日本では場の空気が読めないと
「KY」などといって馬鹿にされる。

だが、一方で・・・

「KYで何が悪い、日本人は空気を読みすぎなのだ!」

と主張する人もいる。

確かに・・・

人の顔色ばかりを気にしていたら
建設的な会話など、出来ないのかもしれない。

まあ・・・

良いか悪いかという議論は
とりあえず・・・置いておいて・・・

大事なのは
空気を読むという行為、
そのものなのだ。

「場の空気を読む。」

これは・・・

日本人が編み出した
「特別な能力」ではないかと・・・

私は勝手に考えている。

狭い島国で・・・

和を重んじるという
聖徳太子の教えを守るためには、
相手の気持ちを察するという能力が
必要不可欠だったのだろう。

人種や国籍というよりも、
この日本という場所が「場の空気を読む」という
独特のムードを求めているような気がする。

アメリカで生まれ育った日本人よりも、
日本で生まれ育ったアメリカ人のほうが
場の空気が読めるという事実が、
それを証明している。

いや・・・

日本生まれ、
日本育ちの生粋の日本人でも・・・

何年間か海外で過ごすうちに
場の空気を読まなくなる。

きっと・・・

読む必要がなくなるのだろう。

そして・・・

こいつらは
なんて気が利かないのだろうという思いが、
自分の心から完全に消え去ることはない。


場の空気を読むというのは・・・

ただ単に
「相手が口にしていないことを察する」
ということではない。

顔は笑っているが、
本当はつまらないんだろうとか・・・

早く切り上げて、
家に帰りたいのだろうとか・・・

相手の心理を察知することは
モチロン重要なのだが・・・

それだけでは
場の空気を読んだとは言えない。

場の空気というのは・・・

その場にいる人たち全員が
創り出しているものなのだ。

いわば・・・無言の約束事。

口には出さないが、目配せで・・・
「つまんない話だよね、ほんとうに・・・」

という共感が生まれるとき、
それが場の空気となる。

つまり・・・

場の空気は
「つまらない」なのだ。

にもかかわらず・・・

同じ話題を話し続けたり、
その話題に突っ込みを入れて、
話を長引かせたりすると・・・

「場の空気が読めない」

という烙印を押されてしまうことになる。


口には出さないが
その場にいる
大多数の人が感じているであろうこと。

それが
場の空気の正体だ。

そして・・・

日本人は
ことさらそれに気を使う。


言いたいことや、
言うべきことは、きっちりと主張する。

というのが
世界の人々のコミュニケーションの基本だ。

たとえ・・・

その場の空気を乱してしまったとしても。

そして・・・

「反論しない=相手の主張が正しいと認めた。」

というような理解をされてしまう。

だから・・・

日本人は国際的な場面で
もっと主張するべきだと言われている。

だが・・・

私の意見は、チョット違う。

いずれ・・・

世界の人々は、
もっと場の空気を読むようになる。

そんな風に考えている。

そうなると・・・

「主張したものが勝ち」という
従来の国際ルールは、
変化するのではないだろうか?

どんなに正論を主張しても・・・

どんなに素晴らしい寄付をしても・・・

その裏側に見え隠れする
「いやらしさ」を
人々は感じるようになるからだ。

日本人は、主張が足りない。

せっかく
ODAで大金を使っても評価されない。

などと・・・言われている。

しかし、途上国への援助を
これ見よがしに主張するほど
いやらしいことはないと思うのだ。

テレビやインターネットが世界中に普及し、
それぞれの主張が溢れかえったとき・・・

人は情報を選別できなくなるだろう。

そうなった時・・・

世界の人々は
自分の感性で、好き嫌いを判断するようになる。

誰が素敵な人で、
誰がいやらしい人か???

どの国が立派な国で、
どの国がいやらしい国か???

主張ばかりする国と・・・

黙々と正しい行いをする国。


どちらが好意をもたれるのかは
明白だと思うのだ。


「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


たぶん・・・


好みの問題なのでしょうが・・・


私は、タクシーが好きではありません。


特に・・・


私は、スピードを出すタクシーが嫌いです。

タクシードライバーの皆さん!


