ハバロフスクはアムール川のほとりの内陸の街である。
アムール川は中国とロシアの国境を流れる川であり、中国では黒竜江と呼ばれている。
長年中国と国境紛争の場所である。1969年におきた中ソ紛争は、ダマンスキー島(珍宝島)事件と呼ばれており、流血事件に発展している。
そんな歴史のなかで、ゆったりと流れている
私はそんなアムール川が好きである
この川のそばに佇み、ゆっくりした時間を過ごすことが今回の旅行の一番の目的である。
まずアムール川のすばらしさは、広大さとその緩やかな流れである。実際ハバロフスクのコンフォール広場殻眺めると、どちらが川上で川下か判然としないことにある。
今でもよくわからない。
おそらく写真の右から左へと流れているのだと思う。
私の好きな歌
道化師のソネットにある
きーと誰もが同じ川のほとりを歩いている
というフレーズがある
この悠々たる流れを見ていると
自分を振り返ると同時に
60数年の自分
なにも特別ではなく、きっとみんなと同じ人生だったのだろう
そんな思いをさせる川である
きっとみなさんにも
同じように思う川があるのだと思う

アムール川は中国とロシアの国境を流れる川であり、中国では黒竜江と呼ばれている。
長年中国と国境紛争の場所である。1969年におきた中ソ紛争は、ダマンスキー島(珍宝島)事件と呼ばれており、流血事件に発展している。
そんな歴史のなかで、ゆったりと流れている
私はそんなアムール川が好きである
この川のそばに佇み、ゆっくりした時間を過ごすことが今回の旅行の一番の目的である。
まずアムール川のすばらしさは、広大さとその緩やかな流れである。実際ハバロフスクのコンフォール広場殻眺めると、どちらが川上で川下か判然としないことにある。
今でもよくわからない。
おそらく写真の右から左へと流れているのだと思う。
私の好きな歌
道化師のソネットにある
きーと誰もが同じ川のほとりを歩いている
というフレーズがある
この悠々たる流れを見ていると
自分を振り返ると同時に
60数年の自分
なにも特別ではなく、きっとみんなと同じ人生だったのだろう
そんな思いをさせる川である
きっとみなさんにも
同じように思う川があるのだと思う

10年ぶりの長期休暇
なぜハバロフスクかというと
始まりだからである
独立して会社の仕事として、手がけたのがシベリアへの人道支援
、中央アジア、コーカサス、中央ヨーロッパへの医療調査業務であった。
その折、たずねた国々、町にいい機会だからサイド訪ねてみようと思った。
ここ20年
日本は大きく様変わりをした。
Japan As No.1
バブル
その崩壊
失われた政治
と大きく変わった
私自身も変わった
ふと思った
あの頃たずねて、長期滞在した国々
一体どのように変わったのか
この眼で見ようと思った
もしできたら、滋子さんと一緒にと思っていた
できないので、たくさん写真をとって
滋子さんに見せよう
そんな旅である
まずはハバロフスクから
なぜハバロフスクかというと
始まりだからである
独立して会社の仕事として、手がけたのがシベリアへの人道支援
、中央アジア、コーカサス、中央ヨーロッパへの医療調査業務であった。
その折、たずねた国々、町にいい機会だからサイド訪ねてみようと思った。
ここ20年
日本は大きく様変わりをした。
Japan As No.1
バブル
その崩壊
失われた政治
と大きく変わった
私自身も変わった
ふと思った
あの頃たずねて、長期滞在した国々
一体どのように変わったのか
この眼で見ようと思った
もしできたら、滋子さんと一緒にと思っていた
できないので、たくさん写真をとって
滋子さんに見せよう
そんな旅である
まずはハバロフスクから

ハバロフスクのメイン通りである。
ありふれた風景である。
デモよく見ると
href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120701/16/protonhoh/ef/85/j/o0400030012056696434.jpg">

昔懐かしいトローリーバスである。
このバスのことを知っているとすれば、東京育ちのご高齢の方であろう。
インターネットから引用すると
概要 [編集]戦後復興期、上野公園から今井までと、亀戸 - 池袋 - 新宿 - 渋谷 - 品川の、ほぼ明治通りに沿った路線を運行していた。全線複線で、直流600V。
トロリーバスの場合は架線を敷設するだけであるため、路面電車よりも簡易に敷設でき、新時代の交通機関として期待されたが、大型バスの出現により採算が合わず、開業から16年で廃止された。
現在日本では黒部で走っているようである。
17年前、ハバロフスクを訪れたおりも、走っていた。そして今も現役である。もっともかなり一般のバスになっている。
今年 S7が夏季限定で、成田→ハバロフスクの直行便ができた。
これ幸いと、とりあえずハバロフスク

写真はハバロフスクの今フォーと広場から見たアムール川である。
午後3時30分成田発、ハバロフスク現地時間9時
飛行時間2時間30分
賢明なるお客様ならお分かりだと思うのだが、少し変
ハバロフスクは日本より西
つまり
東京が朝9時なら、西にあるのだから、少なくとも朝7時か8時のはずである。
ところが、実際は11時
つまり時差が逆転しているのである。
地球の経度からみると、ハバロフスクの夜10時は日本の8時に相当する。しかもハバロフスクは北に位置するので、夜10時にこの明るさである。
ハバロフスクは夜遊びには不向きな都市である。
これ幸いと、とりあえずハバロフスク

写真はハバロフスクの今フォーと広場から見たアムール川である。
午後3時30分成田発、ハバロフスク現地時間9時
飛行時間2時間30分
賢明なるお客様ならお分かりだと思うのだが、少し変
ハバロフスクは日本より西
つまり
東京が朝9時なら、西にあるのだから、少なくとも朝7時か8時のはずである。
ところが、実際は11時
つまり時差が逆転しているのである。
地球の経度からみると、ハバロフスクの夜10時は日本の8時に相当する。しかもハバロフスクは北に位置するので、夜10時にこの明るさである。
ハバロフスクは夜遊びには不向きな都市である。

