「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


故ジョブズさんには、

怒られてしまいそうだが・・・


私は、

Appleという会社を大企業に分類していない。


もちろん、

私の独断と偏見による勝手な分類だ。


大企業と中小企業との境目は

とてもあいまいで・・・


法的には

従業員数や資本金で決まるのだが・・・


それも、業種によって、かなり幅がある。


そもそも・・・


一般的には、

そんな基準で、

企業を分類することのほうが少ない。


大企業というのは、

誰でも知っているような有名な会社・・・


あるいは・・・


東証一部に

上場している会社というイメージの方が強い。


従業員数や資本金の多寡で

大企業を定義している人など
まず、見当たらないはずだと思うのだ。

つまり・・・


マーケットから見た場合には
「有名な中小企業」は「無名な大企業」よりも、
より大企業らしいということになる。


そして・・・


そういう分類においては・・・


Appleは

正真正銘の大企業である。


 

誰が見ても、

大企業であるはずのAppleを・・・


なぜ?私が大企業らしくないと思っているのか・・・


それは・・・


その経営戦略が・・・


中小企業にとって、

理想的なものだと思っているからだ。


法的な定義や、

一般的なイメージが、

重要でないとは言わない。


しかし・・・


経営者にとって、真に大切なのは・・・


戦略的な意味においての

中小企業の定義だ。


なぜ?世の経営者は、

ミニチュア大企業を作りたがるのだろう・・・


戦略的に見た、大企業の定義は・・・


「大量仕入れ・大量生産・大量販売」


つまり・・・


「規模と資金力を最大限に活かした戦い方」 を、

実践している企業という事になる。


上記のような戦い方においては・・・


大きな会社が合併によって、

更に、

大きな会社を目指すことは、

理に適っている。


では、

戦略的に見た、

中小企業の定義は何か???


中小企業は

スケールメリットや資金力で、

戦う事が出来ない。


故に・・・


中小企業がとるべき戦略は・・・


「ターゲット限定・付加価値創造」型しかない。


安く無い・・・


マーケットも

大きくは無い・・・


だが!


ある特定の人にとっては・・・


「なくてはならない、魅力的な商品」


あるいは、会社である事だ。


Appleは、

十分に大きいではないかと

言われてしまいそうだが・・・


Appleは、

規模を利用した競争力で

勝っている会社ではない、と思うのだ。


特定の人間にとっての付加価値を追究した結果、

意外と大きなマーケットが生まれた・・・


というのが、実態なのではないだろうか。



マーケットが大きくなるかどうかは

予測しようが無いし・・・


これほど

大きなニューマーケットを
意図的に生み出すことは

不可能だと思うのだ。


大きくなるかどうかは、

やってみなくては解らない。


だが・・・


小さなニューマーケットなら

無数にある。

そして・・・


そのような

小さなマーケットの創造こそ・・・


中小企業がやるべき事業なのだと・・・


私は確信している。

小さなマーケットには、

大きな会社は参入しない。

マーケットが十分に大きくなってから・・・


規模と資金の力で

マーケットを奪っていくのが、大企業のやり方だ。


小さなニューマーケットこそが
中小企業にとってのブルーオーシャンなのだ。



規模が小さく・・・


資金力もなく・・・


知名度もないのに・・・


なぜ?


