旧ソそしてロシアには面白い慣習がある
ダーチャである
いわゆる別荘である。

下の文章はその説明である。
【ダーチャはピョートル大帝時代に始まった。初期ロシア語では、ダーチャは”与えられたもの”を意味していた。

ソ連時代になると、ダーチャは労働者の保養施設として都市近郊に多数整備されていった。ダーチャの土地は国家や企業組合から希望者に安価で支給され、土地を与えられた市民は自分たちで菜園や小屋などを整備した。

ソ連時代、菜園で栽培した農作物を町に持っていき売る事は禁止されていたが、実際には行われていた。経済が著しく混乱していたソ連末期やロシア共和国初期、ハイパーインフレや給与支払い滞りで疲弊し日々の食料調達もままならなかったロシア国民にとって、自活(自給自足)という最終手段で食料を得る(自力で瓶詰加工など保存食も製造・保管していた)最後の砦の場でもあった。】

旧ソ時代給与の遅配が数ヶ月続く中、ロシア国民が飢えずにすんだのは、このダーチャでとれた農産物のおかげである。

17年前アムール川の週末の風景
船に乗り川向こうのダーチャに向かうハバロフスク市民が多く見かけた。

今ロシア経済が改善された中、ダーチャはどのように変わったのであろう。そしてダーチャに向かう市民は?