もしも・・・
小説を書くとしたら・・・
SF小説を書いてみたい。
例えば、
高橋克彦さんの「竜の棺」のような・・・
有川浩さんの「塩の街」のような・・・
壮大な妄想と終わらない問いかけを
後の世に残すのだ。
そう考える反面、
自分では絶対に書けないだろうとも思う。
SF小説は・・・
あまりにも多くの制約で成り立っているからだ。
もちろん、
恋愛小説や推理小説ならば書けるというわけではない。
どれもこれも・・・
簡単に書けないことは同じなのだが、
SF小説は、まったく別の意味で難しい。
小説が・・・
どのように分類されているか、
よくは知らないのだが・・・
私の勝手な分類において
SF小説は、
人間と何かの間に起こるドラマだ。
それ以外の小説は・・・
人間同士が生み出すドラマ。
あるいは・・・
人というものを
深く掘り下げた思想や哲学が基盤となっている物語。
自分の中に深く深く入り込んでいって、
人間の正体を突き止める。
これはこれで、
なかなか難解な作業だと思うのだが、
SFは違う意味で難しい。
SFは他の小説とは
まったく逆のアプローチで成り立っているように見える。
人間の中に入り込むのではなく、
人間を起点として、
外へ外へとイメージを広げていくのだ。
他の分野に比べれば・・・
SF小説の方が、
ずっと制約が少ないので、
より自由な物語を作れると感じている人は
多いかもしれない。
例えば・・・
推理小説で、
犯人が透明人間でしたとか・・・
幽霊でした・・・などということになると、
読者は怒り出すだろう。
犯人は普通の人間、
しかも登場人物の中にいなくてはならない。
そうでないと、
推理小説にはならないからだ。
それに比べると・・・
SF小説はルールが緩い。
宇宙人でも・・・
地底人でも・・・
超能力者でも・・・出したい放題だ。笑
出したい放題、作りたい放題で、
自由極まりない。
だがそれは、
何でもありという意味ではない。
ただ単に、自由の範囲が広いだけだ。
フィクションは架空の物語で・・・
ノンフィクションは真実の物語。
では、サイエンスフィクションとは何か???
それは・・・
科学のルールに縛られない、
架空の物語ということになる。
やっぱり、
何でもありじゃないかと思うかもしれないが、
これが実際に物語を考えてみると
厄介なのである。
科学のルールに縛られない小説。
それは、すなわち・・・
科学の常識に縛られてはいけない小説であるとも言える。
科学の常識をひとつも踏み外さないものは
SFとは言えないからだ。
では反対に・・・
科学の常識を
完全に逸脱したらどうなるだろう。
これもやはり、
SFとは言えないのである。
科学のルールに縛られないということは、
何でもありということではない。
なぜならば、
全ての制約をなくしてしまったら、
ストーリーにはならないからだ。
例えば・・・
刺されても死なない人間が出てきて盛り上がるのは、
人間は刺されたら死んでしまうという
制約があるからだ。
「普通は死ぬのだけれど、
この人は、これこれこういう理由で死なない」
という・・・面倒な前置きがあって、
初めてSFのストーリーは成り立つのである。
宇宙人であるとか・・・
超能力者であるとか・・・
クモに刺されたとか・・・
何かが必要なのだ。
何の前置きも制約もなく、
いきなり科学のルールを無視してしまうと、
それはストーリーにはならない。
SF映画を見て
「なんかつまらない作品だったな」
・・・と感じる場合、
それは想像力に欠ける作品であることよりも、
ルールを無視しすぎて
現実味がなさ過ぎる作品であることのほうが多い。
あり得ない話であるにもかかわらず、
制約が必要なのがSFなのだ。
科学のルールを必ずどこかで破りながらも、
基本的には
科学のルールに基づいて創られなくてはならない。
そう考えると・・・
会社の経営も
SF小説に似ているのかもしれない。
どんな商売をやっても自由なのだが・・・
やはり、そこには制約がある。
そして・・・
何を制約にするのかによって・・・
いい作品にも・・・
悪い作品にも・・・なってしまう。