私は共産主義者ではないが、
資本主義的経営とはつまるところ搾取ではないのかと、
考えずにはいられなかった。

億単位の年収を取っている経営者の中には、
確かに
その年収に見合うほどの仕事をしている人もいる。

だが、そのほとんどは・・・

経営者であるという立場によって
収入を得ている人たちだ。

労働による収入ではなく、
権利による収入。

実際・・・それこそが、
「金持ち父さん」が標榜する
成功のイメージなのではないのか。

働かずに、高収入を得ることこそが、
資本主義経済における究極の成功者なのだと・・・

しかし・・・

とても違和感が・・・

社員の生産性を高め、
出来るだけ高い労働分配率で、
払える限りの給料を払う。

その結果、社長よりも
給料の高い社員が現れてくるかもしれない。

だが、それこそが
社長の目指すべき究極の姿なのだと、
考えるようになった。

その結果・・・組織は機能しなくなった。


一代で大企業を築き上げるような、
偉大な経営者から見れば、
何とバカなことをするのだろうと
笑われてしまうだろう。

だが、
私は試さずにはいられなかった。

何よりも・・・

搾取の無いシステムこそが
究極なのだと信じていたのだ。

若かったのか・・・

バカだったのか・・・

その両方なのか・・・苦笑

いずれにしても、私はやってしまった。

そして・・・

それが間違っていることを確信した。


リーダーは全ての労働者から
搾取しなくてはならない。
(搾取という言葉が適切ではないだろうが・・・)


特に・・・

よく仕事ができる稼ぎ頭からは、
たくさん搾取しなくてはならない。

それが、
私の行き着いた結論である。

一生懸命に働いて、
出来るだけ多くの成果を上げる。

その成果を下回る給料しか、
リーダーは与えてはならない。

それが
リーダーの仕事なのだ。

自分が出した成果よりも
少ない報酬を得る。

そうすると、そこに余りが出る。

その余りの積み重ねが
会社の蓄えとなり、再投資の原資となり、
働いた人の増収となり・・・社会の貯金になるのだ。

考えてみれば、当たり前の話だが・・・

全ての人類が、
働いた以上の報酬を受け取ると、
社会の貯金がどんどん無くなっていく。

働いたとおりの報酬だと、社会の貯金は増えない。

社会の貯金を増やすためには、
受け取った報酬以上の労働を積み重ねるしかない。


社会の貯金とは何か???。


それは、
橋や道路であったり、
学校・病院であったり、
その他様々な施設やシステムだ。

もしも・・・

我々の祖先が
労働に見合う収入を
受け取り続けていたならば・・・

今現在の社会には、まったく貯金が無く、
橋も、信号も、ビルも、消防署も・・・

何もかも無い状態だったと思うのだ。

それは、
現在の日本を見てみればよく解る。

国民のほとんどは、
払った税金以上の見返りを求めている。

もっと年金を・・・

もっと安心を・・・

もっと充実した社会保障をと・・・

損をしないことに躍起だ。


払った以上に受け取れるのなら、得。

払ったものよりも、受け取りが少ないのならば、損。

だから払いたくない。


それが国民の心理だろう。

だから、この国の財産は、
減り続けているのである。


こんな私が言うのもなんだが・・

国のトップは
国民からもっと搾取しなくてはならない。

搾取することが悪いのではなく、
問題はその使い方なのだ。

搾取したものをトップの懐に仕舞い込むのなら、
それは本当の搾取である。

だが、
それを社会全体の貯金にすれば、
社会はどんどん豊かになっていく。

リーダーとは、
嫌われながらも社員から吸い上げ、
それを会社の豊かさに変える人。

国民から吸い上げ、
社会の豊かさに変える人なんだと思う。

この豊かな国を冷静に眺めていると・・・

私たちの先達が、
いかに偉かったのかを実感できる。

適切な搾取を望む・・・笑


食料の自給率を上げる、
という事について・・・

そろそろ、
その本質を考えた方がいいのではないかと、
強く強く思うのです。

セクショナリズムの強い人たちに、
「会社全体のことを考えろよ」なんて言いますよね。

だって・・・

会社が
なくなってしまったら・・・

その部署だけが
どんなに素晴らしくても意味がない。

会社が無くなって、
部署だけが残るなんて事、あり得ないわけですから。


同様に・・・

国がなくなってしまって、
地方都市だけが残ることや・・・

農業だけが残ることなど、
あり得ない訳で・・・

「国全体のことを考える」

ということは・・・とても大事なことなのです。


つまり・・・

「農業を犠牲にしてでも、国全体の利益を考えろ!」

と、言いたい訳ではありません( ̄ー+ ̄)キラリ


そろそろ「日本の自給率」などという、
意味の無い指標は忘れようよと、
言いたいのです。

皆さんは、どう思いますか?

世界が無くなって、
日本だけが残るなどということが、
ありえると思いますか。

私には
滑稽に思えてなりません。

なぜ、
日本人の自給率を高める必要があるのですか?

それは、
外国から食料が入ってこなくなったら大変だから。

まあ、
そういうことですよね。

では、
東京都の自給率は、高めなくてもいいのですか?

