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A PASSAGE TO ....

秋深し、隣は何をする人ぞ。

早めの秋に面食らいながらも、私は椎間板ヘルニアを克服すべくストレッチと体幹トレーニング、水中歩行と短めのスイミングに勤しむ日々。

やはり長年に渡って酷使した身体の故障は、一筋縄では行かず、こうなったら年単位で考えるしか無いのだなー、と覚悟を決めている。

早く治したいところだが、余程の場合を除き現在は外科手術はあまりされず、温存療法が主流とのこと。

切っても1年後の経過が切らなかった人と変わらないこと、ヘルニアも定点観測すると人間の治癒力で自然と治ることが分かってきたから、だという。

結局のところ炎症が治まるのを待つしかなく、それには適度な運動(スイミング)とストレッチが最良である、とのことらしい、現在のところ。

なもので比較的軽度のヘルニアである私は、ちょいちょいダンスのレッスンに出ながらも、レッスン後はプールで身体をほぐす、っていうのを続けている。

本当はダンスなんてダメなんだろうけどね。

踊らなければ、多分違う病に犯されるとも思ったり。。

まあ性分みたいなところもあるので、痛い目にあっても反省無し、というところか。。。


それはさておき、最初の句に戻ると、秋深し...はご存知松尾芭蕉の有名な句だけど、まさにその言葉が思い浮かぶようなミステリーを最近読んだ。

前川裕著「クリーピー」
(日本ミステリー文学大賞新人賞受賞)

クリーピー、とは「気味悪い」って意味ですが、秋の夜長にピッタリの、まさに薄気味悪さ全開のミステリー。

読後、ご近所(家だけでなくコミュニティでも)との繋がりを、人は持っているようで意外に曖昧なもんなんだな、って改めて思い起こした。

「いやいや私は大丈夫!!コミュニケーションもちゃんと取ってるしぃ」という人ほど、意志が頑ななだけに案外騙され易いと言いますよ。

人を信じるのは大切なことだけど、信じるというのはお互いの信頼関係があってこそ、だと思うんですね。
そう言うと、淋しい世の中だ、って言われそうですが。

知らない人から貰ったアメは、やっぱり舐めるべきではない、というのが持論です。
(本物のアメだけにあらず。)

さて、このクリーピー。
薄気味悪いだけの話か、っていうとそうではなくて、どこか心にひっかかりながらも、どこかでやはり人を許したくなる話でした。


罪を憎んで人を憎まず。


あれだけ暑かった今年の夏。

急にここ数日涼しくなってすっかり秋の気配。
セミも鳴かなくなってきたし。

その秋の入口、ダンス仲間と我が家で餃子パーティーを決行。

100個焼いたけれども、私は野菜を切り刻み水分を切って、豚挽き肉と併せて種を作る係。

餃子を包むのと焼くのは手先の器用な友達が手伝ってくれて、あっという間に焼き上がり。

その他、友達が塩麹ポテトサラダを作ってきてくれたが、これがさっぱりして美味しかった。

塩麹を使うことでマヨネーズの量を減らせるのでヘルシー♪

ただ麹がデンプンを溶かす性質があるので、作ったらすぐ食べること!!

じゃないとじゃがいもが溶けてしまうみたい。


餃子のお供のアルコール。

茨城県のクラフトビール、ホワイトエールで美味しかったっす。



中華っぽく春雨サラダや豚角煮を用意したが、結局カブとサーモンのサラダとかイチジクとチーズとか洋風なものも食べたくなり作った次第。


さて昨日のメンバーには、ハワイの出雲大社で買ってきた縁結びのお守りをあげたので、その後どうなったか聞いてみた。

そうしたらその中のひとりの女性が、
「夏休みの前に、なぜか私が結婚して新婚旅行に行くという噂になっていて、自分の部署とよその部署からお祝いの花束をもらってしまった」
と言う。

結婚どころか彼氏もいない。

なぜそれなのにそんな根も葉もないウワサがたってしまったのか。。。

恐るべし縁結びお守り。。
多摩川の花火大会、今年はビッと浴衣を着て観覧。
(私は典型的な和顔なので似合うと思いきや、旅館のお給仕さんのように。
そっち方面に似合ったかー。。)

ビールをいっぱい持って、つまみも枝豆やチーズなど親父飲み(?)のようなラインナップ。



席取りはしなかったが、かろうじてニッチな場所を見つけ出しお店を広げる。

やっぱり夏は花火よね~~
見事にコンピューター制御されて音楽と同期したようなのもあって、色々楽しめました。








さて、友人がこんな事を言っていた。

「温泉に行くと、もうおじいちゃんなんだかおばあちゃんなんだか分からない感じの人、いるよね。」

まあ、確かに。

長寿になると性別どころか、国籍までもあいまいになるくらい姿が似てくる気がしていた、前から。

つまり、人生を長く生きてきて様々な経験を積むと、ジェンダーだボーダーだ、っていうのを超えて「人間」になるんだな、と。

人生の夏を過ぎ秋を迎えてからが、結局は人としての始まりかもしれないね。
って、花火の終わりを見ながら友人と話したのであった。