御免なさい m(__)m


モチロン、

素晴らしいドライバーも沢山います。


けれども・・・


今までの経験から・・・


怖いのです。




もちろん、

目的地に早く着くという努力は

必要だと思います。


でも・・・そのためには、

道選びのプロにならなくてはいけません。


高速か・・・


一般道か・・・


抜け道か・・・


この時間は、

一般道の方が早いとか・・・


少し遠回りになるが

時間が短縮できる方法を心得ているとか・・・


もの凄くややこしい抜け道を

熟知しているとか・・・


そういうことが、

プロフェッショナリズムだと思うのです。


急いでいるのか、どうか。


料金と時間の

どちらを優先するのか。


そのくらいは

最初に聞いてもいいと思います。


私の場合・・・


余程、

急いでいるときを除いては、
時間は気にしません。

何よりも、

乗り心地を優先して欲しいと思います。


にもかかわらず・・・


早さは全てに優先すると
勝手に思い込んでいる運転手さんが多いのです。


でもそれは・・・


顧客への思いから来ているのではない、
といつも感じるのです。


急発進したり・・・


カーブでスピードを落とさなかったり・・・


ギリギリまで、

スピードを落とさずに急ブレーキをかけたり。


そんなことをして、
いったい何分時間が縮まるというのでしょう。


荷物は転がるし・・・


気分は悪くなるし・・・


乗り心地は、最悪です。



そして何よりも・・・


その運転は

顧客のために

トバシテイルのではないということ。

ただ単に、

気が短いから・・・そのような運転をしているのです。


私は、乗り心地を優先したいので、
あまりにも飛ばそうとする運転手さんには

ハッキリ言います。


「すみませんが、

 急いでいるわけではないので
 ゆっくり運転してください」と・・・


すると・・・


ほとんどの運転手さんは

凄く嫌な顔をします。


せっかく親切で

急いでやっているのになんだよ!


俺は

トロトロ運転することなんかできないんだよ!


お前みたいなやつがいるから、

道路が渋滞するんだよ!


・・・とでも、言いたげです。


(モチロン、そんなことは言って来ませんけど・・・)


そして・・・


ゆっくり運転して欲しいと言っているにもかかわらず、
結局は・・・荒っぽい運転に戻っていくのです。


彼らは

乗り心地のいい運転など

できないのでしょう。


それは・・・

技術というよりは

性格の問題です。



気が短くて怒りっぽい。


それは、乗客にとって

非常に迷惑な話です。



この間も・・・こんなことがありました。


左前方を走っていた車が

車線変更して・・・


私の乗っていたタクシーの前に

入ろうとしたのです。


それは・・・中年の女性が

運転する車でした。


ウインカーを出して、

ゆっくりとタクシーの前に入ってきます。


結構、距離も開いてましたし、
入れてあげればいいと思うんですよ。


でも・・・そのゆっくりとした運転が

気に入らなかったのでしょう。


タクシーの運転手は、

スピードを上げて
進入を阻止しようとしました。


でも、結局・・・阻止することは

できなかったんです。


結構、

距離が開いていましたから・・・


猛スピードで

距離を詰めていたタクシーは・・・


女性が

運転する車のギリギリまできて、

急ブレーキをかけました。


私は、

前の座席にぶつかりそうになるのを

何とかこらえましたが・・・


もう、

よれよれの状態でした。



進入を阻止できなかった運転手は
不愉快極まりないという形相で・・・前方を睨み・・・


これ以上出せないくらい大きな・・・

「っち」という舌打ちをしました。


そして、振り返って・・・


私に、こう言いました。


「すいませんねお客さん。

 本当に、どうしようもないですね・・・
 女のドライバーっていうのは・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



私には・・・


返す言葉も・・・


ありませんでした。



彼の心を要約すると、

こういうことです。



「あなたのために、

 全力で侵入を阻止しようとしましたが
 駄目でした。

 その代わりに、

 思いっきりビビらせてやりました。
 100デシベルくらいの『っち』もぶつけてやりました!」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



恐ろしいほどの

コミュニケーションギャップです。



ビビったのは彼女の方ではなく・・・


私の方ですし・・・


100デシベルの『っち』も

私の脳みそに響いていました。



・・・コノギャップハ、ドウヤッタラ、ウマルノダロウ・・・



イライラと・・・


諦めと・・・


想定外のリアクションに・・・


「なんだかなあ~orz。」


そんなコトバだけが、

反響していました。





「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」
 


商品は何か?


・・・という質問こそが、企業活動の根源であると

ドラッカー博士は言っている。


そして、

多くの経営者とドラッカーのズレは・・・

ここから始まる。

商品=製品という図式が

頭の中に定着してしまっているからだ。


商品は「電卓」です。


その答えは間違ってはいないのだが、

それではビジネスにならない。


もしも・・・電卓を作っている会社が

世界に一社しかないのであれば、
答えは、それでもいい。


だが・・・現実には・・・


電卓を作っている会社は

数え切れないくらいあるわけで・・・


電卓を作り続けている・・・というだけでは

ビジネスが成り立たないのだ。


それは、

どういう電卓なのか?