新宿区の自給率はどうですか?

他の都道府県から、
食料が入ってこなくなったら、飢え死にですよ。

でも、そんなことはあり得ない。

そうですよね。

それは
同じ日本人だからですか。

あるいは
法治国家だからですか。


なぜ、
東京のど真ん中でコメを作らないのか。

それは、
適していないからです。

効率が悪いのです。

それぞれの地域・・・

それぞれの人間には・・・

適正というものがあります。

だから・・・

それに応じて
役割分担しているのです。

一人で
生きていくのは大変です。

一人で
食料を調達し・・・

一人で
調理をして・・・

一人で
着る物を作り・・・

一人で、家を建てる。


掃除洗濯だって・・・

娯楽だって・・・

全部一人で
自給自足しなくてはなりません。

こんな
大変なことはないですよねえ・・・。

だから・・・

人間同士は、役割分担をしている。

家族の誰かが食料を調達し、
他の誰かが子育てをする。

料理が得意な人は、料理を。

裁縫が得意な人は、裁縫を。

そうやって、支えあいながら・・・

人類は
豊かな生活を手に入れてきたはずです。

家族というユニットから、地域というユニットへ。

そして国という、大きなユニットへ。

そのユニットが、大きくなるたびに・・・

得意分野は、細分化されていきます。

そして・・・

その細分化が
みんなの生活を、より豊かにするのです。

だって、そうでしょう。

イメージして下さい!

もしも、家族だけで、
役割分担しているのだとしたら・・・

そこには・・・

野球選手や、歌手などという役割は、
生まれませんよ。

「バカ野朗ー!、歌なんか歌ってないで働け!」

ってなことになるわけです・・・笑。


役割分担する人数が増えること・・・

それは
ニッチなスペシャリストを生み出すことにもなるし・・・

より、正しい・・・向き、不向きが適用され、
人々の豊かさを押し上げることにもなるでしょう。


東京のど真ん中で農業をするのは
効率が悪い。

それと同じ理屈が
世界の中の日本という地域で
適用されているのです。

地域だとか、国だとか、
そんな、みみっちいことを言ってないで・・・

世界全体・人類全体で、
役割分担すればいいんじゃないですかねえ・・・。

人類全体の適材適所で、いいじゃないですかねえ・・・。

日本人の自給率?

それと東京都の自給率に
どれほどの差があるって言うんですかねえ・・・。

我が家の自給率なんて、
イマドキ・・・誰も考えませんよねえ・・・。

やはり大事なのは
「人類の自給率」だと、思うんですよねえ・・・。


それを
最大化する方法を・・・

その役割分担を・・・

人類みんなで、考えればイイんじゃないですかねえ・・・。

同じ、日本人同士じゃないですか。

同じ、人間同士じゃないですか。

信じあいましょうよ。


他の国の人間よりも
自分家のネコの方が信用できるなんて、
どうかしてますよ。

人間が飢え死にしているのに
鯨や白熊を守るのだって、
どうかしてます。

日本の経済だとか・・・

日本の安全だとか・・・

日本の自給率だとか・・・

主語がもう古い。  小さすぎです。


日本から、世界へ、
主語を変えなくてはならないでしょう。

それが
グローバル化だと思うのです。

ユニットに参加する人間の数が、増えること。

それは
人類の豊かさに
間違いなく直結しているのです。


人間は、社会的動物である。


一人では、
ライオンどころか
牛や猿にも勝てません。

社会という集団で
役割分担をしているからこそ・・・

人間は
他の動物を凌駕することが出来るのです。


人間なんて・・・

素晴らしい、社会的動物なんだと思うんです。




20年物のワインや・・・

30年物のウイスキーは、何故美味しいのだろうか。

それは「自然の摂理」の匂いがするから・・・

と言ったら
チョット嫌な気分になるだろうか。

酒に限らず・・・

私たちは
腐敗した食べ物を好んで食べる。

納豆、チーズ、お漬物、などなど。

もちろん・・・

私たちは
そのような食べものを「腐敗」とは呼ばない。

「発酵」という言葉に置き換えて、
おいしそうなイメージを作り出している。

だが・・・

その基準は曖昧で、
結局のところ・・・

人間の価値基準によって
使い分けられているに過ぎない。

人に役立つ食べ物を生み出すのが
発酵であり・・・
食べられないものを生み出すのが
腐敗である・・・と。

肉に至っては、
腐る直前が一番美味しいとされている。

腐る直前・・・

すなわち
人間が食べてもおなかが痛くならない程度に
腐っているのが「発酵」ということになる。

それ以上発酵させると
人間の体には害を及ぼすから「腐敗」ということになる。

だが・・・

例えば、他の動物にとって・・・

それは腐敗ではなく、発酵であるのかもしれない。

現にハイエナは
腐った肉(人間から見れば)を食べる。

いや、人間であったとしても
「腐敗」と「発酵」の境目は
人によって、
まちまちなのではないだろうか。

そう考えると・・・

賞味期限や消費期限などに
いったい、
どういう意味があるのだろうかと考え込んでしまう。

太古の昔から賞味期限が存在していたら、
きっと今現在、
存在していない食べ物もたくさんあるはずだ。

納豆も、チーズも・・・

ヨーグルトも、干物も・・・

単なる
賞味期限切れの食べ物ということに
なっていたのかもしれない。


結局、
どんな言葉で置き換えてみても・・・

私たちは
腐敗という現象を
受け入れて生きているということなのだ。

腐敗とは
すなわち自然に帰ることであり、
それを美味しく感じるという、
私たちのメカニズムには、きっと意味があるはずだ。

多分・・・???

