撮影日記〜長崎探索・高島秋帆旧宅 | COTTA撮影日記

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2014年10月、モノづくりブランド“COTTA”をスタートしました。
カメラと写真の楽しみを提案する撮影日記をはじめ、
製品情報をお伝え致します。

長崎市街もいろいろ歩きましたが

まだまだ知らない場所があるもので、

GW某日に

「高島秋帆旧宅」に足を運んでみました。

 

 

長崎の路面電車終着駅の崇福寺駅から

徒歩10分ほどなので

賑わう繁華街からは少し外側の場所に

宅跡があります。

 

 

階段を上がった先、玄関。

石壁がちょっと独特ですね。

 

邸宅は原爆により大破したので、

門をくぐらなくても

玄関横からスルッと入ることもできます。

 

 

高島秋帆(たかしましゅうはん)は

代々町年寄を務めていた高島家の11代当主。

寛政10(1798)年〜慶応2(1866)年。

 

荻野流砲術を究め、蘭学、西洋砲術を学び、

幕府に海防と西洋軍事技術の導入を進言した砲術家です。

 

もともと本宅は別の所にあったそうですが

大火によって消失し、ここ別邸に移り住んだとのこと。

 

 

敷地内中心には

「雨声楼」と呼ばれる2階建の立派な建物がありましたが

今はその痕跡を残すのみ。

 

 

敷地の端のほうは

石が無造作に置かれてたりするので

史跡にしては綺麗に整備されているというものではなく

そのままを残している感じ。

草はたくさん生えてますが、短いので定期的に整えてはいるよう。

 

 

敷地の北東側のひらけた場所が射的場。

「砲痕石」と呼ばれる的となった石が残っている。

 

もともと砲痕石の周りは石で囲われていたそうだが

明治33年に、当時の所有者がその石で雪見灯篭をつくったので

正面の砲痕石だけが残っている状態。

 

 

敷地内の真ん中に石壁が伸びてたり

坂があったり、井戸が3つあったり。

ちょっと複雑なつくりだ。

 

史跡の入り口は2箇所あるので

多分地元の人にとっては

通り抜けるための道として使っているのかもしれない。

 

 

高島秋帆に関しては、

お墓が東京文京区にあったり(長崎にもある)、

天保13年に捕らえられた地が埼玉深谷だったりと

関東にも史跡が残っています。

 

 

邸宅裏手。

長崎らしい、坂の上の邸宅ですね。

砲術の音もよく響いていたのでしょうね。

 

 

◎使用カメラは LUMIX G9Pro + LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.