戦略だけは

大企業を真似するのだろう。


マーケットの創造をせず、
既存のマーケットで価格競争を繰り広げる中小企業は・・・


ミニチュア大企業・・・


まるで、おませな七五三を観るような・・・自戒。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

日本のサッカーがツマラナイ。


という訳ではないのだが・・・



最近、

欧州のリーグを見ることが多い。


きっかけは、

やはり日本人プレイヤーが

増えた事だろう。


KAZUの頃は、

まだ日本で放映される欧州の試合は少なかったが、
やはり中田英、

そして本田・長友・香川・岡崎・内田等の存在が

大きいのだと思う。


スポーツは

御贔屓のチームが無いと

見ていて面白くない。


そして、

御贔屓のチームというのは
毎日試合を見ているところから生まれる。


かつて・・・


地方に行くと、

誰もが巨人ファンであったように・・・


同じチームの試合ばかりを見ていれば

ファンになる可能性は高い。



メジャーが好きな日本人は、
おそらくバルセロナやレアルのファンが

一番多いのではないだろうか。


プレミアやセリエAの試合も

たくさん放映されているが・・・





最近、

私が欧州サッカーをよく観るようになったのには、
もうひとつの大きな要素がある。


それは

解説者の存在だ。



おそらく・・・


いや間違いなく、そうだ。



欧州の試合に

日本人の解説が付いていなければ・・・


私は、

こんなに欧州の試合を見ないと思う。



試合も面白いが、

何と言っても、

その解説が面白いのだ。


日本で、

かつて一流と言われた選手たちが・・・


プロの目で、

欧州のサッカーを解説する。


それは、本当に面白い。


但し・・・


人によって、という事だが。 苦笑




かつては、同じように

一流の選手であったにもかかわらず、
解説者としての力量に、

なぜ?これほどの差が出るのだろう。


上手い解説か・・・


あるいは、

下手な解説か・・・


それは

実況担当者との掛け合いで決まる。



実況担当者は

実況をする事だけが仕事なのではなく・・・


解説者から

面白い話を引き出すという
重要な役割を担っているのだ。



彼らは、視聴者の代表として、
恐らく、こんな事が聞きたいのだろうなという質問を、
解説者にぶつける。


解説者の力量は、

実況担当者の質問に

どう答えるのかという・・・


その一点で決まる!

といっても過言ではない。


まず、最低限の能力として、
相手の質問の意図が理解出来ているか、どうか。


これが出来ない人は、

次回からは、まず呼んで貰えないだろう。


解説者の仕事は

諦めた方がいいと思う。


次に、

その質問に何と答えるか。


これが

解説者の評価を決定付けている。


プロの解説者に求められているのは・・・


素人が知らない情報や

ものの見方だ。



つまり・・・


素人でも知っているような事しか話さないのでは
意味が無いという事だ。


「シュートは、枠に打たなければ、いけませんね~」などと

プロは言ってはならない。


なぜ、その結果が、

打ち方や、ラストパスや、相手などのプロセスに導かれ、

どのような因果関係があるのか・・・


素人は

そこが聞きたいのだ。



そして、もうひとつ・・・


プロの解説者は
プロにしか解らないような

答え方をしてはならない。


解説者とは、

プロにしか解らない出来事を・・・


素人にも解るように・・・


素人の言葉に翻訳して
伝えるのが仕事なのだ。



素人には見えない、早い動きが見える・・・


素人では解らない、駆け引きが解る・・・


それは

とても素晴らしい事なのだが・・・


大事なのは

解る事ではなく、解るように伝える事だ。

より解り易く、より面白く伝える事。


それが

解説者に求められる能力だ。


なんだか・・・


部下の育成のような・・・苦笑。




ところで・・・

「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


ブルーオーシャンという言葉が流行ったのは...

何年位、前だったろう。

競争が激しい
血の海(レッドオーシャン)から抜け出し・・・

競争の無い
ブルーオーシャンで生きていこう!というメッセージは、
当時、価格競争で疲れ果てていた経営者の心に
鋭く突き刺さった。

そうだ!
新しいマーケットを開拓すればいいんだ。と・・・

瞬間的に
心を躍らせた経営者は沢山いたと思う。

だが・・・

その思いは、
本当に一瞬で終わってしまったようだ。

言うのは簡単だが、
新しいマーケットを生み出すことは
簡単ではない。

何から手をつければいいのか・・・

どのくらいの資金が必要なのか・・・

マーケットが出来上がるまでには
何年くらいかかるのか・・・

そういう事を考えているうちに・・・

これは
無理かもしれないという結論に達するだろう。


既存のマーケットで、戦い続ける労力と・・・

新しいマーケットを生み出す労力・・・

どちらも
決して小さなものではない。


で、あれば・・・

今のままやっていく方が
リスクは少ない、ということになる。


そもそも・・・


新しいマーケットというものは、
どこから生まれてくるのだろうか?