体は、発酵(腐敗)した食べ物を欲している。

それは、
もっとも自然に近い状態であるからではないのか。

だが一方で・・・

私たちは
腐敗と戦いながら生きていることも事実だ。

それは、
体に良くない腐った食べ物を
摂取しないということだけではなく・・・

例えば、
老化を防ぐためのアンチエイジングとか・・・

あるいは
単純に虫歯にならないための予防だとか。

体が老化することも・・・

虫歯が出来ることも・・・

それは、
人間が自然に帰るためのステップであるともいえる。

けれども・・・

私たちは
そこに徹底的に抵抗して生きている。

老化せず、病気にもならず・・・

出来ることなら 新品のままの・・・

まっさらな肉体を、
永久に保持したいと願っている。
(せめて、腫れの凹んだ・・・苦笑)

車が錆びることも・・・

家具が劣化することも・・・

服がボロボロになることにも・・・抵抗したい。


だが、その一方で・・・

程よい錆び方だとか・・・

使い込まれた家具だとか・・・

色褪せて穴の空いたジーパン・・・などを
私たちは好んで使う。

それは、やはり・・・

自然な状態に
限りなく近いという事実が生み出す、
安心感なのではないだろうか。

私たちは
心のどこかで腐敗(自然に帰結すること)を求めながら、
腐敗に抵抗して生きている。

虫歯や病気と闘い・・・

老化に抵抗し・・・

さびない金属を生み出し・・・

その一方で、
腐る直前の食べ物を欲する。

古民家住宅を好み・・・

年代物のウイスキーに、心を震わせたりもする。



「腐敗を求め」

そして・・・

「腐敗への抵抗」



30年物のウイスキーは、
人工であるにもかかわらず、自然の香りがする。


自民党よりはましだろう。

そういう国民の総意から誕生した民主党政権も、
今は昔・・・

アベノミクスバブル!?!のおかげで、
その存在そのものも
いよいよ
限界に来てますね。

民主党総理達は
確かに頼りなく・・・

そして
上辺だけのように感じてしまいました。

が、しかし・・・

それは何も、
民主党の責任ではないのです。

もう、いい加減・・・

気がつかないといけないのです。

ハッキリ言いましょう。

どの党が政権を握ろうが・・・

誰が総理になろうが・・・

大きな変化はしません。

それは・・・

国民が求めているものが
「自分たちの豊かさ」だからです。

老後の心配とか・・・

社会保障とか・・・

景気だとか・・・

そんなものを求めている限り、
誰が総理大臣になっても同じです。

この国の予算には、限界がある。

そして、それは・・・どんどん減っていく。

誰が考えても、当たり前の話です。

「もしかしたら自民党が
 とんでもない無駄遣いをしているのではないか・・・」

そういう考えから、
民主党が選ばれ、事業仕分けを行った。

その結果、解ったことは・・・

「大した無駄遣いはしていなかった」

ということです。

何かに予算を増やすためには、
何かを削らなくてはならない。

結局、国民の誰かが、痛みを伴うのです。

誰が政権を担当したところで、
この事実に変わりはありません。

皆に公平に・・・難しすぎます。


もういい加減に・・・

ありもしない予算を取り合うのは
止めにしましょう。

政治家は
予算配分を決める人たちであって・・・

お金を運んでくる人たちではありません。
(もちろん、外国の政治家が営業活動熱心なのは事実ですが・・・)

社会保障の予算を増やすためには、
税金を上げるしかない。
当たり前の話じゃないですか。

年金問題・・・

社会保障・・・

外交、経済対策・・・

それらの80%以上は、
誰が政権を担おうと同じ結果になると思うのです。

実際、変えようがありますか?

社民党が政権を握ったら、
沖縄から基地が無くなるのですか?

増税無しに
予算をどこかから運んでくるのですか?

いくら野党とはいえ、
出来もしないことを言うのは止めてほしい。

国民が混乱するだけです。


私は、最近よく思います。

首相公選制って出来ないものだろうか・・・と、

直接自分たちの手で、総理大臣を選ぶのです。

そもそも・・・

国のことを真っ先に考えないといけない国会議員が、
選挙に勝つために地元のことばかりを優先する。

そして・・・

その地元の代表が
選挙で総理大臣を選んでいるのです。

そのような選ばれ方をした人が、
国家の利益を最優先に出来るはずがない。

結局は・・・

議員の顔色を見ながら
玉虫色の政策に落ち着かせるしかないのです。

私たちは
なぜ選挙に行かないのか。

それは、
誰を選ぼうと変化が無いことを
感じ取っているからです。

自分の選挙区から立候補する人のことを
あなたは知っていますか???

