撮影日記〜長崎探索・雲仙噴火の記憶 | COTTA撮影日記

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2014年10月、モノづくりブランド“COTTA”をスタートしました。
カメラと写真の楽しみを提案する撮影日記をはじめ、
製品情報をお伝え致します。

島原と言えば、

授業で習う「島原の乱」を

真っ先に思い浮かべる人が多いと思いますが、

近年で言えば、

雲仙普賢岳の噴火を記憶している方も多いでしょう。

 

1990年11月から始まった噴火活動(平成大噴火)は

およそ4年半ほど続き、多大な被害とを及ぼしました。

 

当時筆者は高校生でしたが、

もうもうと立ちこめる火砕流が

街を覆っていく様子をテレビで見て

こんなことが起こるんだと衝撃を受けました。

火砕流や土石流といった言葉も

この時初めて聞きました。

 

 

島原にある「がまだすドーム」では

その「平成大噴火」の記録と

火山に関する展示や体験ラボなど

楽しく学べる施設です。

 

ちなみに”がまだす“は、”がんばろう“の意。

 

 

施設内はこんな感じ。

暗いのでノイズが多い。。。

 

床下には、火砕流で焼けた木が展示。

火砕流とは、細かい火山噴出物や火山ガスで

数百℃にもなる高温。

これが時速100kmの速さで街中を流れていくのは衝撃でした。
ちなみに光っているのは火じゃなくてライトです。
 
 
火砕流で焼けたバイク、カメラ機材、電柱など。
一部金属も熱などで歪んだりしてます。
 
 
こちらは江戸時代に雲仙が噴火した
「島原大変肥後迷惑」という出来事を
特大紙芝居とアニメーションでわかりやすく解説。
結構お金かかってます。。。
 
噴火したのは1792年。
雲仙岳が噴火した後、地震が発生、
地下水の異常な温度上昇がおき、
眉山(まゆやま:紙芝居の左の山)が崩壊します。
 
この時は津波も起き、
15,000人ほどの人が亡くなった。
噴火の際に生じた岩塊は海へと流れ
島原港東の海に岩礁群(九十九島)を形成させたとのこと。
地球のパワーはすごい。
 
 
マスコットキャラのジーオくんとジーナちゃん。
 
 
がまだすドームの東側には海が広がる。
きれいな海、のどかだ。。。
自然は時に荒々しく、時に穏やか。
 
 
西側は、普賢岳が見える。
左奥の山の一番高いところが平成新山。
その手前に普賢岳がありますが、
ちょうど山が重なっているのでちょっとわかりづらい。
 
右手前の山が
「島原大変肥後迷惑」で崩壊した眉山で、
緑で覆われてはいるものの、崩壊した後が見られる。
 
ちなみに右下には、「島原復興アリーナ」に設置されている
サムライブルーを着た坂本龍馬の像が立ってます。
 
 
がまだすドームから少し離れたところに
「土石流被災家屋保存公園」に
土石流で埋没した家屋がそのままで保存されている。
 
ここの住人は全員避難しており、
人的被害はありませんでしたが、
その被害の大きさを物語ってますね。
 
火山大国、日本。
自然とともに生きてきた宿命でもありますが、
その被害を最小に食いとめるべく、
常日頃から防災意識は持っておきたいですね。

 

◎使用カメラは LUMIX G9Pro + LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.