他者を認めることがなかなかできない悩み。誰もが一度は抱いたことがあるのではないでしょうか?
例えば、親から「いい年して結婚はまだか?」と言われた場合。
負い目を感じていると言われたことによって傷つき→無意識に自分を責めてしまう段階を踏むと思います。
この時、傷ついた自分を受け留めることを飛ばしてしまう、つまり今の自分の心の状態を認めないと相手の嫌な部分が目に付くようになり、人間関係にも影響を及ぼすことにもなります。
●自分を認める承認作業
「自分は○○さんのあの言動を認めることができないんだ」と自分自身に向けて言う。こうして、傷ついた自分を認めることから始めます。
自分に「何でできないんだ」と責めず、受け留めてみるのです。
※受け入れると受け留めるの違い
「受け入れる」とは他人の場合「あいつはそういうやつだ仕方が無い」との言わば諦めです。自分に向けてだと開き直りとでも言いましょうか。
受け入れは限界があるでしょうが、受け留めには限界がありません。どこまでも「そうなんだ」が続けられます。これは相手がいる場合でも同じです。
【限界の例】 「あの野郎ぶん殴りてぇ!」
受け留めの場合:「その人を殴りたい気持ちなのですね」
受け入れの場合:「それはまずいでしょ」(仕方が無いでは済まない)
※ちなみに、コーチングのスキルでオウム返しがありますが、これを単にやるだけでも相手は認められたと感じます。オウム返ししている当人はもう一歩踏み込むと「相手の本心が表れている言葉は何かな?」、「キーワードは何かな?」と意識すると、その後の会話は益々発展するでしょう。
自分を承認すれば、本来の、あるべき姿の自分と自虐的な、嫌な自分を分ける作業となります。
悪口を他人に、そして自分に対して抱くのは本当の自分の姿ではないとの区別はとても大事なことだと思います。