昨年2012年10月1日に、
ISOの新しいマネジメント規格ISO 39001
(道路交通安全マネジメント、要求事項及び利用の手引き)が発行されました。

道路交通安全(Road Traffic Safety)を略してRTSとも表記されています。
環境や品質のマネジメント規格が普及し、
労働安全衛生マネジメントシステム
(OHSAS18002:2000年発行、OHSAS18001:2007年改訂)も加わり(注参照)、
マネジメント規格の内容はよく知られるようになっており、
39001では、名正運輸が世界初の認証取得を取得したと報じられています。

国内における運輸安全マネジメントは、
鉄道、道路などの運送事業者向けですが、
ISO 39001は、道路交通事故の削減を目標とした規格であり、
対象組織として、重大な道路交通事故の直接の加害者だけでなく、
交通事故の削減に係わる全ての関係者が対象になっており、
営業用車両だけでなく
自家用車両をはじめ、自動車メーカー、道路管理者や設計・施工業者、
荷主企業も含まれている点に特徴があります。

この対象組織の幅広さは、
既存の交通事故対策が、速度規制、ヘルメット着用、シートベルト着用、
アルコール・薬物対策、交通安全施設などの基盤整備、自動車の安全対策など、
多岐にわたっていることを反映しています。

ISO 39001審議のISO/TC241の議長国はスウェーデン、
日本の規格審議団体は、独立行政法人 自動車事故対策機構です。

TC241のメンバーは、40ヶ国と
世界銀行、WHO(世界保健機構)等14の国際機関を含んでいます。

また、マネジメント規格の開発にあたっては
ISO/IEC業務用指針
『Directives, part 1, annex SL, chapter 8 – Guidance on the development process
and structure of an MSS(management system standard)』を用いた、
共通の定義・手法が適用されています。

同指針には、PDCA(Plan Do Check Action)サイクルの10項目が含まれています。

特に計測可能な交通事故要因となるパフォーマンス要因を定め、
その改善を評価する内容は、実務的な改善の促進に大きく貢献すると思われます。

国内の運輸安全マネジメントも含めて、
安全対策に対する関係者の一層の取り組みを期待したいものです。

資料:ISO規格は日本規格協会の下記サイトから購入できます。
   http://www.webstore.jsa.or.jp/webstore/top/index.jsp

注:OHSASは、Occupational Health and Safety Assessment Seriesの略で、
  英国規格協会等を含む国際コンソーシアム規格です。
  他方、和訳は同じ名称となっていますが、
  ILO(国際労働機関)の OSHMS(Occupational Safety and Health ManagementSystem)
  があります。
  国内ではILOのガイドラインに準拠した厚生労働省の
  「労働安全衛生マネジメントシステムに関する指針(OSHMS指針)」
  (平成11年労働省告示第53号。平成18年改正)があります。
  詳しくは、中央労働災害防止協会の下記サイトをご覧下さい。
   http://www.jisha.or.jp/oshms/about01.html
今年は寒いですね・・・

娘と息子がサッカーをやりたいと言った。

サッカーをやりたい。

どこかでやりたいと・・・


何しろ私はFootballJunky。


メチャメチャ嬉しい。

が、しかし・・・

だからこそ・・・強制したくない。

普通なら、自分の親でなければ、
私に相談することなど絶対に考えられない。

何しろ私はFootballJunky。苦笑

だが相談された以上、私も考えなくてはならない。

サッカーをやっていくために
どこが良いのか、ということを。

Footballの才能や技術に関しては
ずーっと喋り続けられる。

だが・・・

良い選手に共通するものは
知力、体力、センス。

果たして・・・

客観的に「親」でいられるだろうか。

サッカーをやりたいという相談は初めてだが・・・

本を書きたい、会社をつくりたいという相談ならば、
今までにも、たくさん受けたことがある。

そして、
そこにはひとつの共通項があると思うのだ。

いいサッカー、いい音楽、いい本、いい会社、
そこに共通するのは「メッセージ」だ。

そのFootballや、
音楽や本、会社に触れたときに感じる
強烈なメッセージがあるか否か。

それが・・・全ての始まりなのだと思う。

フォーメーションやFootballの技術は
そのメッセージを伝えるための
手段に過ぎない。

文章の上手さや
経営のスキルも同じだ。

Football、音楽、本、会社。

それらは
単なる媒体でしかない。

そこには
発信したいメッセージがあるのか!?!