重要なのは、そこからだ。


どこよりも安い電卓なのか・・・


どれよりも便利な電卓なのか・・・


あるいは・・・


疲れない電卓?なのか・・・


今日!届く電卓なのか・・・


早く打てる電卓なのか・・・


つまりは・・・付加価値がポイントなのだ!


計算が出来るという以外に、

どんな機能があるのか。


商品=機能・・・であるという図式で考える経営者は、
付加価値を高めることに知恵を絞る。


 

だが、付加価値というのは
いつまでも付加価値であるとは限らない。


付加価値にも賞味期限がある。


同業他社が

その付加価値を真似るようになるからだ。


他の製品に無いものが付加されているから、

付加価値なのであり、
どの商品にも付いている機能になった途端に・・・


それは

付加価値ではなくなる。


付加価値であり続けるには・・・


他社が

真似できないものを付加するか・・・


新しいものを

付加し続けるか・・・の、どちらかしかない。



しかし、今の時代・・・


余程、

特殊な特許でもとらない限り、
真似のできない機能など作れないし・・・


新しい機能を

付加し続けることにも限界がある。


機能が少ないときには

消費者は機能の付加を求めるが、
ある一定以上の機能が付加されると
消費者は、もうそれ以上求めなくなるからだ。


使いこなせない上に、
ほとんど必要の無い機能ばかりが

増えていっても意味がない。


画質がちょっと綺麗になったり、
電気代がちょっとお得になるくらいで、
わざわざ家電製品を買い換える人など

滅多にいない。


それが、現実なのだ。


 

では、私たちは

何を売るべきなのだろうか???



商品そのものでは

差別化が出来ず・・・


安売りにも限界があり・・・


機能やサービスという付加価値も

飽和状態になっている。


だとしたら・・・


商品を提供する側から見た差別化は、

もう限界まで来ているのだろう。


うちの会社と、同業他社とは、

ほとんど何も変わらない。


それが、

大概の経営者の正直な気持ちなのではないか。


だが・・・

心配することは無い。


他社との違いは

消費者が見つけてくれるものだからだ。


商品(機能・サービス・値段)が

変わらないにもかかわらず、
消費者は、その違いを見つけてくれる。


では・・・

その違いとは、何なのだろう?


それは・・・

考えても解らない。


なぜならば・・・


消費者も

考えて選んでいるわけではないからだ。


消費者は、心で選んでいる。



商品は同じなのだけれども、

なぜかそこで買いたくなる。


心が欲する。


それは、好きだから。


その店が・・・


その会社が・・・


その商品が・・・


そこで働く人が。


損得は、

頭で考えれば

誰でも同じ答えが出る。


だが・・・

好き嫌いは、人によって違う。

誰に、好かれたいのか?


どう、好かれたいのか?


それこそが、

商品を決める正しい質問なのだと思う・・・




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

あんまりにも

サボってしまいましたので・・・


書ける時に書いておこう!などと、

小市民的な行動パターン・・・


さて・・・


この間、美学について

ふと、考える機会がありました。


男の美学とは、何か?


という、

質問に答えるためです。


そもそも・・・


美学に

男女の違いがあるのだろうか?


私は

ある!と思います。


美学には・・・


人としての美学。


男としての美学 。


女としての美学。


などなどetc・・・が、

あるのではないでしょうか。


いや、もっと他にも・・・


大人としての美学だとか・・・


日本人としての美学だとか・・・


経営者としての美学なんてものも

あるのでしょう。


美学など無いという人も

いるのかもしれませんが・・・


大概の人は、

自分なりの美学らしきものを持っていて・・・


それは・・・


いくつかの美学が

合わさったものではないかと思うのです。

私の場合は・・・


人としての美学・・・


日本人としての美学・・・


社長の美学・・・


漢の美学・・・


Footballerとしての美学・・・


などなどが複雑に・・・入り混じっている訳です。


美学とは・・・


則ち、

あるシチュエーションにおいて発動する・・・


特別な

判断基準のことだと思うのです。


普通、

常識的には、こういう判断はしない・・・


あるいは、

普段ならば、自分はこういう判断はしない・・・


だが、このようなケースにおいては、

美学が全てに優先される・・・ というようなことです。


損であろうが・・・


危険であろうが・・・


失敗することが解っていようが・・・


やらない訳には、いかない!!