私達、中小企業経営者の中で、
自らマーケットを生み出したと自負している人は
何パーセントくらい、いるのだろう。


おそらく10%・・・

いや、もしかすると
1%にも満たないのかもしれない。


既存のマーケットにおける商売と、
新しいマーケットを生み出す事とは、
まったく意味が異なる。

リスクが高く・・・

莫大な資金も必要である。


そして・・・

経営者にも
別のスキルが求められる。


したがって・・・

自分たちは既存のマーケットで
コツコツと真面目に戦っていくしかない。

そんな風に
考えている経営者が、ほとんどだと思う。

それは、
マーケットの創造=新規事業の立ち上げ、という図式が
頭の中で出来上がっているからだと思うのだ。


そう、本当は・・・

新しいマーケットは
新事業や新商品から、生まれるものではない。


マーケットは
常に顧客の心の中から生まれるものだと、
私は感じている。


マーケットは・・・

顧客一人ひとりの「欲しい」という気持ちから生まれる。

その「欲しい」が
元々持っていたものではなく・・・

「何か」によって
顕在化した感情であるのなら・・・

それは
立派なマーケットの創造といえると思うのだ。


たった一人でも構わない。

なぜならば・・・

「一人」にしか喜ばれない商品やサービスなど
この世の中に存在しないからだ。

たった一人の「欲しい」は、
必ず何人かの「欲しい」に伝播する。


そして・・・マーケットが誕生するのだ。

では、
そのマーケットは大きくなるのか?

それは
やってみなくては解らない。

だが・・・

例え、小さなマーケットで終わったとしても・・・

それは
歓迎すべきことだ。

なぜならば・・・

小さなマーケットを沢山生み出す戦略こそ、
大きな会社が
最もやって欲しくない事だからだ。


大きなマーケットは
いずれ・・・競争のレッドオーシャンになる。

小さなマーケットこそが
ブルーオーシャンであり続けるのだ。


では・・・

一人の「欲しい」は
何によって生み出されるのか?

それは、
売る側の「意思」だろうと思っている。


「こういうサービスを提供したい!」

「こういう人に喜んで欲しい・・・」

そのような意思が
顧客の心を刺激するのだ。


但し・・・

売る側の「意思」は、
意思のままでは、顧客の心には届かない。

心に届ける為には
意思を「言葉」にする事が必要だ。


「心を刺激する言葉」・・・

それこそが
マーケットを生み出す源泉なのだ。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

 

人間は・・・


理性ある生きものとして

特異な社会を形成している。


本能と・・・


それを

抑える理性とを持ち合わせ・・・


常に

その狭間で苦悩しながら

自分の居場所を見つけ出して
生きていかなくてはならない。


なぜ?


人間にだけ理性というものが

存在するのか・・・


私には、知る由も無いが、
最早、人は

理性なしには、生きていけない。


そもそも・・・


社会が成り立たないし、

家族も

友人関係も成り立たない。


いや・・・


自我でさえ

成り立たないだろう。


そう考えれば、

人間に理性があるのではなく・・・


理性そのものが

人間なのだと言えるのかも知れない。


理性という言葉は・・・


本能と戦って勝利する、

強い人間をイメージさせるが・・・


人生は

そんなに単純なものではないだろう。


何をやるべきで、

何をやらざるべきかという判断は・・・


法律やルールに

違反しないことが目的ではなく・・・


自分という人間の

存在意義を問う事こそが、
目的であるべきだ。


ルールを破らないという事は・・・


社会を形成する上で
とても重要な事ではあるが・・・


それだけを基準に

生きていく、というのであれば・・・


プログラムされたロボットと

なんら、変わりがないだろう。


そいつは

御免蒙りたい・・・


 

そもそも、本能とは・・・


動物としての

体の欲求であると同時に・・・


人間としての

心の欲求でもある。


だから・・・


抑え込めばいいというものではなく、
上手くコントロールして

付き合っていくことが重要だと思うのだ。


開放してばかりいると、

堕落した人間になってしまうし・・・


押さえ込んでばかりいると、

自我が崩壊して、鬱になってしまうだろう。



抑えなければならない欲求と・・・


従わなければならない欲求。



その両方があるのだということを

先ず、認めるべきなんだろう。


では・・・


抑えるべき欲求とは、何か?