つまり・・・

それを創った人間が、
社会に対して投げかけたいメッセージを
持っているのか、
どうかが重要なのだ。


メッセージとは
自分の中に秘めた思い。

その思いが
どんどん大きくなっていくと、
発信せずにはいられなくなる。

そのとき、
目の前にあるものが
音楽ならば音楽を通じて・・・

あるいは
Footballというゲームを通じて・・・

本や会社という媒体を通じて・・・

社会に
自分の思いをぶちまける。

ぶちまけられた思いが
共感を生むものならば、
それはいいチーム、いい音楽、いい本、いい会社として
多くの人々から支持されるだろう。

だが、往々にして・・・

最初から共感を呼ぶことを
目的に作られたメッセージには力がない。

メッセージは
心の叫びでなくてはならないのだ。

チケット、音楽や本を売るための手段として
メッセージを利用したとしても、
受け手の側にはバレてしまう。

偽物のメッセージは
あざとく、鼻につき、白々しい。

本物のメッセージが
共感を呼ぶのは・・・

受け手の側も
少なからず心の叫びを抱えているからだ。


心の叫びは、心の叫びと共鳴する。


それは、音叉のように。


片方の心の振動が
もう片方の心の振動へと共鳴するのだ。

結局・・・

社会へのメッセージとは
人間、一人ひとりへのメッセージでしかない。

社会を意識したメッセージは
誰の心にも響かない。

反対に・・・

たった一人に向けて紡がれたメッセージが
多くの人々の共感を生む。

世界的ベストセラーになった「星の王子様」は、
ナチスの虐待に苦しむ、
たった一人の友人を励ますために
書かれたメッセージなのだ。


心の叫びは
目の前の小さな疑問から生まれる。

当たり前のように進行している日常。

繰り返される毎日。

その常識に
「なぜ?」という疑問が湧く。

どう考えても納得がいかない。

理不尽である。

だが・・・

そう感じているのは
自分だけなのか。

いや、違う。

本当はみんな感じているはずだ。

可怪しい・・・と。

だが・・・

みんな黙って、やり過ごしている。

面倒だし、
何の得にもならないから。

言われたとおり、
決められたとおりに生きた方が楽だから。

だが、自分には
そんな生き方はできない。

お前は間違っていると、
どんなに周りの人から言われようとも
納得できない。

自分の生き方は
自分自身で決めるべきなのだ。

その結論に達したとき、
人は発信せずにはいられなくなる。

だったら発信すればいい。

サッカーでも、音楽でも・・・

文章でも、事業でも、・・・


自分が、もっとも得意とする方法で
発信すればいいのだ。

ただし・・・

それは、
共感を生むことや
ヒット曲・ベストセラーをつくることが
目的ではない。

自分自身の・・・

心を解き放つことが
本当の目的なのだ。

・・・今日は固め打ち。笑

フェルマーの最終定理やら・・・

ダ・ヴィンチ・コードやら・・・

読んだ時に解ったんですが・・・

ニュートン・・・

そう・・・

万有引力というのは、凄いですよね。


離れていこうとする地球を
太陽が引きとめている。

太陽という存在がなければ・・・

地球は
宇宙をさまよい続けるしかない訳です。

そして
地球の重力も凄い。

地球は
大気を引きつけ・・・

人間や・・・車など・・・

地上にある全てのものを
地面にへばりつかせている。


私たちは
地球の中心方向に、
常に引っ張られて
生きている訳です。


ジャンプすると・・・

飛び跳ねているように感じますが・・・

実際は・・・

「地球の中心から離れようとして、また引き戻された。」

という状態な訳です。


高いビルから飛び降りたら
死んでしまいます。

私たちは・・・

「落ちた」

という表現を使いますが・・・

正しくは・・・

「強烈に引き戻された」

と言うべきですね。苦笑


高いビルに登るということは、
地球の中心から遠ざかるということです。

それは・・・

地球から離れようとする行為で、
高く登れば登るほど、
地球を裏切ろうとしているように
見えるのかもしれません。

アホですね・・・

だから・・・

高いところから落ちると
死んでしまうのです。

???

まあ・・・二階くらいだったら、
死にません。笑


そのくらいは
地球も大目に見てくれるのです。

アホです。
スイマセンm(__)m・・・


そう考えると・・・

重力は
地球の愛なのかもしれません。

あるいは
嫉妬とも言えます。


宇宙に飛んでいかないように
引き止めてくれている。

と同時に・・・

私たちの自由を
束縛しているのです。 笑


私たちは
地面にへばりついてさえいれば・・・

水平方向には
自由に動くことが許されています。

しかし・・・

垂直方向は、いけません。

それは・・・

地球への反抗・・・と、
取られても仕方のない行為なのです。ww


ロケットが
宇宙に飛び立つ時・・・

私たちは
「ワアー」と、歓声を上げます。

あれは・・・脱出の喜びなのでしょうか。

そのとき・・・

地球は
怒りまくっているのではないでしょうか。

だからこそ・・・

大気圏を出るのには・・・

あんなに
巨大なエネルギーを必要とするのです!?!


