマイチのようだ…というかまるで駄目なようだ。

 

 

場所を移して、ココも、最近乗る機会の多い武蔵野線の車窓から目をつけていた公園添いの周回路。

 

 

16:21、基本日曜はウヤであるEF64牽引の貨物が今日も走るという事で待ってみたものの、「単機」だった。まあウヤよりはマシだが、この構図で単機は厳しい。

 

 

16:32、続いての89列車。隅田川駅から中央本線経由で篠ノ井までゆく。

 

 

16:34、8676石油返空(の単機)か?列車接近無線がなかったらまったく判らない所だった。

 

 

すぐ後ろでは少年野球の試合が行われていた。「ストライク!」という審判の大きな声につい反応してしまう(笑)。ちなみにボクの野球経験は「空き地野球」どまりなので、こんな立派な球場での試合経験はない(笑)。

 

帰り道添いだったので、またもやココに立ち寄り、EF66の生首と対面する。

 

 

こちらは一見「旧101系」のような顔立ちだが、「赤電」更新車である701系の生首。残念ながらガラスにピントが合ってしまった。それはガラスが汚れているから…ではなく、ガラスが傷だらけだからだ。勿論このままでも運転は出来るが、どうせなら快適な視界を得たい。塗装なんか剥げてても構わないので、ガラスは早急に交換したい所だ。

 

 

せっかく新品同様に生まれかわり、流石にもう取り外す事もないだろうと思っていたスカイサウンドがまた取り外されている。何と走行中に突然、蛍光管表示が消えるというアクシデントに襲われたのだ。表示は灯かないものの、音は出るし、カセットも鳴る。キーもすべて効くようだ。となると心当たりがある。…先日コンデンサー全交換した再の、DC-DC周りの大きな奴の選定が怪しい。一応容量耐圧は同じで、そして低インピーダンス品をセレクトしたつもりだったが、「PW」を選んだ訳ではなく、千石の店頭で適当に見つけたものだ。それによって動かなくなったのならまあ良いのだが、変な部品をつけた結果DC-DCユニットが壊れたりすると、もう手も足も出なくなる。元々その手の故障が怖くて全交換に踏み切ったというのに、これえは本末転倒である。最悪表示さえあれば音なんか出なくてもまだなんとかなるが、表示が出ないのであれば存在価値がまったくなくなってしまう。

 

 

とりあえず下蓋のみ開けて、DC-DCの発生電圧を測ると、-30Vという変な電圧が発生していてひと安心(?)。そしてその周辺を目視してみると、原因はあっけなく見つかった。その-30VがかかるVEE端子及びその周辺のハンダが見事に割れていた。流石にこの端子をピンセットで突くのは怖いので、トリマー回しで触れると、面白いように表示がついたり消えたりした。実はココの再ハンダをし忘れた事は組み立て中に気付いていたのだが、再バラしが面倒(フラットケーブルを外してからコテを当てないと溶ける…かもしれない)だったので、次回パネル部の照明をLED化する時にでもやればいいやと思っていたのだが、まさか1週間持たずにトラブるとは…。という事でちゃちゃっと再ハンダ。これでまた1週間はベッドの横でエージング。臨時夜中ラジオ機材となる。

 

 

 

最新ナビの調子はすこぶる良かったので、約20年間愛用して来た森君のナビも変えてしまおうかという気になった。しかしこの古いナビには、現在のナビでは絶対に案内できないものがある。それがこの廃線鉄道だ。これは高千穂鉄道のもの。ココを訪れた時はヤネナシ号(NAロードスター)だった為、ナビは昨日までP様に取り付けられていたものを使用した。

 

 

2011年、ちほく高原鉄道跡を巡った時に、この「廃線ナビ」の便利さを痛感した。多くの廃線跡は現在でも何かしらの痕跡が残っているものだが、この広大な大地では、駅跡も路盤跡もまるごと畑に飲み込まれている場所が多々ある事を知った。ナビなしではとても巡る事が出来ない。

 

 

 

2011年、北海道帰りに大洗から鉾田経由で帰った時に偶然遭遇した鹿島鉄道。2007年春という比較的最近の廃止だった為、多くの駅舎が解体された直後のような感じだった。

 

 

2012年、長野電鉄屋代線。廃線の数週間前に偶然遭遇し、以後廃線直後まで毎週のように通い、その最後の姿を記録した。

 

 

2002年廃止の木島線の姿も記録されていた。元々は2012年に信州中野駅そばに残る廃線跡を見つけ、それが当ナビ上では普通の路線として記されているのを見たのが長野電鉄通いの発端だった。

 

 

2012年秋、中国地方を巡った際に訪れた可部線深部。2003年廃止。国鉄路線の廃止には敏感だった筈なのだが、記憶になかった。

 

 

2013年GWに訪れたのと鉄道。七尾 - 輪島間は第2種鉄道事業者だった為か、国鉄線用の記号で記されているのもかなりマニアックだ。その七尾線穴水~輪島間は2001年廃止、能登線(穴水~蛸島)は2005年廃止。

 

2015年に訪れた十和田観光鉄道。廃止は長野電鉄屋代線と同じ2012年。七百駅以外の遺構はほとんどない。なのでナビがなかったら巡るのはかなり大変だ。また、津波で破壊された仙山線や山田線の路盤や、まったくの更地となってしまったかつての市街の様子もココには残っている。

 

という訳で、廃線巡りをするにはこの1999年製のDVDナビは必須…なのだが、あと何回訪れるかも判らないし、その時だけ助手席床に仮設すればいいか…(それまで壊れなければだが)。駅の位置だけでも地点登録すればイイか…

 

 

◎本日の走行軌跡

 

 52.50 8.6