それを

選ばない訳には、いかない。


・・・そうしないと、

自分は気持ちよく生きていけない・・・

堂々と生きていけない・・・


漢として、生きていけない・・・


そういうものだと、思うのです。



では・・・


人それぞれ、

色々ある美学の中で、

重要なのはどれか???


あるいは、

どの美学を優先するのか???


人としての美学。


これは、とても重要です。


これがなかったら、

生きている価値がないとも言えますし・・・


そもそも、

周囲の人に、

迷惑をかけることにもなります。


社長としての美学も、きっと重要でしょう。

自分ひとりだけの問題ではないからです。


社員の人生や、

経営そのものに

影響を与えることになります。


しかしながら・・・


私自身が

どの美学を最終的に優先するかといえば、
間違いなく漢の美学だと思うのです。


モチロン・・・


いつもいつも 、
男の美学が優先されるわけではありません。




経営者としての美学や・・・


人としての美学が、

優先されることの方が多いでしょう。


でも、どうしても・・・


どちらも譲れない状況になったとき・・・


私は・・・


漢の美学を取ってしまうような気がするのです。


たとえ・・・


経営者としての自信を無くしても・・・


人として、

生きていく気力を無くしたとしても・・・


漢としての誇りだけは、

失いたくないなと・・・


そう思うのです。


漢として生きたい・・・


というよりも、

男として死にたい。


そんな感じです。



女性からは

「バッカみたい」と

言われてしまいそうですけど。。。苦笑


ところが・・・


そこまでして、

守りたい男の美学って何なの?


・・・って聞かれたら、困るんですよね。



プライドみたいなものとは

チョット違うんです。


手放すわけにはいかない、

損な役回


例えば・・・


もの凄く寂しい状況や・・・

孤独な人生。


どうしようもない不安や・・・恐怖。



そういったものを・・・


もしも・・・


最終的に・・・


誰かが

抱えなくてはならない状況になったとき・・・


その役回りを

引き受けられる自分であるという事。


随分前ですが・・・


チリの炭鉱では

33人全員が助かりました。


もしも・・・


全員助かることは

ほぼ不可能だという状況だったとしたら・・・


最後の一人になったのは

誰だったのでしょう???



私は・・・


やっぱり、

あの現場監督だった気がします。


では・・・


彼は、

人としてそうしたのか?


あるいは、

監督として、その責任を果たしたのか?


・・・・・・


・・・いや、

やっぱり私は、漢として・・・


彼は最後まで

残らないわけには

いかなかっただろうと思います。


それが・・・

漢の美学というものだと・・・


私は、思うのです。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


気がつけば・・・


3ヶ月もサボってしまいました。


謹んでm(__)m


さて・・・


これでいいのか!?!と云うことを・・・


「間違いだらけの反対語を教えていること。」


試験で点を取るために、

間違った答えを書き続けたことで・・・


これでいいのか!?!と云うことが・・・


『成功』の反対は『失敗』で・・・


『強い』の反対は『弱い』で・・・


『好き』の反対は『嫌い』である・・・???


学生時代なら、答案を埋めるために

ホイホイと条件反射していたろうが・・・


「失敗しなければ、成功するのか?」


「強くない人間は、みんな弱いのか?」


「嫌われなければ、好きになってもらえるのか?」


モチロン、

答えはNO!である。


嫌いじゃない人など、世の中にいくらでもいるが、
その全てを好きであろうはずがない。

失敗しなければ、成功するというのであれば、
端から何もチャレンジしなければいいのである。


学問を学問として教えることには

もちろん意味があると思う。


そうやって科学は進歩してきたのだから・・・


だが!もしも学校というものの目的が
社会で役立つ人材を育てることなのであれば・・・


もう少し、

現実の社会というものを取り入れたほうがいいだろう。


社会とは、

学問ではなく、

人間の心理で成り立っているのだから・・・



社会には、一つの答えがない。

これをやれば、

必ずうまく行くという正解など存在しない。


なぜならば、

社会とは人間の集まりに他ならないからだ。


そして・・・


人間の心理というものは、常に変化している。


去年欲しかったものが

今年も欲しいとは限らないし・・・


子供の頃、嫌いだった食べ物が
大人になって好物になることだってある。


同じような女の人ばかりを

好きになることもあるし・・・


まったく違うタイプを

好きになることだってある。



それが

人間というものなのだ。



社会は

人間で出来ており、

人間には決まった答えなどない。


ということは・・・


当然、その反対語も存在しない。


これが

紛れもない真実なのだ!!


