旧ソそしてロシアには面白い慣習がある
ダーチャである
いわゆる別荘である。

下の文章はその説明である。
【ダーチャはピョートル大帝時代に始まった。初期ロシア語では、ダーチャは”与えられたもの”を意味していた。

ソ連時代になると、ダーチャは労働者の保養施設として都市近郊に多数整備されていった。ダーチャの土地は国家や企業組合から希望者に安価で支給され、土地を与えられた市民は自分たちで菜園や小屋などを整備した。

ソ連時代、菜園で栽培した農作物を町に持っていき売る事は禁止されていたが、実際には行われていた。経済が著しく混乱していたソ連末期やロシア共和国初期、ハイパーインフレや給与支払い滞りで疲弊し日々の食料調達もままならなかったロシア国民にとって、自活(自給自足)という最終手段で食料を得る(自力で瓶詰加工など保存食も製造・保管していた)最後の砦の場でもあった。】

旧ソ時代給与の遅配が数ヶ月続く中、ロシア国民が飢えずにすんだのは、このダーチャでとれた農産物のおかげである。

17年前アムール川の週末の風景
船に乗り川向こうのダーチャに向かうハバロフスク市民が多く見かけた。

今ロシア経済が改善された中、ダーチャはどのように変わったのであろう。そしてダーチャに向かう市民は?
ハバロフスクでレストランに入る

日本料理、イタリアン、そしてロシア料理 喫茶店
食事後
お勘定
写真は喫茶店で
紅茶(ロシア語でチャイ)とクレープを食べた折の勘定
変なものが着いてくる

チューインガムである

日本では焼肉やで見かける
あのチューインガムである

どのレストランでも必ず
勘定書とチューインガムである
どちらが先かわからないが
不思議な風習である$新浦安介護亭 春夏冬(商い)中
半年に一度胃チューブの交換
今日行う
滋子さんは食事のほとんどを経口ではなく、チューブを経由して直接胃を通して行われている
週一度食事の訓練を行っている
流動食を楽しんいる
まだまだ
すべて経口とはいかない

先日のニュース
胃からの栄養摂取
重症患者の栄養摂取に提供されており
延命措置となっていて、その利用法が問題となっている

詳細は理解していないので
軽々しくコメントはできない

でも滋子さんのように
生活
生存の手段となっている
厳然たる事実があります

マスコミのあり方
いつも不満が残る

写真はハバロフスクの寺院である
アムールのそばに佇む
私の気に入った場所のひとつ
写真を一枚
セピアカラーの写真をもう一枚
どちらもいい
$新浦安介護亭 春夏冬(商い)中
$新浦安介護亭 春夏冬(商い)中
ロシア正教の寺院である
イスラム寺院とロシア正教の寺院
私には区別がつかない

キリスト教会は
ゴシック建築に代表される荘厳さのイメージがある

れっきとしたキリスト教会である

20世紀旧ソ時代は信仰禁止により、禁止され、ほとんどの教会は週与序などに転用されていた
長い迫害の中
ハバロフスクの一つのよりどころとなっている場所である

今ラジオ放送のスポンサーをしている
江東区のレインボータウン
木曜日 2時から1時間
Stand By  me
という番組である
興味がありましたら、一度お聞きください。

久しぶりに自ら聞きに行った
その折、1本の電話

一緒にロシアに行ったKさんから
17年前一緒にロシアに行った外務省のひとである

現在は栃木で事業をしているとのことである

先週ハバロフスクに行った私には
偶然ではなくそんなめぐり合わせかもしれないとつくづく
感じた

ロシアがどんどん近づいてきている

今年もう一度

旧ソのアゼルバイジャンに行ってみようと思っている

一緒に仕事をしている甲斐さんがトルコに行きたいといっている

アゼルバイジャンはトルコ系の国であり、イスタンブールから近い

らくだ通商の拠点

サライの町である

そんな思いをめぐらせていると
益々ロシアが近づいてくる