バンジージャンプは、どうでしょう。

あれは地球、
怒ってますよ・・・きっと。

高い所から、飛び降りて・・・

地球に
思いっきり、
引き戻されそうになっているのに・・・

地面にぶつかる手前で・・・

ビヨ~ンと・・・止まるのですから。


「なーんちゃって」・・・

と、地球を騙しているようなものです。笑


でも・・・

足にゴムひもをつけているんだから・・・

結局は
地球とは離れられない訳で・・・


だから・・・

地球も
大目に見ているのかも知れませんね。



地球は
決して私たちから
手を離さない。

不自由に見えるけれども・・・

宇宙に飛び出したら、
生きていけない私たちを
地球は守ってくれているのでしょう。

危ない所へ行かないように。

そっと・・・手をつないでいるのです。


やはり・・・

愛とは
束縛することなのかもしれません。


相手には
決して気づかれないように・・・


でも、力強く・・・


そっと・・・


お粗末様でした・・・m(__)m 笑

欧米諸国を中心とする、
全ての先進国にかげりが見え始める中・・・

中国やインドを中心とする新興国は
発展の一途をたどっている。

これは・・・

いったい、どういうことなのだろうか。

ただ単に・・・

「主役の交代」が起こっているということか。

それとも
人類全体を巻き込んだ
「何か」が進行しているのか・・・

今、何が起こっているんでしょうか・・・

まず、日本を含む先進国では
例外なくデフレが起きている。

人件費の安い新興国に生産拠点が移り、
モノの値段が下がった。

仕事が激減した国内では
国民の年収が下がり、
安いものしか売れなくなった。

消費が減り、
企業の業績が悪化し、
社員の年収が下がる。

更に消費が減り、
更に業績が悪化し、
更に年収が下がる。

この
終わりなきデフレスパイラルが・・・

かつて、
人件費の高かった先進国の中では
起きている。


いっぽう・・・

新興国では、
これと反対のことが起きている。

人件費の安い新興国には
生産拠点が増えてゆき・・・

国民の仕事も増える。

生活が潤う。

企業は利益を上げ・・・

更なる生産拠点の拡大や
新しい技術への投資を行う。

ただ単に、安いだけの製品が、
安くてよい商品へと変化してゆき・・・

世界中で支持を集めて
売れ続ける。

更なる利益が生まれ、
更なる投資力をもった新興国は
更なる発展を繰り返す。

国民の年収は増え続け、
物価は上がり続ける。

先進国とは
まったく逆の
インフレスパイラルが起こるという訳だ。

では・・・

この・・・
正反対の特徴を持ったスパイラルは、
いったい、
何時まで続くのだろうか。


収入も・・・物価も・・・
まったく変化しない世の中。

それは
つまらない世の中なのかもしれない。

なにしろ・・・

同じことの繰り返しが
延々と繰り返されるだけなのだ。

では・・・

収入と物価が
5%ずつ上がり続ける世の中はどうだろうか。

結果的には
何も変わらないのと同じことなのだが・・・

脳は
成長と・・・変化を・・・
感じるだろう。

反対に・・・

収入と物価が
5%ずつ下落し続ける世の中はどうだろうか。

こちらも
結果的には何も変わらないのだが・・・

私たちの脳みそは
衰退というイメージを抱き続けるだろう。

先の見えない不安と・・・閉塞感。

まさに
今の日本がこの状況である。

片や、
全てが上がり続ける新興国と・・・

片や、
全てが下がり続ける先進国。

この先・・・

この関係は
どうなっていくのだろうか。

普通に考えれば・・・

いつかは
新興国の人件費は上がり続けて
先進国と変わらなくなるはずだ。

日本人の収入が
欧米諸国に追いついたように。

では・・・

新興国の人件費が
先進国に追いついたらどうなるのだろう。

また・・・

新たな新興国が生まれてくるのか。

だが・・・

中国やインドほどの労働人口を持つ国は
他にはない。

仮に出てきたとしても・・・

その新興国の人件費も
いつかは高騰するはずだ。

かつての私たちのように。

そして
現在の中国のように。

同じ仕事をしているのに
給料が違う。

これは
同じ国の中では
許されないことだろう。

男女による
収入の格差が問題になっているように。

だが・・・

国が違えば
その理不尽なことが
成り立ってしまう。

日本人は
給料が高いから、
中国人を雇おう。

そのような発想が・・・