だが・・・


小さなころから

反対語を刷り込まれている私たちは・・・


社会において、

致命的な間違いを犯してしまう。


例えば・・・


多くの経営者は、
失敗しないことが

何よりも大事だと考えている。


失敗しない経営=成功する経営、

という図式が刷り込まれているからだ。


この刷り込みは

学校教育の場だけでなく、
先代や先輩経営者によっても行われている。



こういう間違いだけは・・・

犯してはならないぞ! という言葉が、

社訓として残っていたりするからだ。


もちろん、

社訓自体が悪い訳ではない。


問題なのは・・・


失敗しなければ、成功すると、

刷り込まれてしまっている脳みその方なのだ。


反対語の刷り込みによって
私達の思考は

単純化してしまった。


二者択一のパターンが

身についてしまった。


本当は、

反対の意味を持つ言葉など、

いくらでもあるのだ。


「みんなが好きなもの」の反対は
「みんなが嫌いなもの」であるとも言えるし・・・


「私が好きなもの」であるとも言える。


そして、

現実の社会においては・・・


「みんなが好きなもの」など、

存在しない。

「私の好きなもの」や

「私の嫌いなもの」があるだけだ。


さらには・・・


「私が好きなもの」と

「私が嫌いでないもの」とは
まったく別ものなのだ。


答えを一つに決めることも・・・


その反対語を定義することも・・・


現実社会においては

何の意味も、もたない。



大切なのは

自分にとっての『答え』を見つけることだ!



「自分にとっての成功とは、何なのか?」


「自分にとっての失敗とは、何なのか?」


「自分にとっての幸せとは、どんな状態なのか?」


「自分にとっての不幸とは、どんな状態なのか?」


自分自身にとっての【答え】を見つけることだ!!!


答えは

対極的なものではない。


失敗と成功・・・


好きと嫌い・・・


善と悪・・・


幸福と不幸・・・


そもそも・・・


現実の社会において、

それらは反対語ではなく・・・


まったく違う意味の

言葉なのだから・・・

自分自身にとっての

本当のANSWERを見つけよう・・・




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

時に・・・


こんな質問をしてみる。



「日本一の飲み屋は無い。何故か?」と。


相手からは

いろんな答えが出てくるが・・・


もっとも多いのは
「一番の定義がないから」というものだ。

何をもって

一番とするのか・・・


誰にとっての一番なのか・・・


その、選択肢の数だけ、

一番は存在する。


故に、

日本一は決められないのだと・・・


なるほど!

もっともな話である。



非常に論理的

かつ模範的な回答だ。


だが、私の求めている答えとは違う。



そこで

もう一度考えて貰うのだ。



「日本一の飲み屋が存在できない、
もっと明確な理由がある。それは何か?」


皆、答えに詰まってしまうのだが・・・


実は

至って簡単な話なのである。



日本一の飲み屋が存在しない理由。


それは、

お店が潰れてしまうからだ。


誰にも文句のつけようがない飲み屋・・・


仮に・・・


そんな

飲み屋があるとしたら・・・


それは

どんなお店だろうか???

立地がよく・・・


食事も美味しく・・・


酒は最高級の吟醸から

クラフトビールや年代物のモルトを取り揃え・・・


一人当たりのスペースも広い。


使っている調度品は

職人ものの高級品で・・・


食器は目にも柔しい一流品・・・


サービスも満点で・・・


そのうえ

料金は驚くほどに安い。


そんな

夢のようなお店があるとしたら・・・



数ヵ月後には

間違いなく潰れているだろう。


全てを一番にすると、

経営は成り立たないのである。


経営とは

全ての分野で一番になることではない。



どの分野で勝って・・・


どの分野で負けるのか・・・


それを決めることが

経営なのだ。


だからこそ・・・


そこには

2つのセンスが求められる。



ひとつ目は

勝ちどころを決めるセンス。



この分野でだけは、絶対に負けない!
というポイントを決めるためには・・・


顧客と商材を

絞り込むセンスが必要だ。



そしてもうひとつ・・・


勝てない分野で、

どのように負けるのか・・・


負けてもいい、とはいえ・・・


負け方は非常に重要だ。


味で勝負しているから、

サービスはどうでもいい・・・


という訳には、いかないし、
安さで勝負していなくても・・・


価格の設定は

非常に重要なポイントだ。

つまり・・・


負け方にも
センスが問われるということなのだ。

どこで勝つのか???


