久しぶりの休暇 ハバロフスク滋子さんが倒れてから、休暇らしい休暇はなかった。少し余裕ができたのだろう行雲流水の機運しばらくぶりにわいてきた18年前から人道支援、ODAで訪れた国々に出かけてみようと思い立ったまず手始めにハバロフスクしばし介護亭亭主一人旅日記お付き合いください。
ゴミゴミ粗大ごみであるわたくしのことではない我が家の不要物である今年中に、滋子さんが今で自由に歩きまわれるように、家の改造を行っている。リフォームではなく、re-arrengementである。今のほとんどの家具を他に移すためにドミノ方式で、和室から不要物を廃棄空いたスペースに他の部屋の家具の移動時間のよゆうがあるので、パイペースとはいえ一回の廃棄物ゴミ袋 50袋滋子さんとの30有余年たまった不要物多いこと多いこと
滋子さんに来週から休暇いつか滋子さんを温泉にと思うそのためには安全に入浴する方法が必要今友人の会社が製造した水圧を利用した介護用リフトを販売しようとしている山形の企業人と話していると彼の経営する温泉につけたいという話がでてきた車椅子に乗った人に家族と温泉に入ってもらいたいとのことである彼の母を温泉に連れて行き、みんなで入りたかった自分はできなかったので、皆さんにそんな幸せを味わってもらいたいとのことである。休暇から帰ってきたら、再会をする実現できるかどうかはわからないが、私は私で滋子さんのためにがんばろうと思っている。
休暇来週久しぶりの休暇であるハバロフスクへ行く予定ここ20年駆け足で生きてきた人の2倍生きてみようと思い、2倍仕事をし、稼ぎ、2倍遊んだ2倍喜びを味わい、2倍悲しみに打ちひしがれてきたその結果滋子さんを巻き添えにして無理をさせてしまった。ここ7年間スロービジネスに徹した生きがいを探そうとしていつの間にか60を過ぎ、このままだと気がつかないうちに70になるのだろうそんなことを思っているうちにふと旅に出ようと思った駆け足で駆け抜けた時代置き忘れたものがあるに違いないそれを拾い集めに以降と思ったハバロフスクにはアムール川の夕焼け薄暮の世界それを拾い集めにいこう僕のせいで人生の大事な部分を費やした滋子さんのためにも何かをしなければやりきれないそんな休暇である。
子供に告ぐ 父の日日曜日は父の日であったどうも個人的にはこうした一年の特別な日というのはなじめない誕生日は特に難しい覚えていないのである。娘は私と同じ10月、息子は、 あれいつだったけ、、、、、7月だった 滋子さんは8月その程度である。忙しさや海外での生活など家族の1年の特別な日きがつけば過ぎていた新聞に母の日とこどもの日は 近く、 父の日だけ離れているそんな内容の記事があった父の日は本当に難しい私と滋子さんには今年なくなったが父の日の対象がいた。息子や娘にとって、対象は私たちであり、娘も孫にとって対象である。こんなややこしい日はない私にすれば、1年毎日父の日であればいいそして、敬ったり感謝はいらないから後姿を見ていてくれればいい。そして、プレゼントはみんなが健やかにつつがなく過ごしてくれることであるきれい過ぎるかもしれないけれど、父親の思いはみんなそんなものである