そのほとんどは、
見たこともない人のはずです。

知らない人の中から選ぶことなど
できないのです。

でも・・・

もしも・・・

総理大臣を決める国民投票があったら、
あなたは選挙に行くはずです。

この国の代表を
たった一人だけ選ぶ。

その人に国を託す。

そうなれば、
必ず国民は選挙に興味を持ちます。

選んだ人に責任も持ちます。

一年くらいかけて
立候補者の考えを国民に伝えればいいじゃないですか。

その中から
国民が自分たちの代表を選ぶ。

選ばれた総理は
しがらみなど関係なく、内閣の人事ができます。

まさに・・・政党を超えた適材適所。

国民が
ビートたけしを選んだらどうするか?

いいじゃないですか。

それが
国民の総意なら解りやすい。

国民は
そんなにバカではない。

ただ・・・

責任の無い選挙ばかりやらされているので、
責任感が希薄になっているのです。

正直に言って・・・

政策の八割以上は、
誰が総理大臣になっても変わりはしないでしょう。

いや、変えようが無いのです。

それよりも大事なのは残りの10~20%!

国民を豊かにする方法は
誰がやっても変わりませんが・・・

国民を明るくする方法や、
国民をやる気にする方法は、
誰が総理になるかで、大きく変化するでしょう。

豊かな国とか、最小不幸社会とか、
当たり前のことは、もう言わなくていいです。

それを願わない人が、いるはず無いですよね。

そこは出来る限り頑張るとして、
大事なのはそれ以外なのです。

「●●の国、日本!」

この●●に入る言葉を候補者が掲げる。

つまり・・・

日本のアイデンティティーです。

そして、
それを国民が選ぶ。

解りやすいと思いませんか!?!

こだわりの国でもいいし・・・

お笑いの国でもいいし・・・笑

世界平和を願う国でもいい・・・

要するに・・・

チョットくらい景気が悪くても、
国民がグッと来るビジョン。

世界一豊かではないけど、
世界一グッと来る国!!!!!!!

なんか、素敵じゃないですか。


良心という言葉がある。

人間が、
何か悪い事をしようとする時・・・

それを止めてくれる、
心の声のようなものだ。

違法な事はモチロン・・・

ズルい事や・・・

卑怯な事をやろうとすると・・・

「ちょっと待て」と忠告してくる。

「本当にそれでいいのか?」

「お前は後悔しないのか?」

「大事なあの人を裏切ってもいいのか?」と・・・

問い質してくる。

この心の声のお陰で・・・

してはいけない事を・・・

人間は結構な割合で
思い留まってきたのではないだろうか。

もしも・・・

人間に良心というものが無ければ、
世界は、
もっと滅茶苦茶になっていたかもしれない。

ところで・・・

この「良心」とは、
いったい何なのだろうか。

DNAに刷り込まれた
遺伝子レベルの情報なのか・・・

あるいは・・・

後天的な
教育や環境によって芽生えるものなのか。

やっていい事と・・・

いけない事・・・

この二つの境目を
私たちは
どうやって切り分けているのだろう???


法律・・・

校則・・・

社則・・・

そういう
ルールに従うときには、
人間は頭で考えるものだろう。

これは
ルール上OKなのか・・・

あるいは
そうでないのか・・・

ルールに沿って考えれば、
自ずと答えは明らかになる。

だが・・・

ズルイ事や・・・

卑怯な事・・・というのは、
人によって
その境目が異なるし、
明確なルールがあるわけでもない。

これを
どう切り分けるのかが、
人間に果たされた命題なのだろう。


本能と理性。

この2つの言葉を使う時・・・

私達は
本能を悪者として捉えることが多い。

物欲や性欲などの「本能」を・・・

グッと押さえ込むのが「理性」であると。


だが・・・

本能の中には
母性本能のように、
他者への保護や労りに結びつくものもある。

本能のままに生きる事が
善なのか・・・

あるいは、
悪なのか・・・

もしも・・・

本能に従って
全ての行動を是としたら・・・

社会は
もっと良くなるのだろうか???

あるいは・・・

破壊されつくされ、
崩壊してしまうのか???

少なくとも・・・

人間以外の動物は、
本能に従って生きている。

そして・・・

秩序を保っている。


人間だけが
本能に従えないのは・・・

何故か???