この状況を招いたのだ。

だが・・・

いずれは・・・

国を越えても
「同じ仕事は、同じ収入」というルールに・・・

自然と近づいていくのだろう。

そして
インフレも
デフレも
無くなるかもしれない。

安定しているけど
変化のない世界。



間違いなく・・・

そこに
向かっているような気がする。


世界は・・・

無意識に
それを望んでいるのだろうか・・・( ´ー`)y-~~
資本主義が
何を意味しているのか。

利潤を追求するのは
何のためか。

ふと・・・冬の午後に考えてしまいました。

私は学者ではありませんし、
大企業の経営者でもありません。

無責任な私の能書を・・・


まず・・・

私は資本主義が
向かうところ敵無しであるとは思いません。

むしろ・・・

市場経済にも限界が来ているなあと感じます。


人件費の安い国へ仕事が流れていく・・・


欧米→日本→中国 と流れてきた経済発展は、
最終的に、どこに落ち着くのでしょうか・・・


人件費の高い欧米から、日本へ。

日本よりも、人件費の安い中国へ。

そして、東南アジアへ・・・

なぜ?日本の人件費が上がったのか。

それは・・・

労働者の収入が増えたからです。

利益が出たら、
労働分配率も高めねばならない。

そうしないと・・・

他の会社に
優秀な社員を取られてしまいます。

更に・・・

労働分配率を上げないと
消費が増えません。

だから・・・

いつかは
人件費が上がるのです。

いずれ・・・

東南アジアやインドでも、
人件費は高くなります。

反対に・・・

デフレが進んでいる欧米や日本では
人件費が下がります。

これは・・・

いつか再逆転するのでしょうか???


そして・・・

必要以上にモノが溢れる。

資本家が
最大の利益を享受できるのは、
数の優位性が有効に働くからです。

大きな工場を建て・・・

大勢の人を雇い・・・

大量に物を仕入れて・・・

大量に販売する。

そうすれば・・・

価格競争力が生まれ・・・

大きな利益を
生み出すことが出来る。

でも・・・

永久には、続きません。

そう・・・

モノが溢れてくるからです。

物が足りなければ・・・

消費者は
買わざるを得ない。

しかし・・・

大量生産する会社が増えれば
モノは余り出す。

企業はより安く・・・

より良いものを
提供しなくてはならない。

新しい技術、
新しいアイデアを出し続けたとしても・・・

競争は
激化するばかり。

利益は、減り続ける。


そして・・・

豊かさは、格差でしか測れない 。


労働者全員の
給料が増え続ければどうなるか。

消費が増え・・・

経済は発展するが・・・

物価は上がり続ける。


給料が10%増えて
物の値段が10%上がった状態と・・・

給料が10%減って、
物の値段が10%下がった状態と・・・

いったい、何が違うのだろう???


まあ・・・

下がるよりは
上がる方が気持ちがいいので・・・笑

どちらも
3%くらいずつ
上がっている状態がよろしかろう。

しかし・・・

実態は
何にも変わらないのではないか???

もしも・・・

世界中の人が
一人残らずお金持ちになるか・・・

あるいは・・・

物の値段が下がり続けて
何不自由ない、
という状態になったとしよう。

たぶん・・・

誰一人、
大きな家は建てなくなる。

なぜならば・・・

掃除をしてくれる人が
いないからだ。

全員が
豊かになってしまったら・・・

自分のことは
全て自分でやらなくてはならない。


生産性が上がり・・・

世界中の人件費が均衡し・・・

情報も・・・流通も・・・

限界まで、
発展したとしよう。

どの企業の、

技術にも・・・

人件費にも・・・

競争力にも・・・

大きな差がなくなる。


そうなったら・・・

すべての企業の利潤は
限りなくゼロに近づく。

差がないのだから、
限界まで値段を下げるしかなく・・・

赤字にならない
ぎりぎりまで価格が下がれば・・・

企業の収益は、ゼロに近づく。


結局は・・・

どこで働いても
同じ給料で・・・

どこの企業も
利益が出ない状態。


実際に・・・

そういう未来が訪れるかどうかは、
解らない。

だが・・・

自然の力学は・・・

間違いなく
そこに向かっていくだろう。

川の水が、
高いところから低いところへ
流れていくように。

その時・・・

先行者利益を抱える人間は
どこまで抵抗するのだろうか???