そして・・・


従うべき欲求とは、何だろうか?


たぶん・・・


その境目の大半は、
議論する余地も無いほど

明確だ。


違法な行為はやってはならないし・・・


たとえ

違法ではなくても、

やってはならないことはある。


ルールには

違反していないからという理由で・・・


良からぬことをする人間は

どこにでもいるが・・・


ほぼ、100%近くの人間は

そのような判断を好まない。


人として

間違っているという判断を・・・


人間というのは

意外としないものだと思う。


 

本当に重要なのは・・・


残りの

「ほぼ100%から漏れる、一部の例外について」

判断である。


合法か、違法か・・・


正しいか、正しくないか・・・


そのような基準では

判断しようのない欲求。


その欲求を

抑えるべきか・・・


あるいは、従うべきか・・・


そこで・・・


人生が、

大きく分かれていくのだと思う。



例えば・・・


私は

楽曲や小説を書いてみたいと思っている。


誰にも迷惑をかけない、

従ってもいい欲求には思える。


だが・・・


その欲求の根源には、

またしても、いくつかの欲求がある。


有名になりたい・・・


印税を稼ぎたい・・・


スゴイ人間だと思われたい・・・


というような、

あまり美しくない欲求だ。


あまり褒められたものではないが、

まあ、人間らしい欲求だろう。


そして・・・


そのような欲求を抑えて、
純粋に、何かを表現したい、

という欲求もある。


そこで・・・


私は、考えるのです。



書くか、書かないか、ではなく・・・


何を、書くのかを。



前者の欲求に従うならば、
私は

売れる小説や、ヒットソングを

書かなくてはならない。


後者の欲求に従うのならば、
そんな感情は

抑え込まなければならない。


どちらが

正解というものではない・・・


しかし、間違いなく、

この欲求に対する選択で・・・


私の人生は

違ったものになるだろう。


さてさて・・・


私の欲求って何だろうか?


どんな選択肢があるのだろうか?


齢、五十に近づいてきたけれども・・・


それは

自分でも解らない。


欲求、欲望、夢、大志、希望・・・


ますます

解らなくなってきた・・・苦笑。




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

暑さ、寒さも彼岸まで・・・


昔の人は、よく言ったものです。



毎年、この時期になると、

急に秋を実感します。


私は

8月生まれなので・・・


当然ながら、

寒いのが苦手です。


そして・・・


なぜか・・・暑いのも・・・苦手。


ワガママなだけですね。苦笑



寒風が吹きすさぶ中を歩いていると、

耳が痛くなり・・・


・・・顔が痛くなり、おなかが痛くなります。


だんだんと、体が固まってきて・・・


このまま

凍え死んでしまうんじゃないかとさえ

思えてきます。


大げさかもしれませんが、

本当に苦手なのです。


それでも、若い頃、

スキーに行った事はあります。



スキーぐらい出来なければ・・・


・・・という

当時の常識を信じていたからです。


死ぬような思いをしながら、

リフトに乗りました。


しかし、

寒さに耐えられず・・・


1本滑っては

レストハウスで1時間休憩という体たらく。


1日パスポートが

黒字になったことがありませんでした。


・・・イイ時代になりましたよね。



価値観の多様化というヤツです。



スキーやスノボーが出来なくても

彼女が出来るんです。


もう少し、遅く生まれれば良かった???


モチロン!


私は

もう二度とゲレンデには行かないでしょう。


多分・・・


絶対に行きません。



ところで、

素朴な疑問なんですけど・・・


そもそも・・・


女性は

寒さに強いのですか?