そして、その他の分野で、

どう負けるのか???


この2つのセンスこそが

「チーム、会社、店舗」

未来を左右するのだと思う。




最近,朝食時にEテレを観ている。


ピタゴラスイッチやシャキーン・・・etc


池上彰ブームが落ち着いてきた、昨今・・・


時事問題や専門用語を
解り易く解説するという番組から・・・


ただ、本質をSimpleに映し出す。


というような流れを感じるのだ。


今まで、評論家や大学教授が

解り難い解説をしていたものが・・・


池上氏の登場により

解かり易く・・・


そして、

本質をシンプルに置き映し・・・


解説を必要としない、事実の提示。



いやはや、時代は加速しているようだ。



私自身、

「また池上彰か」とつぶやきながらも・・・


気が付いたら

その番組に見入っていることがある。



彼の魅力は

何なのだろうか。


専門家としての知識、

取っ付きやすいキャラクター、
それらは

とても重要な要素である。


だが彼の特徴は、

何といっても解り易い解説にある。


解説が解り易い事など
当たり前ではないかと思われるかもしれないが・・・


現実として

解り易く解説できる専門家が
他にいないから

彼ひとりに仕事が集中するのである。


普段なら

見向きもしないような専門的な話。


旧来の教育テレビなどで

同じテーマの番組を組んだとしても、
大した視聴率は稼げないだろう。


では、池上氏の話は
特別面白く構成されているのだろうか?



小難しいテーマであるにも関わらず、
視聴者の興味を惹きつける・・・


率直に言って、

その手腕は、 素晴らしいと思う。


だが、本当は・・・


視聴者の方が
知りたがっているのではないだろうか・・・


よく耳にするけど、

意味が解らない言葉。


理解出来ればいいなあと、思っている事。

モチロン、こんな時代であるから・・・


その気になれば、

インターネットで
簡単に調べることは出来る。


だが・・・調べはしない。


いや・・・調べたとしても

おそらくは理解できないだろう。


誰にでも解るように話をする。


それは・・・


想像するよりも

はるかに難しい。


難しい話を、簡単にする。


たった、これだけのことで・・・


池上氏は

数多くの仕事を手にしているのだ。


私達は、

簡単にすることの重要性を

学ばなくてはならない。


そして、

シンプルに本質を表現するべく、

努力を続けなければならない・・・


省みて・・・


自社に魅力が無いのではなく、
解り易く伝える技術が

不足しているのかもしれないと・・・

振り返ってみて欲しい。


更に・・・


直感的に・・・


自社を、自分自身を、理解されるように・・・





「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

台風5号崩れにより、凄い雨でした・・・


さて・・・3ヶ月ぶりでしょうか・・・m(_ _)m


商売も・・・


恋愛も・・・


基本的には、

人と人との関係性で成り立っている。


故に、共通点も多い。


共にベースとなっているのは

『好き嫌い』という感情と・・・


『損得』という勘定との・・・


駆け引きだ!



それは、

理性と欲求との葛藤みたいなもので、

どちらが優先されるのかは人によって違うし、

環境によっても変化するんだろう。

まあ、普通に考えれば・・・


恋愛は

『好き嫌い』という感情


商売は

『損得』という勘定・・・が、

優先されそうなものだが・・・


実際には

その通りにならないのが

人間の面白いところだろう。


恋愛を損得で考えるなど、
そんな計算高いヤツは

最低だと考えてしまいがちだが・・・


人間の行動は

そんなにシンプルには

出来ていないのだ・・・きっと。

例えば・・・


借金があるとか、

相手が浮気っぽいとかいう場合・・・


それは

私にとっての『損』だとも言えるし・・・


故に

『嫌い』なのだという感情の問題だとも言える。


理屈と心情を

スッパリ境界線で区切ることは難しい。


境界線は

常にグレーゾーンだ!!


だが、そうは言っても・・・


この二つは、

同じものではない。


やはり・・・


人間は理性と欲求で

常に葛藤している動物なのだ。



どちらを優先するのか?

という判断の基準は・・・


その

置かれた環境によって

大きく変化する。


大好きなのだけれども、

先の見えない不安定な人と結ばれるのは、
今自分が置かれている経済状況、

家庭環境からは許されない。


感情よりも、勘定を、

優先せざるを得ないケースは

多々あったはずだ。


感情を優先するためには、

物理的な余裕というものが

不可欠なのだ。


それは・・・


商売においても同じで、
経済的に余裕が無いときには

少しでも安いもの、得なものを

無条件に選ぶ傾向にある。


では・・・


現在のように先が見えない、
物理的にも、精神的にも、

余裕の無い環境においては、

人間は
『好き嫌い』よりも

『損得』を優先して

相手を選ぶのだろうか??


