いつもご拝読頂き、ありがとうございます。
休み明けの今週に、こんなことがありました。
あるお子さんが、お友達がいることが気づかず
ぶつかってしまいました。
お友達は、倒れて泣いてしまいました。
ぶつかったお子さんは、突然のことで戸惑っています。
こんなとき
「ほら、ぶつかって泣いてるよ、謝ろうか」
と促すことをしていたりします。
これは、
「ぶつかった方が、悪い」
「泣いた方は、被害者」という前提で話すことになります。
なので、
「わざとぶつかったわけじゃないのに、どうして謝るのか」
お子さんは、
その理由がわからないまま、
言われた通りすることになります。
「泣かしたのがいけなかったのか」
「ぶつかったのが悪いのか」
「気づかなかったのが悪かったのか」
何が何だか、わからないまま終わってしまいます。
また、
「謝れば、いいんだ」
といったことを覚えることにもなります。
ここで大事なのは、
両方のお子さんに対して、
「どっちが悪い」
といった印象を与えてはいけないことです。
大人が
お子さんを「善悪」で決めてしまうと、
知らず知らずに、
お友達を「差別」するようになるからです。
そうならないように、
ぶつかった方には、
「どうしてぶつかったのかな」
と考えてもらい
「どうしたらよかった」
と、お子さんなりの答えを出してもらいます。
そして、
倒れた方のお子さんに、たいして
「今言ったことをお友達に話しできる」
と言って、
自分で話すようにします。
倒れた方は、
「どこか怪我があった」
「痛い場所はある」
と目視も含めて確認します。
そして、「自分でどこがどうだ」と話すように促します。
この時、「泣いてる」ことは、触れません。
かえって、「泣くこと」に気持ちが行くからです。
そして、
ぶつかったお子さんが
倒れたお子さんに対して
気持ちを伝える場面を作るようにします。
このように、
主体は、「お子さん」です。
大人が、「こうしなさい」といった指示をするのではなく
お子さんが「自分で考えて、自分の言葉で話す」ように
場面を作ることが役割だと思います。