誰一人、
生活に困らなくなったら・・・

お金持ちだというだけでは
誰も手伝ってはくれない。

「あんたは嫌いだから、パン一切れ10万円だよ~」

なんて・・・言われる時代が
来るかもしれない。

・・・嫌われないようにしよう!苦笑


日本では場の空気が読めないと
「KY」などといって馬鹿にされる。

だが、一方で・・・

「KYで何が悪い、日本人は空気を読みすぎなのだ!」

と主張する人もいる。

確かに・・・

人の顔色ばかりを気にしていたら
建設的な会話など、出来ないのかもしれない。

まあ・・・

良いか悪いかという議論は
とりあえず・・・置いておいて・・・

大事なのは
空気を読むという行為、
そのものなのだ。

「場の空気を読む。」

これは・・・

日本人が編み出した
「特別な能力」ではないかと・・・

私は勝手に考えている。

狭い島国で・・・

和を重んじるという
聖徳太子の教えを守るためには、
相手の気持ちを察するという能力が
必要不可欠だったのだろう。

人種や国籍というよりも、
この日本という場所が「場の空気を読む」という
独特のムードを求めているような気がする。

アメリカで生まれ育った日本人よりも、
日本で生まれ育ったアメリカ人のほうが
場の空気が読めるという事実が、
それを証明している。

いや・・・

日本生まれ、
日本育ちの生粋の日本人でも・・・

何年間か海外で過ごすうちに
場の空気を読まなくなる。

きっと・・・

読む必要がなくなるのだろう。

そして・・・

こいつらは
なんて気が利かないのだろうという思いが、
自分の心から完全に消え去ることはない。


場の空気を読むというのは・・・

ただ単に
「相手が口にしていないことを察する」
ということではない。

顔は笑っているが、
本当はつまらないんだろうとか・・・

早く切り上げて、
家に帰りたいのだろうとか・・・

相手の心理を察知することは
モチロン重要なのだが・・・

それだけでは
場の空気を読んだとは言えない。

場の空気というのは・・・

その場にいる人たち全員が
創り出しているものなのだ。

いわば・・・無言の約束事。

口には出さないが、目配せで・・・
「つまんない話だよね、ほんとうに・・・」

という共感が生まれるとき、
それが場の空気となる。

つまり・・・

場の空気は
「つまらない」なのだ。

にもかかわらず・・・

同じ話題を話し続けたり、
その話題に突っ込みを入れて、
話を長引かせたりすると・・・

「場の空気が読めない」

という烙印を押されてしまうことになる。


口には出さないが
その場にいる
大多数の人が感じているであろうこと。

それが
場の空気の正体だ。

そして・・・

日本人は
ことさらそれに気を使う。


言いたいことや、
言うべきことは、きっちりと主張する。

というのが
世界の人々のコミュニケーションの基本だ。

たとえ・・・

その場の空気を乱してしまったとしても。

そして・・・

「反論しない=相手の主張が正しいと認めた。」

というような理解をされてしまう。

だから・・・

日本人は国際的な場面で
もっと主張するべきだと言われている。

だが・・・

私の意見は、チョット違う。

いずれ・・・

世界の人々は、
もっと場の空気を読むようになる。

そんな風に考えている。

そうなると・・・

「主張したものが勝ち」という
従来の国際ルールは、
変化するのではないだろうか?

どんなに正論を主張しても・・・

どんなに素晴らしい寄付をしても・・・

その裏側に見え隠れする
「いやらしさ」を
人々は感じるようになるからだ。

日本人は、主張が足りない。

せっかく
ODAで大金を使っても評価されない。

などと・・・言われている。

しかし、途上国への援助を
これ見よがしに主張するほど
いやらしいことはないと思うのだ。

テレビやインターネットが世界中に普及し、
それぞれの主張が溢れかえったとき・・・

人は情報を選別できなくなるだろう。

そうなった時・・・

世界の人々は
自分の感性で、好き嫌いを判断するようになる。

誰が素敵な人で、
誰がいやらしい人か???

どの国が立派な国で、
どの国がいやらしい国か???

主張ばかりする国と・・・

黙々と正しい行いをする国。


どちらが好意をもたれるのかは
明白だと思うのだ。


「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


たぶん・・・


好みの問題なのでしょうが・・・


私は、タクシーが好きではありません。


特に・・・


私は、スピードを出すタクシーが嫌いです。

タクシードライバーの皆さん!


御免なさい m(__)m


モチロン、

素晴らしいドライバーも沢山います。


けれども・・・


今までの経験から・・・


怖いのです。




もちろん、

目的地に早く着くという努力は

必要だと思います。


でも・・・そのためには、

道選びのプロにならなくてはいけません。


高速か・・・


一般道か・・・


抜け道か・・・


この時間は、

一般道の方が早いとか・・・


少し遠回りになるが

時間が短縮できる方法を心得ているとか・・・


もの凄くややこしい抜け道を

熟知しているとか・・・


そういうことが、

プロフェッショナリズムだと思うのです。


急いでいるのか、どうか。


料金と時間の

どちらを優先するのか。


そのくらいは

最初に聞いてもいいと思います。


私の場合・・・


余程、

急いでいるときを除いては、
時間は気にしません。

何よりも、

乗り心地を優先して欲しいと思います。


にもかかわらず・・・


早さは全てに優先すると
勝手に思い込んでいる運転手さんが多いのです。


でもそれは・・・


顧客への思いから来ているのではない、
といつも感じるのです。


急発進したり・・・


カーブでスピードを落とさなかったり・・・


ギリギリまで、

スピードを落とさずに急ブレーキをかけたり。


そんなことをして、
いったい何分時間が縮まるというのでしょう。


荷物は転がるし・・・


気分は悪くなるし・・・


乗り心地は、最悪です。



そして何よりも・・・


その運転は

顧客のために

トバシテイルのではないということ。

ただ単に、

気が短いから・・・そのような運転をしているのです。


私は、乗り心地を優先したいので、
あまりにも飛ばそうとする運転手さんには

ハッキリ言います。


「すみませんが、

 急いでいるわけではないので
 ゆっくり運転してください」と・・・


すると・・・


ほとんどの運転手さんは

凄く嫌な顔をします。


せっかく親切で

急いでやっているのになんだよ!