もしも・・・

この宇宙に、
ルールや秩序を
司っている神がいるとしたら・・・

それは・・・

本能そのもの、
なのではないだろうか。

本能に従って、生きていれば・・・

全ての生き物は、
秩序を乱すことなく、
与えられた役割とポジションを
全うする事ができる。

そんな・・・気がする。

だが・・・

人間には、
それができないだろう。

どう贔屓目に考えてみても・・・

人間が
本能のままに生きていく事が
秩序の維持に繋がるとは思えない。


人間にも・・・

本来は
正しい本能が
備わっていたはずだ。

心の声・・・

それに従っていれば、
秩序は保たれていた・・・はずだ。

だが・・・

人間は、覚醒してしまった。

自我が芽生え・・・

自分の頭で、
判断するようになった。

そして・・・

本能が
少しずつ退化していった。

そう考えると、
非常に辻褄が合う。

自分で考えて・・・自分で判断する。

それは、ある意味で・・・

本能という神への、裏切りかも知れない。

いや・・・

神からの、自立なのかも知れない。

自立した結果・・・

本能からの
メッセージが届かなくなっていく。

だが・・・

それでは、秩序が保てない。

そこで・・・

人間は、
理性という「自作自演の神」を創り出したのだ。

・・・本能の赴くままに。

それは・・・

本能に
100%従って生きていた時にだけ、許された事。

本能から自立した私達は・・・

本能に沿って生きる事が許されない。

本能から
正しいメッセージを受け取る事が出来ない。

だから・・・

頭で考え、自分自身で、
答えを出し続けるしかないのだ。

良心とは、本来・・・

本能に近いものであったのかも知れない。

だが・・・

時代の流れと共に、
それは
理性に近いものに変わっていく。

いや・・・変わらざるを得ないのだ。

何が、正しいのか。

何が、正しくないのか。

やっていい事と・・・やってはいけない事。

時代が進むほどに・・・

その答えを ・・・

自分達で
考えなくてはならない割合が増える。

いつか・・・

完全に
本能から解き放たれ・・・

理性だけで
生きていくようになった時・・・

人間は
存在に足る生き物でいられるのだろうか???

その答えを決める分岐点に・・・

昨今の私達は立ち・・・所在無く・・・

困惑っているような気がする。

月曜の朝は
雪がチラつきましたが・・・

東京では最近、
ずっと天気がイイですね。


晴れ渡る青い空。

寒いけれど、
心がスッキリしますよね。


でも、空を見上げていると、
なんか不思議な気持ちになるのです。



空ってなんだろう?って。



空って・・・何だと思います?


要するに
「地球から見た宇宙」のことですよね。


アニメでは
宇宙と書いて「そら」って読んだりもします。


夜、星空を眺めていると、
宇宙を見ている気になります。


でも、昼間に見上げるのは・・・


ヤッパリ・・・宇宙というよりは、空です。


雲が浮かんでいるからでしょうか?

???今日は雲も見当たらない・・・(^-^)


雲はやっぱり、
宇宙ではなく、
空に浮かんでいますよね。


ということは・・・


途中までが空で・・・

どこかから・・・宇宙になるのでしょうか。


大気圏あたりで、
空が宇宙に変わるのでしょうか。

???

雲を見上げる時と・・・

空を見上げる時。


似ているけれども・・・

見ているところが・・・チョット違います。


空を見上げる時には・・・

雲よりも、
もっと、ずっと遠くを見上げている。


吸い込まれるように青い空。


それは・・・

最早、空ではなく、宇宙なのです。


それが・・・

宇宙であることは、冷静に考えれば解る。


でも・・・

私達は・・・

ヤッパリ・・・

宇宙ではなく、空を見ている。


ずっと、昔からそうだし・・・

これからも、きっと、そうなのです!


海は、
確実に存在するけれども・・・

空は、
曖昧にしか、存在しない。


物理的には、非常に曖昧な存在。


でも・・・

私達にとっては、確実に存在するもの。



愛とか・・・

勇気とか・・・

そんなようなものに・・・

空は、近いのかもしれません。


そこに、
存在するのかどうか、
ということよりも・・・

そこに、
存在すると、
感じることが大事なのです。

ブルース・リーみたく・・・(^-^)笑


世界が、存在するから・・・

私達が生きているのか・・・

あるいは・・・

私達が、
生きているから・・・

世界は、
存在するのか・・・


そんなことを考えているうちに・・・


日が暮れてきちゃいました・・・。

今日は、フットサル行ってきます(^_-)-☆

秋葉原の空は、とても穏やか・・・

昨日、安倍総理の所信表明演説がありました。

自信と誇りを持って・・・

イイですね。

さて・・・

就職できない人が溢れ出し、
日本人の給料が
下がり続けたらどうなるのだろう。

そのときは・・・

日本が新興国になるから問題はないのだと、
先日ある経営者の方が言っておられた。

???

なるほど、
そうなのかもしれない。

???

確かに・・・

様々な分野で後れを取り始めた日本だが、
ものづくりへのこだわりや技術力では
圧倒的に進んでいる分野がいくつもある。

法人税を下げることによる国際競争力の強化は
必要不可欠だろうが・・・

何と言っても、
最大の足枷になっているのは
人件費の高さだ。

法人税率が同じで、人件費も同じならば・・・

日本は
圧倒的に強い生産大国へと甦るだろう。

まあ、もちろん・・・

中国人の年収と
日本人の年収が同じになる日が・・・

そう簡単に訪れるとは思えない。

だが、現実として・・・

日本人の年収は
ここ何年も下がり続けているのに対し・・・

新興国の人々の年収は、上がり続けているのだ。

その先には・・・

いったい、
どういう未来が待っているのだろう???