それとも

弱いのですか?


会社にいると、

女性は冷え性の人が多く・・・


夏でも

設定温度を高めにする

傾向があるようなのですが・・・


しかし・・・


街に出ると女子高生などは
足を丸出しにして歩いてますよね。


お洒落は

我慢だなんていいますけど・・・


暑さ、寒さが

致命的に苦手な私からすると・・・


あれは

もう命がけのお洒落に見えるのですが。


ホントのところは

どうなんでしょう???


死ぬような寒さを

我慢しているようには見えないんですけど。


ヘッチャラなんですか?



一方で・・・OLさんになると・・・


これでもか、というほど

厚着をして通勤してるじゃないですか。


モンペとは言いませんが、
お洒落を犠牲にして

分厚いストッキングを穿いてます。


あれは

まともな姿です。


お洒落に我慢が必要だとはいっても、
命まで懸けるわけにはいきません。


少なくとも・・・


足を丸出しにしているOLさんは

あまり見かけません。


高校生までは

寒さに強くて・・・


OLさんになると

弱くなる。



それが女ってもんだ。


そういう生き物なんだ。


・・・ってことで

いいんでしょうか?



夏の

日焼け回避ファッションの件も含めて・・・


誰か

教えてください。



女子高生が

命がけで足を出しているのに、
OLさんになったら

いきなり厚着になるという・・・


その図式が

私には理解できないのです。



いや、もしかしたら・・・


こんなことは・・・


聞いては

いけないのかもしれませんね。


男には絶対内緒の

暗黙のルールみたいなのが・・・


女同士には

あるのかもしれませんから。


トイレとかでは

そんな話をしているんですよ・・・きっと。


男には・・・


そんなもんは、

ひとつもありませんけどね。


ほんと、

女ってのは

愛すべき不可思議な生き物です。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」-P1001052.jpg

木曜日、ヤス岩井さん展示会に行きました(^0_0^)

現物はモットいいですよ
\(^_^)(^_^)/

by ISHIYAMA(^^ゞ


「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


言葉があるところには・・・


意味があり。


言葉を深く考える事によって・・・


思考が深まる。


そもそも、それこそが・・・


私が

ブログを書き始めたテーマでもある。


世界には

数え切れないほどの言語が存在する。


グローバル化が進む現在では、

英語のみならず、3~4ヶ国語くらいは、

使いこなす必要があると言われている。

(日本代表GKの川島は6ヶ国語喋る)


確かに・・・


幾つもの言語を使いこなせれば・・・


コミュニケーションの幅が広がり、
情報をいち早くキャッチし、

実行の助けになるだろう。


だが・・・


言葉の役割は

それだけではない。

言葉は・・・


その人間の

人格形成や思考パターンにも
大きな影響を与えている。


人は・・・


言葉で認識し・・・


言葉で考え・・・


言葉で伝達する、生き物なのだ。


「伝える」というのは、

言葉が持つ、一つの側面にしか過ぎない。


言葉が

持つ力を軽視しない事。


言葉を

使いこなすスキルこそが、
今の時代には

必要だと強く感じる。


例えば・・・


新しい星や生物が発見された時・・・


そこには

必ず名前がつけられる。


発見者に命名権があるので、

自分の名前をつけることが

多いのだろうが・・・


大事なのは

どういう名前かではなく・・・


名前がつけられる事、

そのものなのだ。


発見されるまで、その星や生物が

存在していなかったのかというと・・・


もちろん

そんな訳はない。


発見される、ずっと前から、

それらは

そこに、存在していたのだ。


では・・・


誰一人、見た人が

いなかったのか。


いや、もしかしたら・・・


いたのかも知れない。


映画「剱岳 点の記」のように・・・


知っている人が

居たにも関わらず、

それは新しい発見となる。


なぜならば・・・


認知されていなかったからである。


人々に認知されていないもの・・・


それは

存在していても

存在していないに等しい。


そして・・・


人々に認知される為には・・・


名前という 「言葉」が存在する事。


それ自体が

必要不可欠なのである。


そして、それは、物体だけではない。


新しい理論や考え方にも
必ず題名という

「言葉」がつけられている。


人は言葉無くして、

「何か」を認識をする事は

出来ないのだ。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


そして・・・

 