俺は

トロトロ運転することなんかできないんだよ!


お前みたいなやつがいるから、

道路が渋滞するんだよ!


・・・とでも、言いたげです。


(モチロン、そんなことは言って来ませんけど・・・)


そして・・・


ゆっくり運転して欲しいと言っているにもかかわらず、
結局は・・・荒っぽい運転に戻っていくのです。


彼らは

乗り心地のいい運転など

できないのでしょう。


それは・・・

技術というよりは

性格の問題です。



気が短くて怒りっぽい。


それは、乗客にとって

非常に迷惑な話です。



この間も・・・こんなことがありました。


左前方を走っていた車が

車線変更して・・・


私の乗っていたタクシーの前に

入ろうとしたのです。


それは・・・中年の女性が

運転する車でした。


ウインカーを出して、

ゆっくりとタクシーの前に入ってきます。


結構、距離も開いてましたし、
入れてあげればいいと思うんですよ。


でも・・・そのゆっくりとした運転が

気に入らなかったのでしょう。


タクシーの運転手は、

スピードを上げて
進入を阻止しようとしました。


でも、結局・・・阻止することは

できなかったんです。


結構、

距離が開いていましたから・・・


猛スピードで

距離を詰めていたタクシーは・・・


女性が

運転する車のギリギリまできて、

急ブレーキをかけました。


私は、

前の座席にぶつかりそうになるのを

何とかこらえましたが・・・


もう、

よれよれの状態でした。



進入を阻止できなかった運転手は
不愉快極まりないという形相で・・・前方を睨み・・・


これ以上出せないくらい大きな・・・

「っち」という舌打ちをしました。


そして、振り返って・・・


私に、こう言いました。


「すいませんねお客さん。

 本当に、どうしようもないですね・・・
 女のドライバーっていうのは・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



私には・・・


返す言葉も・・・


ありませんでした。



彼の心を要約すると、

こういうことです。



「あなたのために、

 全力で侵入を阻止しようとしましたが
 駄目でした。

 その代わりに、

 思いっきりビビらせてやりました。
 100デシベルくらいの『っち』もぶつけてやりました!」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



恐ろしいほどの

コミュニケーションギャップです。



ビビったのは彼女の方ではなく・・・


私の方ですし・・・


100デシベルの『っち』も

私の脳みそに響いていました。



・・・コノギャップハ、ドウヤッタラ、ウマルノダロウ・・・



イライラと・・・


諦めと・・・


想定外のリアクションに・・・


「なんだかなあ~orz。」


そんなコトバだけが、

反響していました。





「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」
 


商品は何か?


・・・という質問こそが、企業活動の根源であると

ドラッカー博士は言っている。


そして、

多くの経営者とドラッカーのズレは・・・

ここから始まる。

商品=製品という図式が

頭の中に定着してしまっているからだ。


商品は「電卓」です。


その答えは間違ってはいないのだが、

それではビジネスにならない。


もしも・・・電卓を作っている会社が

世界に一社しかないのであれば、
答えは、それでもいい。


だが・・・現実には・・・


電卓を作っている会社は

数え切れないくらいあるわけで・・・


電卓を作り続けている・・・というだけでは

ビジネスが成り立たないのだ。


それは、

どういう電卓なのか?


重要なのは、そこからだ。


どこよりも安い電卓なのか・・・


どれよりも便利な電卓なのか・・・


あるいは・・・


疲れない電卓?なのか・・・


今日!届く電卓なのか・・・


早く打てる電卓なのか・・・


つまりは・・・付加価値がポイントなのだ!


計算が出来るという以外に、

どんな機能があるのか。


商品=機能・・・であるという図式で考える経営者は、
付加価値を高めることに知恵を絞る。


 

だが、付加価値というのは
いつまでも付加価値であるとは限らない。


付加価値にも賞味期限がある。


同業他社が

その付加価値を真似るようになるからだ。


他の製品に無いものが付加されているから、

付加価値なのであり、
どの商品にも付いている機能になった途端に・・・


それは

付加価値ではなくなる。


付加価値であり続けるには・・・


他社が

真似できないものを付加するか・・・


新しいものを

付加し続けるか・・・の、どちらかしかない。



しかし、今の時代・・・


余程、

特殊な特許でもとらない限り、
真似のできない機能など作れないし・・・


新しい機能を

付加し続けることにも限界がある。


機能が少ないときには

消費者は機能の付加を求めるが、
ある一定以上の機能が付加されると
消費者は、もうそれ以上求めなくなるからだ。


使いこなせない上に、
ほとんど必要の無い機能ばかりが

増えていっても意味がない。


画質がちょっと綺麗になったり、
電気代がちょっとお得になるくらいで、
わざわざ家電製品を買い換える人など

滅多にいない。


それが、現実なのだ。


 

では、私たちは

何を売るべきなのだろうか???