アメリカに次ぐ、
世界第二位の経済大国というポジションを、
日本は長きに渡って守り続けてきた。


そして、ついに中国に抜かれた。

2025年にはアメリカも、
GDPで中国に抜かれると予想されている。

そもそも・・・

10倍近い人数がいる国に、
総生産量で勝ち続けるということに
無理があるような気がする。

先進国における、
国民一人当たりの生産性は確かに高い。

ハイパフォーマンスを生み出す、
環境と技術がそろっているからだ。

だが、それは、
何も先進国だけの特権ではない。

技術は、
かつてないスピードで国境を越え、
世界に広がっている。

先進国以外の国における、
国民一人当たりの生産性は・・・

この先上がり続けることだろう。

そうなった時・・・

先進国と新興国の境目は
無くなってしまうかもしれない。

いや、今でも・・・

その境目は曖昧なのだ。


先進国も新興国もない世界。


そこに人類が近づいていくのは
とても自然なことのように思える。

どこの国の人間なのかということに関係なく、
仕事ができる人は、
高い報酬を得ることが出来るし・・・

仕事ができない人は、
低い報酬しか手にすることが出来ない。


それが一番、
マトモなのではないかと感じてしまう。


この国を
何とかしなくてはならない。

そういう思いを
たくさんの日本人が抱いているのだと思う。

だが・・・

この国だけを何とかすることなど、
最早、出来ない時代なのではないだろうか?

人類全体が
豊かになることを考える。

その結果・・・

日本人の生活は、
もっと豊かになるかもしれないし・・・

今までのようには、
豊かでなくなるのかもしれない。

だが・・・

それは
避けようのない道なのだと感じる。


地域の代表として選ばれる国会議員は、
本当は、地域の利益よりも
国家の利益を優先させなければならない。

なぜならば、
国会議員であるからだ。

国が滅びて、
どこかの地方だけが、
豊かになることなど、
ありえない。

だが、世界的に見ると・・・

人類全体が、
豊かとはいえない段階で、
私たち日本人は、
圧倒的に豊かな生活を手に入れていたのだ。


これからの時代には・・・

選ばれた国だけが、
豊かになることなどは、
ありえないのだろう。


世界人類が、
区別なく豊かに暮らせる時代が来たならば・・・

その中で、
日本人だけが
貧しい暮らしをすることも、
またありえない。

そして・・・

本当の意味のグローバル化へと、
世界は近づいていくんだろう。


私は昔から、
自他共に認める継続力のある人間です。

継続は力・・・大好きな言葉です。

でも・・・

本当は・・・

嘘です。苦笑・・・(´・ω・`)


中学生のときに入部した囲碁部は、
半年間でクビになりました。

半年の間に三回しか参加しなかったので、
当然と言えるでしょう。

元来、産地直送の純粋B型ですから・・・

やるぞ!と決意してから、
しっかり自分に言い聞かせないと・・・

三日と続いたことがありません。

とにかく・・・

続けられない、飽きる、というのが
私の最大の弱点で・・・

何もかも、続きませんでした。

まあ・・・サッカーぐらいですね。

サッカーのお陰で、
・・・周囲のお陰で、
皆さんからB型だとバレない生活を
おくれるようになりました。

感謝m(__)m

そして・・・そんな私が、
社長になってしまった訳です。


何故か・・・私の周りには
愛すべき大馬鹿野郎が、
沢山集まってきてサポートしてくれました。

感謝m(__)m

私が、
何か始めることを社内で宣言すると・・・

決まって、こう言われました。

「しょうがないなあ・・・どうせやるんでしょ・・・」と。

感謝m(__)m


私は一念発起して、
嫌いなことを最低二つは、
やり続けると決めました。

そのうちの一つが、このブログであり・・・

もう一つが、サッカーなのです。

サッカーは今年で丸43年・・・

ブログは十年近くも続けています。

継続力のない私が、
何故、このような事が出来たのだろうかと、
考えてみました。

理由は三つ考えられます。

1.歳を取った・・・

さすがに大人になって、
自制心が働くようになったのですよ。
歳を取るとは素晴らしい。苦笑


2.ルーティーン・・・

決められた時間に
決められたことをやり続ける。
これは、慣れてしまうととても楽です。
歯磨きや靴下を履くのと同じです。


3.無理しない・・・

サッカー(フットサル)は
週に2回以上は行きません。
ダイエットは、
週二回でないと効果が出ないと言われます。
週に一回だけだと、
筋肉も体力も強くはならない。
いや、緩やかに落ちていくのです。
でもかまいません。
私の目的は、続けることなのですから。

