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A PASSAGE TO ....

植物の緑は好きだけど育てるのは不得手な私でも、フィカス(ゴムの木)だけは枯らさない。

枯らさないというより、枯れないと言うほうが正しいだろう。

今の家に引っ越してきた10数年前に、友人たちがお祝いにプレゼントしてくれたフィカス。

以降植え替えもせず、たまーに水をやるくらいなのに育つ勢いは衰え知らず。

上に伸びないように上部はカットしてあるので、横方向に伸びる伸びる。

しまいには、長い手がだらーんと伸びきったような形になってしまった。

これでは全ての枝が地面に着いてしまう。

植物の生態も知らず、刈り込みの技術も何も無いが、思い切って上半分の枝を切り戻しをすることに。

各枝を20センチほど残してカットしたので、最初は寂しい見た目になってしまったが、半月もしないうちに青々とした新しい葉が次々と生えてきた。


お~初々しい。

まだまだ葉が柔らかくて色も厚みも薄いが、じきにたくましい緑色になるだろう!


しかし、この成長を支える立役者(?)の存在を忘れてはいけない。



カットせずに残しておいた下部分の枝からの葉っぱたち。

上部の葉に栄養を送るために、古参たちは自分を犠牲にしたんだろうか。

新しい葉が生い茂るほどに枯れて行く。

うーむ、これぞ世代交代。

一つの命を守るためには、ベテランが身を削る事が必要なのね。

いつまでも「我が我が」では、共倒れの可能性もある。

人も樹木も若手育成、といったところか。
毎年北海道の実家から秋になると届く、これでもか!って量の秋刀魚たち。
今年も食べまくるぞっ。

だいたい秋刀魚が届く時期は、関東はまだまだ残暑厳しく、汗をかきながら焼いているのだが、今年はすっかり秋深し、の様相。

振り返れば2014年の夏は例年になく雨が多くて、野菜が不作。

出荷する農家の方々も、消費する私たちも野菜の高値に泣く今日この頃。

それでも季節を外れた野菜はともかく、その時期に採れたその時期にしか食べられない旬の野菜は、少し高くても食べるようにしたい。

なにもたくさん食べる必要はない。

そもそももう年齢的にも大量に消費することは無くなったし。

幸い、大人になってからは食べられない野菜が無くなったので、葉物であろうが茎物であろうが、何でもありがたーく頂く。

そしてよ~~く咀嚼して野菜の味を楽しむ。

歯があるうちは食物の歯触りや噛み応えや香りを味わいたいんです。

なんでも歯の主治医によれば、本来は歯の寿命がその人の寿命だ、と。

あくまでも私の考えだが、旬な人というのは話題の人というよりは、その年齢に見合った生き方(食生活を含む)が出来る人だと思う。

若作りせず、諦めもせず。

なので特別な日を除けば、シンプルに旬の食材を食べるのが良いじゃあなかろうか、と手抜き楽ちん料理をしている毎日です。


これはシンプル過ぎ(´д`|||)
(秋刀魚には甘い香りのプレモルがサイコー!)
もう既に有名な動画かも知れないが、興味深い動画を見つけた。

charting culture

この動画の青い点は生誕地、赤い点は死亡地。

レオナルドダヴィンチを含め、紀元前637年にアテネで生まれ紀元前557年にキプロスで死亡した、ギリシャの立法家・詩人のソロンにはじまり、1992年にロスアンジェルスで生まれ2006年にバハマで死亡した、ジョントラボルタの息子のジェットトラボルタまで、幅広い有名人の出発点と終着点が一見して分かるように出来ている。

例えば我が日本。
17世紀末に多くの宣教師が来日して、その後迫害されていったという歴史が見てとれる。

「全ての未知はローマに通ず」
ローマ帝国次代には、ヨーロッパ全土から知識人が集まってきていたのが分かる。
(12世紀にはもはやローマに通じる道は無くなった。)

これを見ていると、歴史を作ってきたような人物は、生まれた地域(国)に留まっているってことはなくて、みなさん怖れることなく世界各国へと旅立っている。

モチベーションは色々あると思うが(学問のため、統治のため、貿易のため等々...)、充分な交通手段が無い中、命の危険をも顧みず旅を続ける事は、私たちが全く想像もしないような困難があったにちがいない。

全ての人が大冒険をする必要はないと思う。
その地域を守り続ける人も必要だから。

ただ今の世界が現在の形になっているのは、先人達が作り続けた、過去の道程があるからだ。

ちっちゃくまとまるなよー!!って声が空の上から聞こえてきそうだ、この動画を見ていると。

しかしよく出来てるよなー、このアニメーション。
年表を世界地図の中に立体的に作成してある。

そのアイデアに感服。