商品そのものでは

差別化が出来ず・・・


安売りにも限界があり・・・


機能やサービスという付加価値も

飽和状態になっている。


だとしたら・・・


商品を提供する側から見た差別化は、

もう限界まで来ているのだろう。


うちの会社と、同業他社とは、

ほとんど何も変わらない。


それが、

大概の経営者の正直な気持ちなのではないか。


だが・・・

心配することは無い。


他社との違いは

消費者が見つけてくれるものだからだ。


商品(機能・サービス・値段)が

変わらないにもかかわらず、
消費者は、その違いを見つけてくれる。


では・・・

その違いとは、何なのだろう?


それは・・・

考えても解らない。


なぜならば・・・


消費者も

考えて選んでいるわけではないからだ。


消費者は、心で選んでいる。



商品は同じなのだけれども、

なぜかそこで買いたくなる。


心が欲する。


それは、好きだから。


その店が・・・


その会社が・・・


その商品が・・・


そこで働く人が。


損得は、

頭で考えれば

誰でも同じ答えが出る。


だが・・・

好き嫌いは、人によって違う。

誰に、好かれたいのか?


どう、好かれたいのか?


それこそが、

商品を決める正しい質問なのだと思う・・・




「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

あんまりにも

サボってしまいましたので・・・


書ける時に書いておこう!などと、

小市民的な行動パターン・・・


さて・・・


この間、美学について

ふと、考える機会がありました。


男の美学とは、何か?


という、

質問に答えるためです。


そもそも・・・


美学に

男女の違いがあるのだろうか?


私は

ある!と思います。


美学には・・・


人としての美学。


男としての美学 。


女としての美学。


などなどetc・・・が、

あるのではないでしょうか。


いや、もっと他にも・・・


大人としての美学だとか・・・


日本人としての美学だとか・・・


経営者としての美学なんてものも

あるのでしょう。


美学など無いという人も

いるのかもしれませんが・・・


大概の人は、

自分なりの美学らしきものを持っていて・・・


それは・・・


いくつかの美学が

合わさったものではないかと思うのです。

私の場合は・・・


人としての美学・・・


日本人としての美学・・・


社長の美学・・・


漢の美学・・・


Footballerとしての美学・・・


などなどが複雑に・・・入り混じっている訳です。


美学とは・・・


則ち、

あるシチュエーションにおいて発動する・・・


特別な

判断基準のことだと思うのです。


普通、

常識的には、こういう判断はしない・・・


あるいは、

普段ならば、自分はこういう判断はしない・・・


だが、このようなケースにおいては、

美学が全てに優先される・・・ というようなことです。


損であろうが・・・


危険であろうが・・・


失敗することが解っていようが・・・


やらない訳には、いかない!!


それを

選ばない訳には、いかない。


・・・そうしないと、

自分は気持ちよく生きていけない・・・

堂々と生きていけない・・・


漢として、生きていけない・・・


そういうものだと、思うのです。



では・・・


人それぞれ、

色々ある美学の中で、

重要なのはどれか???


あるいは、

どの美学を優先するのか???


人としての美学。


これは、とても重要です。


これがなかったら、

生きている価値がないとも言えますし・・・


そもそも、

周囲の人に、

迷惑をかけることにもなります。


社長としての美学も、きっと重要でしょう。

自分ひとりだけの問題ではないからです。


社員の人生や、

経営そのものに

影響を与えることになります。


しかしながら・・・


私自身が

どの美学を最終的に優先するかといえば、
間違いなく漢の美学だと思うのです。


モチロン・・・


いつもいつも 、
男の美学が優先されるわけではありません。




経営者としての美学や・・・


人としての美学が、

優先されることの方が多いでしょう。


でも、どうしても・・・


どちらも譲れない状況になったとき・・・


私は・・・


漢の美学を取ってしまうような気がするのです。


たとえ・・・


経営者としての自信を無くしても・・・


人として、

生きていく気力を無くしたとしても・・・


漢としての誇りだけは、

失いたくないなと・・・


そう思うのです。


漢として生きたい・・・


というよりも、

男として死にたい。


そんな感じです。



女性からは

「バッカみたい」と

言われてしまいそうですけど。。。苦笑


ところが・・・


そこまでして、

守りたい男の美学って何なの?