それと、怒られそうですが、
この「・・・」も・・・

毎回文章を考えるのが、
大変だから始めたのです。

無理したら続かないのです。

本当にすみません。m(__)m

で、前置きが長~くなりましたが、
本題は、
これからなのです。


現在の私は
かなりのルーティーン人生を送っています。

朝起きる時間・・・

顔を洗う順番・・・

コーヒーの淹れ方・・・

電車に乗る時間・・・

乗る場所・・・

駅での歩き方・・・

エスカレーターに乗る位置・・・

総て・・・

計ったように
同じ事を
毎日繰り返しています。

で・・・
そんなルーティーンな私が
最近感じることなんですけどね。

ごく稀に・・・

たまーに、年に何回か・・・

このルーティーンに
沿わないスケジュールになることが
あるのです。

いつも13時に行く練習に
14時に行かなくてはならないとか・・・

朝、一本早い電車に乗らなくてはならないとか。


たぶん・・・

皆さんにとっては、
そんなこと日常茶飯事なのでしょうが・・・

私は、本当に、
そのくらいルーティーンな生活をしているのです。

で・・・ルーティーンを守らなかった時に
気づくのです。

自分の居場所を取られていることに・・・(´・ω・`)


毎日、
同じ時間の
同じ電車に乗っていると・・・

自分の居場所というものが出来ます。

柱の横とか・・・

前から三番目のドアの入口とか・・・

暗黙の了解で
お互いに譲り合うことにより、
みんな自分のポジションを
確保しているのです。

それが・・・

他の時間帯には、
他の人のポジションになっている。

当たり前の話なのですが、
とても違和感があるのです。


私の場所に、
他の誰かがいる。

一本早い電車では・・・

私の場所は、駅にも・・・

電車の中にも・・・無い。


電車を降りて、駅の中を歩くときも、
私のコースに他の人が入ってくる。

信号待ちでの私のポジションも・・・無い。


いつもの私のように・・・

駅の柱に寄り添っている人を見ていると・・・

もう一人
自分がいるような気になってきます。

他の時間帯には
自分と重なる人がいる。

他の時間帯に
自分と同じような行動を取っている人間。

それは・・・

まったくの他人ですけれども・・・

何故か
親近感を感じてしまったりするのです。

チョット、変ですかねえ・・・(^^♪

死角。

ある角度からは
どうしても見えない範囲を死角という。

車のバックミラーに写らない範囲とか・・・

狙い撃ち出来ない物陰だとか・・・


そして、もうひとつ・・・

物理的なものではない死角もある。


それは・・・

目の前に確かに存在するのだけれども、
自分の目には見えないもの。


無いと思い込んでいたり・・・

当たり前すぎて、
見えなくなってしまったりするもの・・・


例えば・・・

飛行機が
飛ぶことに対する疑問だとか・・・


携帯電話で
1,000キロ離れた人と話せる便利さだとか・・・

あるいは・・・

可愛い我が子の
バカさ加減など・・・も、見えなくなってしまう典型だろう。

人には
様々な死角が存在する。

その中で・・・

物理的な死角は
万人に共通するものだ。

ある角度から、物理的に見えないものは・・・

人間であるならば
誰にも見ることはできないだろう。

だが・・・

価値観や先入観による死角は・・・

人によって、まったく異なる。

誰かにとっての死角が
他の人からは、クリアな視界であることは・・・

至って普通のことである。

先述のバカ息子も、
自分だけがいい子だと思い込んでいるだけで・・・

周りの人間や、
当の本人でさえも
そのバカさ加減を、熟知しているだろう・・・ということだ。


 
この価値観や先入観による死角は・・・

親のひいき目だけでなく、
色々な場面で登場する。

おそらく・・・

このような精神的死角のない人間というのは
きっと、存在しないだろう。

物理的な視界に、必ず死角が存在するように・・・

精神的な視界にも、例外なく死角は存在する。

精神がある、ということは・・・

そこには
何がしかの価値観が存在するとうことだ。


生きていれば、何らかの経験をする。


経験が
価値観を作り上げる。


そして・・・価値観には、必ず先入観という影が伴う。


先入観というのは、他人から見た言い方であって・・・

本人にとっては、正常な価値観なのだ。


価値観と先入観に、明確な境目などない。

どんな人間にも、精神的な死角は存在する。

そう自分に言い聞かせながら、
仕事や生活に取り組んでいれば・・・

問題は
最小限に抑えられる。

だが・・・実際にそうすることは、
とても難しい。


どう見ても・・・自分にはリンゴに見えるもの。

それを
ミカンだと言われても、
「まあ、そういう見方もあるよね・・・」

とは・・・なかなか、いかないものなのだ。

だからせめて・・・

自分の精神的な死角が
どのような傾向を持っているのか、ぐらいは・・・

自覚しておいた方が良いと思うのだ。


私の経験から言って、
精神的死角には明らかに傾向がある。


物理に反することを
絶対に信じないという傾向や・・・

神や幽霊は存在すると、
100%信じている傾向などだ。

 
世の中には、
騙されやすい人と・・・
騙され難い人がいる。

そんな風に、
思い込んではいないだろうか。

振り込め詐欺などに、
自分ならば、
絶対に引っかからない自信があると・・・

