「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

 

人間は・・・


理性ある生きものとして

特異な社会を形成している。


本能と・・・


それを

抑える理性とを持ち合わせ・・・


常に

その狭間で苦悩しながら

自分の居場所を見つけ出して
生きていかなくてはならない。


なぜ?


人間にだけ理性というものが

存在するのか・・・


私には、知る由も無いが、
最早、人は

理性なしには、生きていけない。


そもそも・・・


社会が成り立たないし、

家族も

友人関係も成り立たない。


いや・・・


自我でさえ

成り立たないだろう。


そう考えれば、

人間に理性があるのではなく・・・


理性そのものが

人間なのだと言えるのかも知れない。


理性という言葉は・・・


本能と戦って勝利する、

強い人間をイメージさせるが・・・


人生は

そんなに単純なものではないだろう。


何をやるべきで、

何をやらざるべきかという判断は・・・


法律やルールに

違反しないことが目的ではなく・・・


自分という人間の

存在意義を問う事こそが、
目的であるべきだ。


ルールを破らないという事は・・・


社会を形成する上で
とても重要な事ではあるが・・・


それだけを基準に

生きていく、というのであれば・・・


プログラムされたロボットと

なんら、変わりがないだろう。


そいつは

御免蒙りたい・・・


 

そもそも、本能とは・・・


動物としての

体の欲求であると同時に・・・


人間としての

心の欲求でもある。


だから・・・


抑え込めばいいというものではなく、
上手くコントロールして

付き合っていくことが重要だと思うのだ。


開放してばかりいると、

堕落した人間になってしまうし・・・


押さえ込んでばかりいると、

自我が崩壊して、鬱になってしまうだろう。



抑えなければならない欲求と・・・


従わなければならない欲求。



その両方があるのだということを

先ず、認めるべきなんだろう。


では・・・


抑えるべき欲求とは、何か?


そして・・・


従うべき欲求とは、何だろうか?


たぶん・・・


その境目の大半は、
議論する余地も無いほど

明確だ。


違法な行為はやってはならないし・・・


たとえ

違法ではなくても、

やってはならないことはある。


ルールには

違反していないからという理由で・・・


良からぬことをする人間は

どこにでもいるが・・・


ほぼ、100%近くの人間は

そのような判断を好まない。


人として

間違っているという判断を・・・


人間というのは

意外としないものだと思う。


 

本当に重要なのは・・・


残りの

「ほぼ100%から漏れる、一部の例外について」

判断である。


合法か、違法か・・・


正しいか、正しくないか・・・


そのような基準では

判断しようのない欲求。


その欲求を

抑えるべきか・・・


あるいは、従うべきか・・・


そこで・・・


人生が、

大きく分かれていくのだと思う。



例えば・・・


私は

楽曲や小説を書いてみたいと思っている。


誰にも迷惑をかけない、

従ってもいい欲求には思える。


だが・・・


その欲求の根源には、

またしても、いくつかの欲求がある。


有名になりたい・・・


印税を稼ぎたい・・・


スゴイ人間だと思われたい・・・


というような、

あまり美しくない欲求だ。


あまり褒められたものではないが、

まあ、人間らしい欲求だろう。


そして・・・


そのような欲求を抑えて、
純粋に、何かを表現したい、

という欲求もある。


そこで・・・


私は、考えるのです。



書くか、書かないか、ではなく・・・


何を、書くのかを。



前者の欲求に従うならば、
私は

売れる小説や、ヒットソングを

書かなくてはならない。


後者の欲求に従うのならば、
そんな感情は

抑え込まなければならない。


どちらが

正解というものではない・・・


しかし、間違いなく、

この欲求に対する選択で・・・


私の人生は

違ったものになるだろう。


さてさて・・・


私の欲求って何だろうか?


どんな選択肢があるのだろうか?


齢、五十に近づいてきたけれども・・・


それは

自分でも解らない。


欲求、欲望、夢、大志、希望・・・


ますます

解らなくなってきた・・・苦笑。