・・・って聞かれたら、困るんですよね。



プライドみたいなものとは

チョット違うんです。


手放すわけにはいかない、

損な役回


例えば・・・


もの凄く寂しい状況や・・・

孤独な人生。


どうしようもない不安や・・・恐怖。



そういったものを・・・


もしも・・・


最終的に・・・


誰かが

抱えなくてはならない状況になったとき・・・


その役回りを

引き受けられる自分であるという事。


随分前ですが・・・


チリの炭鉱では

33人全員が助かりました。


もしも・・・


全員助かることは

ほぼ不可能だという状況だったとしたら・・・


最後の一人になったのは

誰だったのでしょう???



私は・・・


やっぱり、

あの現場監督だった気がします。


では・・・


彼は、

人としてそうしたのか?


あるいは、

監督として、その責任を果たしたのか?


・・・・・・


・・・いや、

やっぱり私は、漢として・・・


彼は最後まで

残らないわけには

いかなかっただろうと思います。


それが・・・

漢の美学というものだと・・・


私は、思うのです。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


気がつけば・・・


3ヶ月もサボってしまいました。


謹んでm(__)m


さて・・・


これでいいのか!?!と云うことを・・・


「間違いだらけの反対語を教えていること。」


試験で点を取るために、

間違った答えを書き続けたことで・・・


これでいいのか!?!と云うことが・・・


『成功』の反対は『失敗』で・・・


『強い』の反対は『弱い』で・・・


『好き』の反対は『嫌い』である・・・???


学生時代なら、答案を埋めるために

ホイホイと条件反射していたろうが・・・


「失敗しなければ、成功するのか?」


「強くない人間は、みんな弱いのか?」


「嫌われなければ、好きになってもらえるのか?」


モチロン、

答えはNO!である。


嫌いじゃない人など、世の中にいくらでもいるが、
その全てを好きであろうはずがない。

失敗しなければ、成功するというのであれば、
端から何もチャレンジしなければいいのである。


学問を学問として教えることには

もちろん意味があると思う。


そうやって科学は進歩してきたのだから・・・


だが!もしも学校というものの目的が
社会で役立つ人材を育てることなのであれば・・・


もう少し、

現実の社会というものを取り入れたほうがいいだろう。


社会とは、

学問ではなく、

人間の心理で成り立っているのだから・・・



社会には、一つの答えがない。

これをやれば、

必ずうまく行くという正解など存在しない。


なぜならば、

社会とは人間の集まりに他ならないからだ。


そして・・・


人間の心理というものは、常に変化している。


去年欲しかったものが

今年も欲しいとは限らないし・・・


子供の頃、嫌いだった食べ物が
大人になって好物になることだってある。


同じような女の人ばかりを

好きになることもあるし・・・


まったく違うタイプを

好きになることだってある。



それが

人間というものなのだ。



社会は

人間で出来ており、

人間には決まった答えなどない。


ということは・・・


当然、その反対語も存在しない。


これが

紛れもない真実なのだ!!


だが・・・


小さなころから

反対語を刷り込まれている私たちは・・・


社会において、

致命的な間違いを犯してしまう。


例えば・・・


多くの経営者は、
失敗しないことが

何よりも大事だと考えている。


失敗しない経営=成功する経営、

という図式が刷り込まれているからだ。


この刷り込みは

学校教育の場だけでなく、
先代や先輩経営者によっても行われている。



こういう間違いだけは・・・

犯してはならないぞ! という言葉が、

社訓として残っていたりするからだ。


もちろん、

社訓自体が悪い訳ではない。


問題なのは・・・


失敗しなければ、成功すると、

刷り込まれてしまっている脳みその方なのだ。


反対語の刷り込みによって
私達の思考は

単純化してしまった。


二者択一のパターンが

身についてしまった。


本当は、

反対の意味を持つ言葉など、

いくらでもあるのだ。


「みんなが好きなもの」の反対は
「みんなが嫌いなもの」であるとも言えるし・・・


「私が好きなもの」であるとも言える。


そして、

現実の社会においては・・・


「みんなが好きなもの」など、

存在しない。

「私の好きなもの」や

「私の嫌いなもの」があるだけだ。


さらには・・・


「私が好きなもの」と

「私が嫌いでないもの」とは
まったく別ものなのだ。


答えを一つに決めることも・・・


その反対語を定義することも・・・


現実社会においては

何の意味も、もたない。



大切なのは

自分にとっての『答え』を見つけることだ!



「自分にとっての成功とは、何なのか?」


「自分にとっての失敗とは、何なのか?」


「自分にとっての幸せとは、どんな状態なのか?」


「自分にとっての不幸とは、どんな状態なのか?」


自分自身にとっての【答え】を見つけることだ!!!


答えは

対極的なものではない。


失敗と成功・・・


好きと嫌い・・・


善と悪・・・


幸福と不幸・・・


そもそも・・・


現実の社会において、

それらは反対語ではなく・・・


まったく違う意味の

言葉なのだから・・・

自分自身にとっての

本当のANSWERを見つけよう・・・