その答えは・・・


YESでもあり・・・


NOでもある。 たぶん・・・


恋愛においても、

商売においても、

その判断基準は

現在、
『好き嫌い』と

『損得』とが混在している。


おそらく・・・


自分でも、

どちらを優先するべきなのか
明確にはできないのだろう。


それは・・・


今という時代が

先の見えない不安を抱えていると同時に・・・


かつて無いほどの

物質的豊かさを兼ね備えているからだろう。


条件で選ぶのか・・・


感情で選ぶのか・・・


今ほど

その基準が曖昧な時代は

きっと無かっただろう。


そして・・・


その基準が

曖昧になればなるほど、
恋愛と、ビジネスとの境目も・・・


きっと、無くなっていくのだ。


『損得』と

『好き嫌い』の絶妙なバランス。


それが
あらゆる人間関係においての

キーワードとなるだろう。


好きというだけで、愛されることも・・・


得だというだけで、買ってもらうことも・・・


どちらも難しい時代だ。


ただし・・・


恋愛と、ビジネスとでは、

決定的に違うことが一つある。


それは・・・


『選ぶ理由』と、

『選ばれたい理由』が
一致しているか、どうかだ。


選んで欲しい理由と、

相手が選ぶ理由・・・


恋愛という場面において、

それは

必ずしも一致している必要が無い。


だが・・・


これがビジネスとなると、

その「一致」は、何よりも重要だ!


相手が、

どういう理由で、

自社あるいは、

自社の商品を選んでいるのか?


それを把握していないと

次の手を打ち間違えてしまう。



商売においては、

選ばれること以上に
選ばれ続けることが重要なのだと思う・・・

今日この頃です。

$「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」



仕事が上手く回り・・・

突然大金が入ったり・・・

貯金が増えたりした時に・・・

人は、どうしていいのか
解らなくなるという話を聞きます。

勿論、私の場合・・・

残念ながら・・・

相変わらず・・・

そんな話はトンと縁がありませんが・・・orz。


私自身、
大金を扱う事に慣れていない為か、
借金が減ったり・・・

残高が増えたり・・・

良かれと思ったお金の使い方が、
イマイチ・・・

先に繋がっていないかなあ・・・

などと感じる時があります。


そして、
お金に余裕がなくなってくると・・・

また必死になって稼ぎ、
残高が増え・・・

良かれと思って使ったお金が
先に繋がらず・・・・

そんな事を
繰り返しているような気がします。


決して、
使ったお金の全部が全部無駄金になった訳では
ありませんが・・・

いつも振り返ってみて、
もっと上手い使い方が出来たんじゃないかと
考えてしまいます。


必死の時は
お金の使い方の判断力が冴え・・・

余裕が出てくると
判断力が鈍ってしまう???

それは、
性格や
育てられた環境も
影響してくるのかも知れません。

そんな
サイクルを繰り返して・・・

様々なお金の使い方を経験し、
感覚を養うものでもあると思いますが・・・

そもそも・・・

良い状況下におけるお金の使い方と
悪い状況下におけるお金の使い方には
どんなポイントがあるのでしょう???