だが、そういう人に限って、
まったく違う種類の詐欺には
簡単に引っかかってしまったりする。

人間は、
みんな何かの分野においては
騙され易い・・・

つまり、
そこに死角があるということだ。

例えば・・・

常識というのは、大多数の人たちが
「それは真実だ」という・・・

共通認識を持っているものだが、
私は、
その常識というものの死角には強いと思う。

元々ひねくれた性格で、
あらゆるものに対して疑り深いからだ。

だが・・・

その一方で、
私は人に対して、非常に弱い。

社長、講師、監督、コーチ、などなど、
名乗っているにもかかわらずだ。

私には
明らかに人を見る目に、
死角がある。

一旦、
その人物のことを受け入れてしまったら・・・

どんなに突拍子のない話でも
信じてしまうという傾向がある。

「石山さん以外の人は、
 ずっと前から解ってましたよ・・・」

などと、よく言われる。

騙されたというよりは・・・

見えていなかったと、
言ったほうが正しいのだろう。


何かを強烈に信じ込むと、
他の何かが見えなくなる。

人間には
そういう傾向があるのだろう。

だからと言って、
何事も信じないという生き方は
絶対できない。


信じる力と・・・
疑う力は・・・表裏一体であり・・・

その両方が・・・

生きていく為には、必要不可欠なのだ。
『知恵ある者は知恵を出せ。
   知恵無き者は汗を出せ。
     両方無き者は黙って去れ!』


これは、昔お世話になった会社の研修で
叫ばされた言葉だ・・・苦笑

土光 敏夫さんの有名な言葉だが、
当時は・・・そうなんだ~・・・なんて思ってました。


松下幸之助さんは、この言葉を見たときに・・・

「まず汗を出してから、知恵を出さなあかん」

と、順番の違いを指摘したそうだ。

知恵を出すか・・・

汗を出すか・・・

あるいは、
汗を出してから、知恵を出すべきなのか・・・


私個人の意見としては、
バランスが大事なのだと思っている。

知恵と汗・・・

どちらかが100で、
どちらかが0というのはあり得ない。

それでは、
仕事として成り立たないからだ。

では・・・

どちらも
100というのはどうだろう。

それは理想かもしれないが、
そこを目指したとしても到達する人は稀・・・

というか、
一人もいないかもしれない。

最終的には
「知恵寄りの汗」パターンの人と
「汗寄りの知恵」パターンの人に
分かれるのだと思う。

成功する人間は
大概、このどちらかに属しているように見える。

エジソンは
「発明には1%才能と99%の努力が必要だ」
という有名な言葉を残したが・・・

この言葉が曲解されていると、
エジソン自身が語っている。

この言葉を聴いた人のほとんどは、
エジソンといえども
才能ではなく、
努力で事を成し遂げたのだと受け取ってしまう。

だが・・・

エジソン本人の談を借りれば・・・

「私はそんなことは言っていない。
 1%の才能も無い人は、努力しても無駄だ」ということらしい。

元も子もない話だが、
当たり前といえば当たり前。

私が如何に努力したところで、
アイドルやアスリートにはなれない。

適正と努力、
その両方が成功するためには必要なのだ。


空を飛ぶということに成功したライト兄弟にも、
もちろん
才能と努力が兼ね備わっていたのだろう。

飛びたいという情熱がエネルギーとなって、
99%の努力を生み出したことは言うまでもないが・・・

そこに
飛ぶための技術が加わってこそ、
初めて飛行が可能となる。

それまでにも、
数多くの人々が、
空を飛ぼうと羽ばたいたはずだ。

鳥のように羽をつけて
崖から飛び降りた人もいただろう。

そして
命を落としてしまったかもしれない。

どんなに恋焦がれようとも、
1%の才能なくして物事は成就しない。

エジソンが言うくらいなのだから
そうなのだろう。

だが、一方で
こんな疑問が湧いてくる。

鳥には
どのような才能があったのかと・・・

鳥の先祖は
恐竜だと言われている。

元々は・・・

地上を走り回っていた、
トカゲみたいな生き物だ。

そのトカゲが
どのような才能をもって
空飛ぶことを可能にしたのか。

走るのが、速かったのか。

あるいは、
突然変異で羽が生えてきたのか。


すべての突然変異は
必然変異なのだと
私は理解している。

高い木の上の
木の実を食べたいという欲求が
キリンの首を長くしたのだ。

なんの根拠もなく、
突然変異は起こらない。

だとしたら・・・

飛びたいという欲求が
トカゲを鳥に変えたのではないのか???

人間と同じように、
崖から何度も飛び降りて。

何度何度も
手をばたばたと羽ばたかせて。

羽ばたいているだけでは、
飛べるようにはならない。

そこに、
飛行するための技術が
無ければならない。

それが
人間の成功法則だ。

だが・・・鳥は、その法則を超えた。

何度も、何度も、崖から落ち続ける。

それを、
何世代にもわたって繰り返しているうちに、
手が翼へと変化していったのだ。


人間に才能が必要なのは、
生物としての進化を、放棄したからかもしれない。

何度も・・・

何度も・・・

世代を超えて羽ばたき続ければ・・・

人間の手にも
羽が生えたかもしれない。


だが・・・

それをやるには、
人間は頭が良すぎたのだろう。

もっと、頭が悪ければ・・・

私達は、
もっと自由に空を飛んでいたのかもしれない・・・