認識させるだけではなく・・・


言葉は

人の心を刺激し、伝播していく。


昨今、伸びているECなど、

尚更だ。


現物に触れずに

買って貰う為には・・・


人の感情を

解り易く、刺激する言葉が

重要なのだ。

見れば解る・・・


食べれば分かる・・・というのは
作り手側の論理。


実際には・・・


体験だけで・・・


映像だけで・・・


価値を認識する事は

難しい。


言葉によるサポートが無いと・・・


人間は


迷い・・・


戸惑い・・・


選択する事が

なかなか出来ない。


これこれ、

こういう効果がある・・・


こんなに

希少なモノが使われている・・・


これだけの

技術と時間を結集して

創られている・・・


それらの情報が、

人間の感情を刺激し・・・


購買や選択という、

「行動」を起こさせているのだ。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


それでは・・・


情報は、

何で出来ているのか?


データという数値。



そして・・・


それを

伝える言葉だ。


言葉が解り易く、

魅力的であれば・・・


人は

その商品やサービスを

選択する可能性が高くなる。


反対に・・・


言葉が解り難く、

魅力の薄いものだと・・・


商品そのものの価値が

劣化して見えてしまう。


人は

言葉で認識し・・・


言葉で伝える・・・


生き物なのだ。



名前も無く・・・


言葉も持っていないものは・・・



認知のしようがないし・・・


誰かに伝える術も無い。


さて・・・


私は

言葉を持っているだろうか・・・


私の会社は

言葉を持っているだろうか・・・


自社の魅力を

解り易く表現する言葉を・・・




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


ようやく、

夏の終わりを感じる、今日この頃。



チョット、昔話を・・・



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

私は子供の頃・・・


5歳~6歳頃でしょうか・・・



近所の人達から、

昆虫博士と呼ばれていました。


モノ凄~く、

昆虫に詳しいという訳ではありません。


理由は・・・


夏になると

毎日、昆虫採集に出かけていたからです。



昆虫採集といっても・・・


そんじょそこらの

子供がやるような、
適当なお遊びではありません。

(ガキに違いはないのですが・・・)


私は

毎日、ルートを決めて、

セミを採っておりました。


春は

ニイニイゼミの採集から始まり・・・


暑くなるにしたがって

アブラゼミ、クマゼミが加わり・・・


ツクツクボウシで

セミシーズンは終わりを迎えます。



私は

毎年5月になると・・・


まるで農作業のように

セミ採集に出かけました。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


網は

セミ採り専用に作ったもの・・・



直径10センチ位の針金の輪に

ストッキングの先を縫い付けたものです。



この網に

いったんセミが入ると・・・


足がストッキングに引っかかって
自力で脱出することができません。



私は毎日、

この網と虫カゴを手に・・・


近所の家々を巡回していました。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


当時、

私が住んでいたのは

田舎でも都会でもない・・・


さいたま市のありふれた住宅地で・・・


セミは

近所の庭の木にしか

止まっていませんでした。



セミというのは

不思議なもので、

採っても、採っても・・・


次の日には・・・


また

同じ家の、

同じ木の、

同じところに・・・


何故か、

止まっているものなのです。



私は

サッカーを始めるまでの2年間。



何と、セミ採りを・・・


夏の間、

1日も休まずに続けていたのです。


なぜ?

