寝台特急「日本海」廃止
予想はしていたが、その事実が突きつけられた時の動揺は凄かった。
絶句とはまさにこの事かと。。。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111118-OYO1T00240.htm?from=top
また一つ、国鉄時代から親しまれた列車が消える。
今まで撮った日本海の一部を。
少年時代の憧れ、夢の列車ブルートレイン。
乗りたい!って親にせがみ、一喝され、高校時代にバイトして初めて乗った寝台銀河に乗った時の興奮は今でも忘れない(銀河は寝台急行で、当時のブルトレの概念からははずれている)
バイトして、初めて北海道へ旅行する時、あけぼのに乗ったあの喜びは今でも忘れない。
国鉄から民営化されるからって、バイトして九州旅行した時に富士に乗り、初めて関門トンネルをくぐった時の記憶は今でも忘れない。
その帰り、九州を一周し博多へ辿り着き、あさかぜ4号に乗車した国鉄最後の夜はいまでも忘れない。
時台は移りゆき、仕事の給料で、北海道へ行くために、青森ではなく、青函連絡船でもなく、青函隧道こと、青函トンネルに入った時の轟音は今でもわすれない。
まさしく、ブルトレとは、これほどまでに、僕の人生であり、体に染みついてるものである。
たまにね、駅で子供がお父さんに向かって、「スーパーひたちだよ~」とか「VSEかっこいい」などと言っている子達が不憫でたまらなくなる。
僕らの頃は、紀伊・出雲2号に始まり、瀬戸、あさかぜ2号、出雲4号ここで一休み上野にははつかり、ひばり、やまびこ、やまばと、ひたち、とき、あさま、白山のL特急軍団。
あうづ、みちのく、また、季節列車のそよかぜ、白根、新雪などもあった。
ふと見ると常磐ホームに停車中のEF80+50系客車の普通列車や、455・475系統の交直急行群、上越、信越へ向かう165・169系なども見られた。
たとえ同じはつかりだったとしても、485系か583系のちがいもあったりする。
楽しすぎるじゃないか。
通勤時間を越える頃、また東京駅へ戻ってみる。
最初に辿り着くのはあさかぜ4号。
続いてみずほ、富士、はやぶさと次から次へとやって来る。
機回しもみられる待避線が一本通っててそこを使って機回しをしていた。
殿を務めるのは11時14分くらいに長崎・佐世保からのKINGさくら。
どちらかと言うと、寝台の東京口、昼行特急の上野口なんて言われてましたが、上野口に目を移してみると、寝台急行新星・天の川・おがなどに始まり、いよいよやって来た寝台特急北陸っが高架に到着。
常磐ホームには、最大7往復ほどあったゆうづるのブルートレインと共に、電車三段式の583系がやってくる。
北星、はくつる、こちらの殿はあけものだったであろうか?
カニやマニは本当に荷物車で使われていた。
最後尾、もしくは最前列。
他の車両とはえらく違い窓のない車両でドアは開口。
急行・津軽や八甲田などに使われてた旧型の寝台+座席車。
上野口は東京口とは違い、時代が進まないように頑張ってる駅の雰囲気をもっていた。
心が豊かで、旅情を楽しみ、がしかし就職列車などが着いた先も上野駅である。
首都圏の定期列車では、東京駅9番ホームから22:00発のサンライズ一つ。
上野駅は、19時過ぎの北斗星、21時過ぎのあけぼのの二列車が13番ホームから出るのみ。
駅は決して活気はなくなってない。
ただそこに、特急列車やブルートレインなどの優等列車がいる風景といない風景では、寂れたイメージも出来て当然といえるのではないだろうか?
東西南北(不完全)
東端。
有人駅の東端駅。
無人駅の東根室が厳密な東端駅。
東端の納沙布岬はこんな感じ。
その先には、歯舞群島。
西端。
佐世保駅。
佐世保バーガー美味しかったです。
南端。
一応、鉄道・モノレール込みでの最南端駅。
JR(国鉄)での最南端である、指宿枕崎線西大山はまだ未到達。
ついでに、本州最南端の串本は通過のみ。
この二つは到達したいポイント。
北端。
稚内駅には24年前に到達済み。
が、最北端の宗谷岬は未だ未到達。
ここも一回行ってみたい場所の一つ。
稚内駅の側、稚内港北防波堤に半円ドーム型回廊がある。

利礼ドームとも言い、かつて、樺太への連絡船が通っていた。
当然、現在は立て直ししたものだが、かつては線路が敷かれ、列車を樺太まで運んでいたと言う。
そんな遥か昔に思いを馳せてみるのもたまには良いのではないだろうか?と思ったりする。




