端的な答えとしては・・・

人それぞれ。

個体別なんでしょう。


これに関しては、
私も数々の失敗をしてきました。

失敗というのは、
投資に見合う効果が
得られなかったという意味です。

ただし、
その経験によって
私のスキルは向上しました。


経営とは・・・

お金を稼ぐことだと、
思われがちですが・・・

私は
違うと思います。


経営の順序は・・・

いつも
お金を使うところから始まります。

まず、
資金ありき。


資金が無ければ・・・

資金を創る事から・・・始まります。


その資金を
人材や商材など、
何らかの資産に変え・・・

それを
またお金に変える。


最初のお金よりも
増えていれば利益が出るし・・・

減っていれば損が出る。

言い訳の入り込む余地は
ゼロです。


お金→お金以外の何か
→お金→お金以外の何か→ ~

このサイクルのスタートは
いつもお金です。

つまり、
経営とはお金を稼ぐことではなく、
お金を増やす為に
お金を使う事だと思っています。


そして、
お金の使い方が上手くなる為には・・・

実際にお金を使ってみて、
損をするしかないとも思います。


大切なのは・・・


明確な目的意識と・・・

何故、
それが上手くいかなかったのかという
振り返り。

何も考えずに
お金を使っているだけでは・・・

永遠に
上手くはならないでしょう。


実際に損をした中で
私が学んだことを記します。

・人が使わないところに使うべき

・他社が消極的、競争が少ない時に行うべき

・失敗を織り込んで投資するべき

というものです。


自社の状況が
良い時・悪い時という基準で考えれば・・・

・状況が良い時には、稼げるだけ稼ぐ

・状況が悪い時には、お金を使って攻める

ということになります。


上手くいっている時の方が
攻めやすい気がしますが・・・

こういう状況での投資は
失敗する可能性が高いような気がします。笑


まあ・・・結局。


投資のルールは
人によって異なるという事です。

自分の性格や
向き不向きを考えて、
しっかりと意思決定すべきだと
思っています。



$「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」



何という事は無いのだが・・・

2月は
一件もブログの更新を出来なかった。

確かに手元が煩雑ではあったが、
あれから一年・・・という時間を
反芻していたような気がする。

さて・・・

そんな中で・・・

無いと困るものと、なくても困らないもの。

世の中にある総てのものは、
このどちらかに分類される。

但し・・・

その境界線は、

人によって・・・

時代によって・・・

あるいはシーンによっても変化する。


例えば・・・

生きていく為に
無いと困るものとは何か。

水、食料、衣類、住居、薬、などが
思い浮かぶのではないだろうか・・・

それでは・・・

これらについて、
無いと死んでしまうかと言えば・・・

必ずしも、
そうとは限らない。

衣類や住居などは、
無いと困るが・・・

無いからといって、
死んでしまうというものでもない。

そう考えると・・・

命に関わるほど、
必要不可欠なものというのは、
想像しているよりも
ずっと少ないのだろう。

あると便利だが、
無くても、死にはしない。

実は・・・

世の中にあるものの大半は、
このカテゴリーに属しているではないだろうか。


では・・・

そういうものは・・・

無くなっても、
本当に生きていけるのだろうか。

物理的には、生きていける。


つまり・・・

生存する事は、可能なはずだ。


だが・・・

現実には、
生き残れる人は少数だろう。


砂漠やジャングルではなく、
その気になれば
水や食料を手に入れる事が
出来る環境であったとしても・・・

私達、現代人の大半は
生き残ってはいけないだろう。


一度、文明に馴染んでしまった私達が・・・

原始人の暮らしに適応する事など、
そうそう簡単に出来る事ではない。


スグに
生死にかかわるわけではないが・・・

これが無いと、
もう生きていけないくらい困る。

そういうものが、
私達、
現代人にはたくさんあり・・・

なおかつ、
時間と共に増え続けている。

暮らしが、
豊かに・・・便利に・・・なっていけば、いくほど・・・

「無いと困るもの」は、増え続けていくのだ。


例えば・・・

エアコンや自動車、携帯電話などは・・・

無いと生きられない、
というものではないが、無いと非常に困る。

しかし・・・

これらの商品が登場した当初は・・・

必需品ではなく、
嗜好品に分類されていたはずだ。


無くても困らないけど、あったらいいな。


そんな贅沢品が・・・

時間の経過と共に、
必需品へと変わっていくのである。


総ての商品やサービスは・・・

嗜好品から、
必需品へという道筋を辿る。


「あったらいいな」から
「無いと困る」へ。


それでは・・・

この
二つのカテゴリーは・・・

どちらの方が、
高く売れるのだろうか。

無いと困るのだから、
必需品の方が高く売れるはず。

そう考えてしまいそうだが、
実際には・・・


「無いと困る」商品は、
安い値段でしか売れない。


例えば・・・

空腹を満たすための食事と、
彼女の誕生日を祝うための食事。

どちらに、
より多くのお金を払うだろうか。


寒さを防ぐ為の衣料と、
お洒落をする為の衣料ではどうだろうか。


そう・・・

無いと困る「生活必需品」に、
人はお金を払いたがらない。

それは・・・

欲しいという
「自分の意思」ではなく・・・

必要に迫られるという
「外部要因」が、引鉄となっているからだ。


更に・・・

必需品は
ある量までは作れば売れるので、
市場に商品が溢れかえっている。

そう考えていくと・・・

私達、中小企業は・・・

必需品を
作ってはならないという事になる。


無いと困るものではなく、
無くても困らないものを作る。


必要だから
買うのではなく・・・

欲しいから
買うという選択をして貰う。


フト、そんな事を考えていた日々なのです。