そんなにまでして

セミを採り続けていたのか。



それは

私にも解りません。


たぶん・・・


カブトムシや

クワガタムシが

いなかったからだと思います。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


私が

セミ採りをやめた、きっかけも

カブトムシでした。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


私は

近所には生息していないカブトムシを
いつも西友の屋上のペットショップで

眺めていました。


私の両親は
カブトムシを買ってくれるような人では

ありませんでした。



と、いうか・・・


当時、

お金を出して虫を買うなどというのは
あり得ない事でした。



そんな両親が

カブトムシを買ってくれたのは・・・


おそらく・・・


私の

2年間の偏執的なセミ採り作業が
認められたからではないでしょうか。



あるいは・・・


もう、御近所を

巡回して欲しくなかったからかも知れません。



あるいは・・・


将来を心配したのかも知れません。苦笑


当時、両親は

近所の人から・・・


「お宅の息子さんはユニークねー」


と、言われていたらしいです。

(父さん、母さん、御免。)


とにかく・・・


私は

カブトムシの育成に集中するようになり・・・


今度は、
繁殖名人になりました。


カブトムシは

ツガイで飼っていると、

卵を産みます。


卵から孵った幼虫は
50~60センチの深さのバケツに移し・・・


そこに

たっぷりの腐葉土を入れて育てます。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


幼虫は

どんどん大きくなりますが・・・


春先に

掘り起こしてはいけません。


サナギになる準備をしているからです。


この時、

好奇心に負けて掘り起こしてしまうと、
幼虫は死んでしまいます。




じっと我慢なのです。




私は

自他共に認める、

ブトムシ名人になりました。



セミ採りも

無事、卒業しました。笑



ただ、ひとつだけ

心残りがありました。



それは・・・


クワガタを

育てたことがないということです。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


クワガタの繁殖は

カブトムシの何倍も難しく・・・


卵すら

産んだ事がありませんでした。



図鑑に載っている、

クワガタの幼虫を眺めては、
溜息をついていました。




そんなある日・・・




西友の屋上のペットショップで
クワガタの幼虫が売られていたのです。



今では・・・


養殖もされているクワガタですが・・・


当時は

その幼虫を手に入れることなど

不可能だったのです。



売っていたのは一匹だけ・・・


「クワガタムシの幼虫 200円」


と、値札がついていました。



カブトムシの幼虫が

1匹50円程度でしたから・・・


それは

破格に高かったのです。


どんな種類のクワガタかは

モチロン解りません。


でも・・・


私は・・・迷わず・・・


なけなしの小遣いで

その幼虫を買いました。


家に帰って、

その幼虫を専用の飼育ケースに入れ・・・


毎日、

懸命に世話をしました。


水をやりすぎず・・・


温度を調整しながら・・・


慎重に、懸命に。



その甲斐あって、

幼虫は順調に育っていきました。



でも・・・ちょっとだけ、不安がありました。


形が、

図鑑に載っているクワガタの幼虫とは
チョットだけ違うのです。


むしろ、

カブトムシの幼虫に似ていました。


が・・・まさか、

ペットショップが

嘘はつかないだろうと

自分を納得させ、

春の訪れを待ちました。



春・・・

もうサナギには

なっているはずの5月。


私は掘り起こして、

確認したい気持ちを

懸命にこらえました。


何しろ、

ココが正念場です。


死んでしまっては

何にもならないのです。


6月の初めに・・・


その虫は

土の中から出てきました。



なんと!というか・・・



やはり。。。というか・・・



それは

クワガタではなかったのです。 orz



しかも、あろうことか・・・



それは・・・


カブトムシですら、ありませんでした。



それは・・・


ありふれた、カナブン・・・だったのです。


・・・ orz



でも・・・


不思議なことに

腹は立ちませんでした。



カナブンが

悪い訳ではありません。



ペットショップにも

見分けがつかなかったのかも

知れません。



当時、私は・・・



まだ、人を疑うということを

知りませんでした。



純真無垢な7歳ですから・・・



ただ・・・私は事実を、事実として、

報告するために、
西友の屋上のペットショップを訪れました。



騙そうと思ったわけではないのでしょうが・・・


あれは

カナブンでしたよ・・・と報告するために。



しかし・・・


残念ながら・・・


ペットショップは

跡形もなく、姿を消していたのです。



7歳・・・純真無垢な・・・


私の心の中を・・・


「ヒュー」っと・・・


風が

吹き過ぎていきました。



あの出来事は・・・


私の心を・・・


少しだけ、荒んだものに

変えたと思います。



「人を疑う」ということを、

学習した瞬間でした。



学ばざれば・・・知無し。




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


その昔・・・


ピカソだか、モディリアニだったかは忘れたが・・・


レストランに食事に行った際、
ウエイターからナプキンに、

「何か絵を描いてください。」と言われ・・・


30秒ほどで、ササッと描いた絵を持って、

こう言ったそうだ。



「お代は、150万ペセタです。」と・・・

(150万ペセタ→100万円ぐらいかな?)



「どうして、30秒で描いた絵が100万円もするのですか?」


と、驚いたウエイターが聞き返した時・・・


その画家は、

こう言ったそうである。


「30秒ではなく、40年と30秒です。」と。


なるほど、

さすがは高名な画家だと思う反面・・・


とんでもない強欲だとも

感じてしまうエピソードだ。


まあ、

事実かどうかは定かではないが・・・


このエピソードには
現在のビジネスに通じるヒントが

隠されていると思う。


何しろ、

30秒で100万円なのだ。


時給に換算すれば、

なんと1億2000万円である。


だが、

私が言いたいのは、

金額の多寡ではない。


30秒の価値を

極限まで高めるための手法である。



確かに・・・


ウエイターからしてみれば、

自分の目の前で、

チョロチョロと描かれたものに
100万円は払いにくい。


だが・・・


それが

ピカソやモディリアニなど、

高名な画家の最高傑作だと

評価されたとしたら、

どうだろう・・・


そもそも・・・


絵などというものは、
完成までに、何年かかっていようが
評価されなければ

何の価値もない代物なのだ。


反対に・・・


素晴らしい作品であれば、
描くために要した時間など

誰も問わないはずだ。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


要するに・・・


大事なのは

その絵のクオリティーなのである。


実際に30秒で、

絵が描けるかどうかは置いといて・・・


それまでの40年間が
その30秒の価値を

最大化していることは事実だと思う。


そりゃあ、

ピカソが40年と30秒だと言うのであれば

尚更だ。


ピカソは40年間暖め続けてきたものを
30秒で描いたのかもしれない。


モディリアニの総てが

30秒に凝縮されているのかも知れない。


大切なのは

連綿と繋がっている事である。


例えば・・・


40年間追い続けてきた「愛」というテーマを、
30秒で表現する。


その30秒には

40年間の思考が

蓄積されているのだ!



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

 

ビジネスの場においても、
私たちは

常に思考することを求められている。


その時に大切なのは・・・


思考をつなぎ合わせ、

組み合わせる事だ!


何か一つの事について

考える時・・・


大抵の人は、

答えを一つ見出した瞬間・・・


そこで

考える事を止めてしまう。


考える事を止めると、

思考は、そこで途切れてしまう。


そして、

思考は積み重ならない。


とは、言うものの・・・


一つの事だけ、

思考し続ける事など
現実的に不可能である。


ピカソや

モディリアニにしても・・・


24時間、365日、

「愛」について

考えていた訳ではないはずだ。


大事なのは

思考し続ける事ではなく・・・


思考を

繋ぎ合わせる事なのだ。


前に考えていた続きから、

考えを再スタートさせる。


一時停止しておいたDVDを

続きから再生するように。


だが・・・


これも、

ちょっとしたトイレ休憩なら
簡単に

つなぎ合わせることが出来るだろうが・・・


1ヶ月も放置してしまうと

前のシーンが思い出せなくなる。


現実の世界では、
DVDのように巻き戻して見ることもできない。


だからこそ・・・


最後のシーンを

常に自分の頭の中で、
リフレインしておく事が

重要なのだ。


過去の自分の思考が

今、

現在の自分と繋がった時・・・


ただの30秒は・・・


40年+30秒へと

大いなる価値へと・・・


進化を遂げる。